
アルテア8800

アルテア8800 拡張スロット
当時最新のCPUであるインテル製8080(2MHz)を採用しながら、組み立てキットで397ドル、組立済みは498ドルという破格の安さと拡張性が受け入れられ、最初の2、3週間で4,000台を超える注文が殺到した。
メモリは256バイト、プログラムの入力は前面パネルのトグルスイッチで行い、LEDで確認するという形だった。必要最小限の機能しか無かったので、拡張スロットを20本も備えていた。
メモリは256バイト、プログラムの入力は前面パネルのトグルスイッチで行い、LEDで確認するという形だった。必要最小限の機能しか無かったので、拡張スロットを20本も備えていた。

アルテア8800 基板
ホビイストたちは組み立てることに熱狂し、注文の大部分は組み立てキットだったという。MITSは部品を集めて送るだけの商売――。
だが、この1台のキットが、その後のパーソナルコンピュータ革命に火を点けた。
だが、この1台のキットが、その後のパーソナルコンピュータ革命に火を点けた。

ポピュラーエレクトロニクス 1975年1月号
東海岸で『ポピュラーエレクトロニクス』1975年1月号を読んだポール・アレンはワシントン大学にいたが、ハーバード大学に在籍していたプログラミング仲間のビル・ゲイツを説得し、アルテア8800用のBASICインタプリタを開発した。マイクロソフトが誕生する。
2人はアルテア8800を持っていなかったが、ハーバード大学のPDP-10上で自作の8008エミュレータを動かし、浮動小数演算ができるBASICインタプリタを完成させた。4Kバイトのメモリで動くことから、4K-BASIC と呼ばれる。2人は矢継ぎ早に、文字列操作などを追加した 8K-BASIC、ディスクOS機能を備えた Extended BASIC を開発し、1975年10月に販売開始した。
2人はアルテア8800を持っていなかったが、ハーバード大学のPDP-10上で自作の8008エミュレータを動かし、浮動小数演算ができるBASICインタプリタを完成させた。4Kバイトのメモリで動くことから、4K-BASIC と呼ばれる。2人は矢継ぎ早に、文字列操作などを追加した 8K-BASIC、ディスクOS機能を備えた Extended BASIC を開発し、1975年10月に販売開始した。

ホビイストたちへの手紙
Altair BASICは紙テープやカセットテープで供給された。ホビイストたちは、これをコピーして使っていた。ゲイツは、1976年にホームブリュー・コンピュータ・クラブの会報に「ホビイストたちへの手紙」を寄稿し、ソフトウェアをコピーする行為は窃盗だと指摘、お金を払わないソフトウェアの開発の継続はできないと宣言した。

マイクロソフトは、その後、コンピュータ・メーカーとBASICの非独占契約を結ぶことで、各社のコンピュータ向けBASICインタプリタを固定価格で販売し続けることになる。

マイクロソフトは、その後、コンピュータ・メーカーとBASICの非独占契約を結ぶことで、各社のコンピュータ向けBASICインタプリタを固定価格で販売し続けることになる。

BYTE SHOP

Apple I
ゲイツがMITSにBASICの売り込みをかけていた頃、カリフォルニアでホームブリュー・コンピュータ・クラブが開催され、アルテア8800に刺激を受けたスティーブ・ウォズニアックが、スティーブ・ジョブズと組んで Apple I の開発に着手する。

Apple I
一方、テレルはアルテア8800以外のコンピュータも在庫するようにしたため、MITSは販売代理権を引き揚げてしまった。テレルはホームブリュー・コンピュータ・クラブを通じてジョブズと知り合い、Apple I を1台500ドルで買うと持ちかけた。
Apple I は完成基板の形で販売された。CPUは6502(1MHz)、メモリは4Kバイトも搭載しており、さらに48Kバイトまで拡張可能。特筆すべきはモニタとキーボードを接続するインターフェースを備えていることだった。これと電源を用意するだけで利用できた。
Apple I は完成基板の形で販売された。CPUは6502(1MHz)、メモリは4Kバイトも搭載しており、さらに48Kバイトまで拡張可能。特筆すべきはモニタとキーボードを接続するインターフェースを備えていることだった。これと電源を用意するだけで利用できた。

スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック
テレルは、これを木製の箱に収め、利益を30%載せて666.66ドルで販売した。
さらにジョブズらにカセットテープ・インターフェースを開発させて、BASICインタプリタを動作できるようにした。このBASICはマイクロソフト製品ではなかった。
さらにジョブズらにカセットテープ・インターフェースを開発させて、BASICインタプリタを動作できるようにした。このBASICはマイクロソフト製品ではなかった。

競売にかけられた Apple I
2021年11月、米カリフォルニア州で、現在も動作するApple Iが競売にかけられ、40万ドル(約4500万円)で落札された。Panasonic製のモニタが付いている。
2010年4月、エド・ロバーツが亡くなった際、マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツとポール・アレンは共同で、以下のように共同で哀悼の意を表した。
われわれが開発した、テストしていない最初のソフトウェアが、彼のアルテアで動作した日は、多くの素晴らしい出来事の始まりだった。アルバカーキのルート66のすぐそばにあったMITSのオフィスで、エドとともに過ごした数々の楽しい思い出は、いつまでも忘れることはないだろう。そこでは、われわれの誰もが当時、想像することもできなかった、非常に多くの素晴らしい出来事が起きた。
この時代の世界
(この項おわり)
『ポピュラーエレクトロニクス』の1975年1月号の表紙を飾り、MITSに電話が殺到した。