景福宮は李氏朝鮮時代の王宮

2018年9月5日 撮影
光化門 - 景福宮
光化門
景福宮 (キョンボックン) は、李氏朝鮮時代の王宮である。韓国を代表する古宮のひとつで、日本語無料ガイドや、無人デジタルガイド機器のレンタルもできるので、韓国語がわからなくても観光できる。また、韓国の伝統衣装を来ていると入場無料になる。
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ヘチ - 景福宮
ヘチ
景福宮は古代東洋の制にしたがい、全部で3つの大門がある。1つめが外側を代表する光化門、2つめが景福宮全体の大門である興礼門、3つめが朝礼が行われていた勤政殿の出入口である勤政門である。コミック/アニメ『進撃の巨人』の舞台のようである。

光化門の脇には、空想上の動物ヘチが鎮座している。日本の狛犬に相当するもので、善悪を見分け災いを退けるものとして、古くから神聖な存在として扱われてきた。
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光化門 - 景福宮
光化門
光化門 (クァンファムン) は、1392年に即位した初代・李成桂 (イ ソンゲ) が、1394年に漢陽遷都した際、景福宮の正門(南門)として築いたものである。
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光化門の内側
光化門の内側
当初、四正門 (サジョンムン) と名付けられたが、1425年に光化門へと改められた。
1553年に火災で焼失し、1592年の文禄の役や1950年の朝鮮戦争の際にも消失している。
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ライトアップされた光化門
ライトアップされた光化門
1968年に鉄筋コンクリート製のものに再建され、2010年に現在の場所に再々建設された。この際、扁額をハングルから漢字に変えた。
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ライトアップされた
ライトアップされた光化門
夜間はライトアップされる。
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興礼門 - 景福宮
興礼門
光化門を入ると広い庭が広がり、その正面にあるのが中門の興礼門 (フンレムン) である。
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興礼門 - 景福宮
興礼門
当初は弘礼門 (ホンレムン) と名付けられたが、高宗の御代に興礼門として再建した。三門形式になっており、左右には小さなくぐり戸がある。
1916年、朝鮮総督府の建設により撤去されたが、2001年に復元された。
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勤政門 - 景福宮
勤政門
興礼門勤政門 (クンジョンムン) の間の空間は、王を護衛する兵器や軍事訓練を担当する近衛隊が配置されていた。
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勤政殿 - 景福宮
勤政殿
勤政殿 (クンジョンジョン) は景福宮の正殿で、国王が臣下の朝礼を受け、公式な国家儀式を行ったり、宴会が催され、また外国の使臣との接見が行われた。
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勤政殿の内部 - 景福宮
勤政殿の内部
宮殿は2階建てで、1階と2階は吹き抜けになっており、天井まで見渡すことができる。天井中央の竜の姿や丹青(王宮などの木造建築の壁、柱、天井などにさまざまな文様を鮮やかな色彩で描くこと)など華麗さと雄壮さを兼ね備えた優れた建築物である。中央に玉座がある。
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勤政殿の裏側 - 景福宮
勤政殿の裏側
勤政殿は1395年に建立されたが、1592年の文禄の役で消失。後李朝末期の1867年に再建、2001年に復元工事が完了した。
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勤政殿の内部 - 景福宮
勤政殿の内部
思政殿 (サンジョンジョン) は、勤政殿の裏にあり、国王が政務を執り行ったり、臣下たちと議論をかわす場所であった。
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康寧殿 - 景福宮
康寧殿
康寧殿 (カンニョンジョン) は、国王の寝室として使われていた。1395年、体操の時代に創建され、国王が健康で安らかであれば人民も安らかでいられるという意味から康寧殿という名前がつけられた。
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康寧殿 - 景福宮
康寧殿
中央に国王の寝室があり、周囲の8つの部屋には女官たちが寝泊まりしていた。
1994年に復元された。
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延生殿 - 景福宮
延生殿
康寧殿の東側にある延生殿 (ヨンセンジョン) は、西側の慶成殿 (キョンソンジョン) と並び、一回り小さな寝殿となっている。
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慶会楼 - 景福宮
慶会楼
慶会楼 (キョンフェル) は、国王と臣下が参席する重要な宴会や外国使臣を接待する宴会場である。
1412年、太宗の命令によって創建されたが、1592年の文禄の役で消失。後李朝末期の1867年に再建された。2005年から特別観覧が行われている。
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慶会楼 - 景福宮
慶会楼
集玉斎 (チボッジェ) は、1891年、高宗が移築したもので、書斎や外交使臣接見所として使っていた。煙瓦を積み、当時としては珍しい中国清風の建物で、内部は2階建てになっている。左側の八隅亭 (パルジョン) には、鮮やかな清風の金飾りで装飾されている。
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景福宮
景福宮は、1592年の文禄の役で全焼して以来、王宮としても不吉だという理由で再建されなかった。1865年、興宣大院君 (フンソンデウォングン) が再建に着手。
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景福宮
3年後に創建当時の規模に復元し、高宗が昌徳宮 (チャンドックン) から王宮を戻した。しかし、1895年、閔妃 (ミンビ) が殺害されるという事件が起こり、高宗がロシア公館に避難したことで景福宮は王宮としての役目を終えた。
景福宮の大きな写真大きな写真
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1910年、朝鮮総督府の開設に伴い、景福宮内にあった多くの殿閣は取り壊された。
1991年から本格的な復元事業がはじまり、工事は2025年までかかるという。
光化門広場
光化門広場
光化門から市庁 (シチョン) 方面へと続く世宗路 (セジョンノ) は2009年8月に完成し、光化門広場 (クァンファムンクァンジャン) が完成した。ここには、文禄の役で活躍した李瞬臣 (イ・スンシン) 将軍の巨大な銅像が建っている。
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参考サイト

(この項おわり)
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