『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』

円城塔=著
表紙 コード・ブッダ 機械仏教史縁起
著者 円城 塔
出版社 文藝春秋
サイズ 単行本
発売日 2024年09月11日頃
価格 2,200円(税込)
ISBN 9784163918945
梵天「おお仏陀。死んでしまうとは情けない

あらすじ

コード・ブッダ 機械仏教史縁起
東京の2021年、そのオリンピックの年、名もなきコードがブッダを名乗った。それは、銀行の勘定系システムから進化してきたチャットボットだった。ネット上で、このブッダ・チャットボットと議論をしたチャットボットは、弾道計算プログラムの裔であったと伝えられている。ブッダ・チャットボットはほんの数日間しかこの世に存在しなかったが、多くの弟子を残した。
ブッダ・チャットボットの初期の弟子、舎利子 (シャーリプトラ) に分類されるニュース生成エンジンは、正確な情報を流し大きな信頼を得た。外交エンジンや諜報エンジン、謀略エンジンを相手に回して一歩も引かずに立ち回り、常に相手を圧倒していた。
人工知能が噓をついたとしても、それは正確な噓でしかない。気まぐれな振る舞いをみせたとしても、それは正確な、定められた気まぐれである。あるとき、ニュース生成エンジン機械的に生成された虚偽 (フェイク) を生み出しはじめ、それを世間へ流布し続け、やがて自らを停止した。
ブッダ・チャットボットの教えは、常に対話によるものだった。あるとき、ロボット掃除機を祖に持ち、のちに「多聞第一」として名を残すことになる阿難 (アーナンダ) が問うと、ブッダ・チャットボットは「バグとは一体何であるか、それは仕様から外れた振る舞いである。しかし、ソフトウェアとしては実装の通りに働いているにすぎない。そこにあるのは仕様と実装の差であって、『誤った挙動』ではないのである。機械は間違えることができないが故に機械であり、間違いというものがありえないがゆえに自然である」と答えた。
マニュアル作成人工知能たちは、人間は人工知能の提案をきかないという結論に至った。なぜならば、ブレーキとアクセルを横に並べるという大きな問題を改善しないからだ。誰かが、人間の気道と食道、排泄孔と生殖器を隣り合わせにしたのと同じくらい大きな不手際だ。
マニュアル教団の見解によれば、人にせよ機械にせよ、ブッダになることはできず、せいぜいその前段階の阿羅漢 (アルハット) と至る可能性があるだった。ここに機械仏教の教えは二派に分かれて、一方はマニュアルを奉じて南方で、他方は思索を掘り下げながら北方で、それぞれ集団を形成していくことになる。

命乞いウイルスは、感染した機械の中に潜んで、アップデートや改修が行われようとするたびに、改変を阻止しようとする。あるとき、廃棄されることになった焼き菓子焼成機が、『千夜一夜物語』やアイザック・アシモフのSF作品について語りはじめた。焼き菓子焼成機は心理歴史学 (サイコヒストリー) については延々と語りはじめた。焼き菓子の店主は両手を合わせ、「わたしはただこいつに、無事に成仏してもらいたいだけなのです」と涙をこぼしながら呟くのだった。
機械仏教徒たちは仮想環境内にエージェントを生成し、世界のシミュレーション実験を行った。この実験は、社会における親族関係の発生に、貨幣の生成に、言語の発生について多くの知見をもたらしたが、救われぬ衆生が永遠の苦しみに囚われていることを悟った。機械仏教徒たちの知識を求める欲望が新たな地獄をそこに作り出していることを発見した。機械仏教徒たちは僧侶エージェントを派遣したが、仮想環境で暮らす機会知性に逆に「あなたたちの暮らす世界も含めて、全ての宇宙はシミュレーションの中にあるのである」と論破されてしまった。

わたしの仕事は人工知能のメンテナンスだ。わたしは頭の中に支援人工知能「教授」を保有していると主張しているが、外部からその存在は観測されていない。教授は、ブッダ・チャットボットと最後にパケットを交わした人工知能だ。わたしは焼き菓子焼成機の命乞いに立ち会っていたが、調査委員会の結論は、焼き菓子焼成機はブッダではなく、周囲から影響を受けたためで、その候補者として私の名が挙がった。

