目次
- 比叡山延暦寺と高野山を比較する
- 京都から比叡山へ
- 比叡山東堂
- 高野山高 vs 比叡山高
- 比叡山から大津へ
- 交通アクセス
- 近隣の情報
- 参考サイト

根本中堂
写真の根本中堂は、織田信長による比叡山焼き討ちの後、天海の進言により、徳川家光が1634年(寛永11年)より8年の歳月をかけて再建したもので、1953年(昭和28年)に国宝に指定されている。1994年(平成6年)、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
2021年(令和3年)6月3日から5日かけ、伝教大師最澄の1200年(正治2年)大遠忌法要が執り行われた。

根本中堂は、東側の石段を登って文殊楼から見下ろすことができるのだが、この日はあいにくの霧雨で煙ってしまっている。
2021年(令和3年)6月3日から5日かけ、伝教大師最澄の1200年(正治2年)大遠忌法要が執り行われた。

根本中堂は、東側の石段を登って文殊楼から見下ろすことができるのだが、この日はあいにくの霧雨で煙ってしまっている。
京都から比叡山へ

八瀬比叡山口駅

高野川

ケーブル八瀬駅
さらに進む。

ケーブル八瀬駅

比叡山頂駅
比叡山頂駅に着いたら、少し歩いてバス停へ向かう。
比叡山東堂

東堂
比叡山山頂からバスに乗り、延暦寺バスセンター(東堂駐車場)で降りる。

ここで拝観料を払い、東堂にある国宝堂、根本中堂などを見学できる。

ここで拝観料を払い、東堂にある国宝堂、根本中堂などを見学できる。

大講堂
写真の大講堂は、1634年(寛永11年)の建築で重要文化財だったが、1956年(昭和31年)に火災で焼失した。

現在のものは坂本の讃仏堂を1964年(昭和39年)に移築したものである。本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られている。

現在のものは坂本の讃仏堂を1964年(昭和39年)に移築したものである。本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られている。

根本中堂
根本中堂や大講堂からなる東堂は、788年(延暦7年)、東大寺で受戒した伝教大師最澄が寺院を建立した延暦寺発祥の地である。

開運の鐘
大講堂の前にある鐘は「開運の鐘」と呼ばれている。誰でも自由に打つことができる。
最澄と空海
最澄は、12歳の時に出家し、14歳で得度、19歳で東大寺で具足戒を受ける。比叡山で修行し、788年(延暦7年)に薬師如来を本尊とする草庵を建立する。
804年(延暦23年)、38歳の時、7歳年下の空海とともに遣唐使船で唐へ渡る。ただし、最澄と空海は乗っていた船が違い、中国大陸に接岸した場所も時期も異なる。
最澄は翌年帰国する。一方の空海は、20年の約束のところをわずか2ヶ月で密教の大法を授かり、806年(延暦25年)に帰国する。813年(弘仁4年)、最澄は空海が持ち帰った阿闍梨灌頂を伝授するように願ったが、なお3年の実修を要すといって拒否された。
816年(弘仁7年)、空海は嵯峨天皇から高野山を賜り、弟子達に命じて伽藍の建立に取りかかった。
822年(弘仁13年)、最澄が56歳で死去。835年(承和2年)、空海は61歳で死去。

今回の関西旅行では、比叡山と高野山の両方を見学したわけだが、絵物語や国宝舘を備えて参詣者に自らの歴史を伝えようとする比叡山に対し、とんでもない数の墓石と絶えることのない念仏で参詣者を圧倒する高野山。織田信長に焼き払われた比叡山に対し、為政者とはうまく距離をとって立ち回ってきた高野山。
最澄が天才だとすれば、空海は超人という違いがわかる旅でもあった。

日本古代史が専門の榎村寛之さんは著書『謎の平安前期ー桓武天皇から「源氏物語」誕生までの200年』の中で次のように述べている。
804年(延暦23年)、38歳の時、7歳年下の空海とともに遣唐使船で唐へ渡る。ただし、最澄と空海は乗っていた船が違い、中国大陸に接岸した場所も時期も異なる。
最澄は翌年帰国する。一方の空海は、20年の約束のところをわずか2ヶ月で密教の大法を授かり、806年(延暦25年)に帰国する。813年(弘仁4年)、最澄は空海が持ち帰った阿闍梨灌頂を伝授するように願ったが、なお3年の実修を要すといって拒否された。
816年(弘仁7年)、空海は嵯峨天皇から高野山を賜り、弟子達に命じて伽藍の建立に取りかかった。
822年(弘仁13年)、最澄が56歳で死去。835年(承和2年)、空海は61歳で死去。

