
2016年10月15日 撮影

2018年3月15日 撮影
2018年(平成30年)3月15日に再び訪れたが、雪が積もっており、奥之院は閉まっていた。
奥之院の前にある巨大な金灯籠に雪が降り積もらないよう、屋根が設置されている。
奥之院の前にある巨大な金灯籠に雪が降り積もらないよう、屋根が設置されている。

2016年10月15日 撮影
麓から山寺を見上げたところ。結構な急斜面であることが分かる。

2016年10月15日 撮影

2018年3月15日 撮影
こちらは山寺登山口。根本中堂へ直結する。
根本中堂

2016年10月15日 撮影
立石寺の本堂に当たる根本中堂は、1356年(正平10年)に再建されたもので、入母屋造・五間四面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古とされている。
1908年(明治41年)、重要文化財に指定された。
1908年(明治41年)、重要文化財に指定された。

2018年3月15日 撮影
本尊として、慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像を祀っており、脇侍として日光・月光両菩薩と十二支天、その左右に文殊菩薩と毘沙門天を拝することができる。
根本中堂には、比叡山延暦寺より分けられた不滅の法灯を、建立当時以来千百数十年の間一度も消えることなく護っている。
織田信長により延暦寺が焼き討ちされた際、延暦寺の不滅の法灯が分灯され、1543年(天文12年)、再建した延暦寺に戻された。
織田信長により延暦寺が焼き討ちされた際、延暦寺の不滅の法灯が分灯され、1543年(天文12年)、再建した延暦寺に戻された。

2016年10月15日 撮影
写真は日枝神社の御神木で、慈覚大師円仁が手植えしたと伝えられているもの。根元まわりは約10メートルあり、高さは30メートル。山形市内最大のイチョウとして、1965年(昭和40年)に山形市指定天然記念物に指定された。

2018年3月15日 撮影
こけし塚

2018年3月15日 撮影
松尾芭蕉と河合曾良

2016年10月15日 撮影

2018年3月15日 撮影
句碑と並んで松尾芭蕉の像がある。

2018年3月15日 撮影
山門(登山口)から登山道へ

2016年10月15日 撮影
句碑を過ぎると、立派な山門があらわれる。
ここで巡拝料を払って、いよいよ千の石段を登っていくことになる。
ここで巡拝料を払って、いよいよ千の石段を登っていくことになる。

2016年10月15日 撮影

2018年3月15日 撮影
冬場は雪が凍結しており滑りやすい。

2016年10月15日 撮影
自然にそって作られた参道は、昔から修行者の道とされており、狭いところでは幅14センチほどしかない。

2018年3月15日 撮影
ここまで約430段。全体のおおよそ半分である。

岩山は、800万年前に噴火した堆積物から成る凝灰岩でできており、長い間の浸食(雲形浸食)により、独特の風景となった。これが山寺信仰に繋がる。

岩山は、800万年前に噴火した堆積物から成る凝灰岩でできており、長い間の浸食(雲形浸食)により、独特の風景となった。これが山寺信仰に繋がる。

2018年3月15日 撮影
「修行者の参道」の立て札の近くには、芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を読んだとされる場所「せみ塚」がある。

2016年10月15日 撮影
参道のあちらこちらには、滑車のような車がついた後生車という木柱があり、若くして亡くなった人々を供養している。
仁王門

2018年3月15日 撮影
仁王門は、1848年(弘化4年)に再建された、けやき材の立派な門である。
左右に安置された仁王尊像は、運慶の弟子たちの作といわれる。邪心をもつ人は登ってはいけないと睨みつけている。
ここまで約650段。あと少しである。
左右に安置された仁王尊像は、運慶の弟子たちの作といわれる。邪心をもつ人は登ってはいけないと睨みつけている。
ここまで約650段。あと少しである。

2016年10月15日 撮影
ここまで約650段。あと少しである。
開山堂

2016年10月15日 撮影
仁王門を過ぎると、慈覚大師円仁を祀る開山堂が見える。この御堂が建つ崖下に大師の遺骸を安置すると伝えられる入定窟がある。
御堂には大師の木造の尊像が安置されており、朝夕、食飯と香が絶やさず供えられ護られている。

史実では、円仁は864年(貞観6年)、比叡山で没しており、立石寺に実際に遺骸が移されたという記録は残っていない。
御堂には大師の木造の尊像が安置されており、朝夕、食飯と香が絶やさず供えられ護られている。

史実では、円仁は864年(貞観6年)、比叡山で没しており、立石寺に実際に遺骸が移されたという記録は残っていない。

2016年10月15日 撮影
奥之院の正式名称は「如法堂」で、慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来と多宝如来の両尊を御本尊とする。
左側の大仏殿には、像高5メートルの金色の阿弥陀如来が安置されている。
左側の大仏殿には、像高5メートルの金色の阿弥陀如来が安置されている。

2018年3月15日 撮影
この地方では人が死ぬと、その遺骨の一部「歯骨」を取っておき、一周忌前に山寺の奥之院へ納骨して供養してもらう風習がある。納骨しない人も、参詣の際に塔婆を納める仕来りである。

2018年3月15日 撮影

2016年10月15日 撮影
昔日の修行僧が彫ったものだろうか、参道には多くの石仏や岩塔婆を見ることができる。
五大堂

2018年3月15日 撮影
奥の院から少し下ったところにある五大堂は、開山30年後に建立された大明王を祀る道場で、断崖に突き出すように建っており、山中随一の絶景を望むことができる。

2016年10月15日 撮影
正面にある山が自分と同じ高さにあるかのように見え、まるで空中に浮かんでいるような感覚になる。

2018年3月15日 撮影
下界を見下ろすと、駅や門前町がミニチュア模型のように見える。

2018年3月15日 撮影
紅葉

2016年10月15日 撮影
立石寺は山形県内有数の紅葉の名所で、見頃は11月下旬から11月上旬。モミジ、イチョウ、ブナなどが美しく色づく。夜にはライトアップも行われる。

この日は観光ガイドがつき、途中、立ち止まりながら説明を聞き登ったためか、翌日以降に筋肉痛に悩まされることはなかった。

この日は観光ガイドがつき、途中、立ち止まりながら説明を聞き登ったためか、翌日以降に筋肉痛に悩まされることはなかった。
ありがたや 乳酸清めて 立石寺
交通アクセス

山寺駅

【鉄 道】 JR仙山線「山寺駅」より徒歩7分
【自動車】 山形自動車道「山形北I.C.」より約10km
【自動車】 山形自動車道「山形北I.C.」より約10km
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(この項おわり)
写真は、石段の終点にある奥之院と大仏殿で、標高は417メートル。登山道入口の標高は220メートルである。大人の足であれば片道30分あれば登れるが、江戸時代にこの地を訪れた松尾場所に倣い、ゆっくりと景色を眺めるのが風流というもの。往復2時間半は欲しいところ。