出島と鎖国政策

2008年7月28日 撮影
出島
出島(長崎県長崎市出島町6番1号)は、江戸幕府が鎖国政策の一環として1636年(寛永13年)年に築いた扇形の人工島である。広さは約1.3ヘクタール。
現在、出島のあった場所は埋め立てられており、国指定史跡として復元している最中である。入場料は大人500円、高校生200円、小・中学生100円。8時から18時まで。年中無休。
西側メインゲートの前を走る国道499号のアスファルトが白くなっている部分が、かつて出島だった場所の一部。
出島
当初、ポルトガル人が隔離されていたが、寛永16年に来航が禁止されたため、1641年(寛永18年)には平戸からオランダ商館が移された。以後、1859年(安政5年)にオランダ商館が閉鎖されるまでの218年間に渡り、日本で唯一、欧米への窓口の役割を果たした。
明治になり埋め立てが進み、1904年(明治37年)、その姿を消した。
ミニ出島-出島
東側には1986年(昭和61年)に制作された15分の1の「ミニ出島」がある。川原慶伊賀が1820年(文政3年)頃の出島を描いたとされる「長崎出島之図」を参考に再現したものである。
カピタン部屋-出島
カピタン部屋は、オランダ商館長(カピタン)の事務所や住居として使用されていた出島で最も大きな建造物である。日本の役人や大名などが出島を訪れたときに接待にも使われていた。
2階には往時のディナーの様子が再現されている。

1823年(文政6年)、オランダ商館の医師としてシーボルトが来日した。1826年(文政9年)、カピタンの江戸参府に同行し、江戸の学者たちとの交流を深めた。
1828年(文政11年)に帰国する際、収集品の中に幕府禁制の日本地図があったことが問題となり、国外追放処分となった。いわゆるシーボルト事件である。これは間宮林蔵の密告によるものと言われている。
シーボルト関連
バドミントン伝来の地-出島
出島に住むオランダ人の風習を描いた「紅毛雑話」(1787年)には、「ラケット」(羽子板)「ウーランタ」(羽根)が描かれる。
バトミントンは、インド植民地に駐留していたイギリスの陸軍将校が、ボンペイ州のブーナで行われていたゲーム(ブーナ・ゲーム)を1873年(明治6年)頃、バトミントンの原型として英国に伝えている。「紅毛雑話」によると、これより約90年以上前に出島で楽しまれていたことになる。
「バトミントン伝来の地」の碑は、長崎県バトミントン協会が創立30周年を記念し、1979年(昭和54年)5月に建立した。
出島
長崎市は、1951年(昭和26年)から出島の復元事業に着手した。
1996年(平成8年)には整備計画を策定し、オランダ商館長の住居や蔵などの整備を進めてきた。
2014年(平成26年)2月には、出島築造から400年となる2036年(令和18年)を目標に周辺の国道や路面電車の軌道などを移設、事業着手から100年目となる2050年(令和32年)までに完全復元を目指すという報告書を作成した。
北側を流れる中島側の流れを変え、国道499号線のルートを変更する必要がある。

交通アクセス

【鉄道】
  • 長崎駅前から路面電車「正覚寺下行き」に乗り、「出島」下車、徒歩すぐ。
【バス】
  • 長崎駅南口から「新地ターミナル行き」に乗り、「長崎新地ターミナル」下車、徒歩過ぎ。
  • 長崎駅前から「らんらんバス」で「長崎新地ターミナル」下車、徒歩過ぎ。
【自動車】
  • 長崎自動車道「長崎IC」で降り、ながさき出島道路経由で約1分。
出島関連

参考書籍

表紙 シーボルトと宇田川榕菴
著者 高橋輝和
出版社 平凡社
サイズ 新書
発売日 2002年02月
価格 814円(税込)
ISBN 9784582851298
「シーボルト事件」で知られるドイツ人シーボルトは、江戸参府の際、とある日本人の訪問をうけた。それが、蘭・独・英語にも通じ、今も残る数々の科学用語を考案し、名著『植物啓原』で知られる津山藩医、宇田川榕菴である。野心溢れる西洋知識人と第一級の蘭学者が出会ったとき、言語学・植物学など多岐にわたる、豊かな学術交流が花開いた。二人の天才の交流から生まれた、日本科学史の輝かしい成果を紹介する。
 
シーボルトは、江戸参府した際、和・漢・蘭・独・英語に通じた植物学者、宇田川榕菴 (うだがわ ようあん) (1798~1846年)に会う。この後、榕菴は、日本語のまだ存在しなかった学術用語に新しい造語を当てる。圧力、亜硫酸、塩、塩酸、王水、温度、還元、気化‥‥今日でも使われるこれらの用語は、すべて榕菴の造語である。

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(この項おわり)
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