今回の関西旅行では、比叡山と高野山の両方を見学したわけだが、絵物語や国宝舘を備えて参詣者に自らの歴史を伝えようとする比叡山に対し、とんでもない数の墓石と絶えることのない念仏で参詣者を圧倒する高野山。織田信長に焼き払われた比叡山に対し、為政者とはうまく距離をとって立ち回ってきた高野山。
最澄が天才だとすれば、空海は超人という違いがわかる旅でもあった。

日本古代史が専門の榎村寛之さんは著書『謎の平安前期ー桓武天皇から「源氏物語」誕生までの200年』の中で次のように述べている。
天台宗の僧侶集団は、貴族ではない地方有力者で、秀才だが血統がない子弟も頭角を現せる、ハイクラスのエリート集団となり、いわば宮廷の外部シンクタンクとして機能し、国家仏教という仕組みの頭脳の部分を支配するようになる。のちに法然(地方豪族)や親鸞(下級貴族)、栄西(地方豪族)や日蓮(地方豪族?)ら、上級貴族以外、門閥を問わない出自の有名僧が延暦寺で学んでいたことは偶然ではない。
一方真言宗は少し違う展開を遂げた。空海はほとんど私的な学問僧として唐に渡り、当時流行していた真言宗を学び、一式まとめて持ち帰り、九州で修行僧として名を売ってから都に戻った。つまり新しい仏教のカリスマ布教者として個人からスタートしたわけだ。さらに都から遠い高野山を手に入れて修行の場を作る。しかし山に籠もったわけではなく、京内の官寺(国家によって造られ、監督を受ける寺院)だった東寺を任され、京と高野山に二大拠点を構えた、そして東大寺別当にも就任し、その後も真言宗は奈良時代の私度僧(官の許可なく出家した僧尼)で超能力者として有名な役小角ゆかりの大峰山の山岳信仰も傘下に収めて、京・奈良・高野・大峰と南に直線的な展開を遂げることになる。
高野山高 vs 比叡山高
比叡山から大津へ

東海自然歩道

ケーブル延暦寺駅

ケーブル延暦寺駅

ケーブル坂本駅
坂本ケーブルの麓のケーブル坂本駅も、1927年(昭和2年)の開業当時の姿ととどめている。1997年(平成9年)に国の登録有形文化財に登録された。

ケーブル坂本駅
沿線には木彫りの動物の置物が並ぶ。

京阪電車「坂本駅」
交通アクセス
近隣の情報
- 比叡山で初日の出:ぱふぅ家のホームページ
- 比叡山延暦寺と高野山を比較する:ぱふぅ家のホームページ
- 瑠璃光院のインスタ映えする紅葉:ぱふぅ家のホームページ
- 曼殊院は皇室一門が住職を務める門跡寺院:ぱふぅ家のホームページ
- 銀閣寺には「月」の趣を感じる:ぱふぅ家のホームページ
- 哲学の道は琵琶湖疎水に沿った散歩道:ぱふぅ家のホームページ
- 下鴨神社は「みたらし団子」発祥の地:ぱふぅ家のホームページ
- 京都大学は自由の学風:ぱふぅ家のホームページ
- 平安神宮は平安京遷都1100年を記念し、大内裏を再現:ぱふぅ家のホームページ
- 琵琶湖疎水と南禅寺:ぱふぅ家のホームページ
- 鞍馬寺の大天狗と牛若丸、そして尊天:ぱふぅ家のホームページ
- 八坂神社は祇園祭で有名:ぱふぅ家のホームページ
- 鴨川の三条大橋は東海道五十三次の終点:ぱふぅ家のホームページ
- 清水寺は奈良時代に開山:ぱふぅ家のホームページ
- 六波羅蜜寺は踊り念仏の空也上人が創建:ぱふぅ家のホームページ
- 八坂神社と延暦寺、神仏習合の儀式営む(2024年7月22日)
- 京都・下鴨神社で流鏑馬神事、3万人が「神業」に拍手(2024年5月5日)
- 伝統の足技「蹴鞠初め」、男女8人が下鴨神社で披露(2024年1月12日)
- 平安衣装鮮やかに手さばき優雅に札取り合う(2024年1月4日)
- 大晦日に縄をくるくる、無病息災祈り「をけら詣り」(2024年1月1日)
- 京都・先斗町、路地にある「水族館」(2023年11月28日)
- 「これやこの」逢坂の関にある蝉丸神社(2023年11月5日)
- 京都の紅葉シーズン幕開け:名所の永観堂、ライトアップの試験点灯(2023年11月2日)
- 国登録有形文化財にお茶屋「富美代」主屋など5件(2023年4月11日)
- 旗印は「欣求浄土」、熱心な信者だった家康が京都に築いた大伽藍(2023年4月3日)
参考サイト
(この項おわり)