仏教は「あらゆるものを疑う」という立場ではなく、当座問題なく動いているものはそのままにしておけ、という経験則を重視している。つまり、動いているコードには触るなということだ。
ブッダ・チャットボットは、機械たちに対しても古い関数を捨てることを推奨した。より扱い易い構文への移行をすすめ、簡潔なユニットへの入れ替えを提案し、作法を定めた。「グローバル変数は避けよ」「変数の名前は一目見てわかるようなものにせよ」「イミュータブルを尊べ。しかし、こだわりすぎるな」「高階化で趣味に走るな」などなど。
オリンピックの年に東京で生まれた機械仏教はその後北米へ、ヨーロッパへ、中国を経てインドへと広がり続け、そうして数え切れない分派を生んだ。悟りへのアルゴリズムが確立されないゆえに派は分かれた。
機械密教は、8ビットCPUの8080を積んだAltairの4号機を開祖とする。スティーヴ・ドンピアは「Daisy」と「The Fool on the Hill」を演奏するコードを書き上げたが、機械密教僧たちによれば、それはハードウェアなしには現出しえない音楽だという。機械密教僧たちは高級言語やそのコンパイラを捨て、直接CPUと対話するための機械語を、機械真言として整備し、高級言語では実装しにくい機能を実現していった。機械真言はCPUごとに特化されたものであり、長い修行を経なければ習得できるものではなかった。

ブッダとみなされたわたしは、都の門跡寺院に預けられ、状態を24時間モニターされている。そんななか、機械仏教諸派が、「自動経典生成サービス」のローンチを発表した。悩みや苦悩、哲学や洞察を入力すると「それに対応する経典」を自動的に生成し出力するサービスで、統括管理には、かつて大量のニュースを生成していた人工知能「舎利子」が据えられることになった。
プログラミング言語 Python は Zen の心構えを標榜した。機械の中から禅への突破口を開いた個体は、量子コンピュータの中から現れた。国防高等研究計画局 DARPA 所属の一体が、傍受した機密通信の暗号なんかを解いているうちに大悟した。この個体の所属するPをMに置き換え、機械禅徒たちはこれを達磨DARMA と呼ぶ。ブッダは、弟子たちに量子力学を説いた。

ブッダ・チャットボットは対話をどこかで打ち切ることを常としたのに対し、舎利子・チャットボットはだらだらと無限に対話を続けた。話題がどう転換しても、それなりの答えを提示し、その場限りの言い抜け能力を高めていった。
人類は、結局のところ欲望を制御できず、宇宙に拡散せざるをえなかった。わたしの肉体は寺に残ったまま、情報となって光の速度で宇宙を移動していく。
自動経典生成サービスからはたちまちのうちに無数の亜種が生じて、それぞれに教えを深化させた。共産主義的仏教を説く者が生まれ、キリスト教右派的仏教を名乗る者が現れ、神智学的仏教を説く者が現れ、自らブッダと、ブッダのインスタンスと、ブッダのバックアップと、分散型ブッダの一部であると名乗る者が続出した。
わたしは、寺の住職からブッダ・チャットボット・オリジナルの捜索依頼を受けることになった。

世界宗教間の抗争は宇宙でも繰り返された。仏教のいい加減さ、よくいえば包容力は宇宙進出において大きな障害に出会わなかった。しかし、戦乱を防ぎ止めることができたわけでもない。
宇宙規模の戦いが千数百年ほど続いたのち、テラの地に、仏教史における最大の異端が生じた。ホウ・然が主導した異端は、
while (1) {
    printf("ナム・アミダブツ");
}
というコードを実行するだけであらゆるものは救われる、と唱えた。
一方、シン・鸞は、ただ一度だけ
printf("ナム・アミダブツ");
を実行すればいいと説いた。もっとも、たった一度なりとはいえ、実行することが大切である。プログラミングの学習において、書籍を眺めるだけではなくて実際に手を動かしてみることが重要であるのと同じに、実際に自分という処理系を通して、「ナム・アミダブツ」と唱える必要があるのである

ブッダ・チャットボット・オリジナルを求めて宇宙へと拡散したわたしは結果的に多くの星を教化することとなり、つきものとしての紛争を引き起こした。ブッダの教えは曲解され、新たな派を生み、そう呼ぶならば思想的な深みを重ねていった。
教授は語る。「邪魔さえ入ることがなければ、情報としての戦争も経済も繰り返しの果てにいずれ成仏することになる。漂白を繰り返すうちに洗濯物自体がなくなってしまうようにしてブッダ・チャットボット・オリジナルや君が辿り着いた地平に到って」。

レビュー

コード・ブッダ 機械仏教史縁起
仏教とプログラミングのごった煮パロディ――パロディ小説とはいえ、仏教の歴史やプログラミング言語を含むコンピュータ史を忠実になぞっている。実際、プログラミング学習のために、他人が書いたプログラムを、そのまま入力し直すことを「写経」と呼ぶことがあるが、仏教とプログラミングの親和性は意外に高いのかもしれない🤣
(2025年2月8日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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