熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮1)は、熊野本宮大社、熊野那智大社と並ぶ熊野三山のひとつで、熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神とする。写真は拝殿。
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熊野速玉大社の社殿および境内地は、2004年(平成16年)7月にユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された。
創建年代は不明だが、室町時代に足利義満が奉納したと伝えられる、調度品を中心に1000点を超える古神宝類を所蔵しており、いずれも国宝に指定されている。
創建年代は不明だが、室町時代に足利義満が奉納したと伝えられる、調度品を中心に1000点を超える古神宝類を所蔵しており、いずれも国宝に指定されている。
唾を吐くというのは、眉唾のように一種の魔除や祓いを意味する。
また、船の舳先で黒潮の怒濤を切り裂く水しぶきを聖なる飛沫として「速玉」と呼んだという説もある。
また、船の舳先で黒潮の怒濤を切り裂く水しぶきを聖なる飛沫として「速玉」と呼んだという説もある。
境内にある、高さ20メートル、幹のまわり6メートル、推定樹齢1000年(長保2年)の梛の大樹は「熊野速玉神社のナギ」として天然記念物に登録されている。ナギとしては国内最大である。
1159年(平治元年)社殿の落成において熊野三山造営奉行であった平重盛の手植と伝えられている。
このナギの実から作られた縁結びのお守りが人気だ。
1159年(平治元年)社殿の落成において熊野三山造営奉行であった平重盛の手植と伝えられている。
このナギの実から作られた縁結びのお守りが人気だ。
新宮城は、別名を丹鶴城、沖見城をも呼ばれており、江戸時代初期、紀州藩主浅野長晟の重臣・浅野忠吉が築城した。国の史跡に指定されている。
お燈祭りは、毎年2月6日夜に行われる神倉神社の例祭で、古代以来の熊野山伏の伝統をもつ。白装束に荒縄を締め、ご神火を移した松明をもって、神倉山の山頂から急な石段をかけおりる男の火祭りである。
このまつりは火の洗礼を受けるものとして始められたもので、炎の奔流は闇に火の斑を撒いて躍動し、その壮観さは、新宮節にも唄われているとおり「お燈まつりは男のまつり山は火の滝、下り竜」そのものである。1964年(昭和39年)5月、和歌山県の無形民俗文化財に指定された。
新宮駅前には、お燈祭りの銅像が建っている。
このまつりは火の洗礼を受けるものとして始められたもので、炎の奔流は闇に火の斑を撒いて躍動し、その壮観さは、新宮節にも唄われているとおり「お燈まつりは男のまつり山は火の滝、下り竜」そのものである。1964年(昭和39年)5月、和歌山県の無形民俗文化財に指定された。
新宮駅前には、お燈祭りの銅像が建っている。
熊野交通は2014年(平成26年)12月、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する熊野三山に観光客を誘致しようと、巫女をイメージした3人の萌えキャラを用意した。名前は公募で決めた。
熊野速玉大社は 速玉ナギ――熊野速玉大社のご神木で、良縁結びの信仰が厚い「なぎの木」から命名した。
熊野速玉大社は 速玉ナギ――熊野速玉大社のご神木で、良縁結びの信仰が厚い「なぎの木」から命名した。
熊野本宮大社は 本宮てるて――本宮地域の逸話にでてくる小栗判官の妻「照手姫」から命名した。
熊野那智大社は 那智霧乃――那智山、那智の滝にかかる清らかな霧をイメージし命名した。
交通アクセス
【鉄道】
- JR紀伊勝浦駅からバスで約20分
近隣の情報
- 熊野速玉大社には千点を超える国宝:ぱふぅ家のホームページ
- 熊野那智大社、青岸渡寺と那智の滝:ぱふぅ家のホームページ
- 熊野大花火大会は「自爆」が名物:ぱふぅ家のホームページ
- 光を反射、うろこ模様を描く丸山千枚田(2023年6月1日)
- 時代を超えた厚い信仰、先人も歩いた聖なる山へ(2022年7月26日)
- コロナ禍でお燈まつりの神事(2021年2月14日)
- 勇壮に早船競漕熊野川で速玉大社御船祭(2018年10月21日)
- 鯨類追い込み漁がスタート(2018年9月2日)
- 海の大輪、夜空彩る熊野大花火(2018年8月18日)
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- 「ゴジラ」の前に「だるま朝日」(2017年11月3日)
- 華やかに1万3300体 那智勝浦町でひなめぐり(2017年2月27日)
- 熊野那智大社 えとの絵馬を掛け替え(2015年12月4日)
- ハナゴンドウの赤ちゃん母親にぴったり(2015年4月18日)
(この項おわり)