彌彦神社は、2400年間にわたり国家国民の安寧を祈願

2019年10月5日・2023年10月7日 撮影
拝殿 - 彌彦神社
拝殿 2019年10月5日撮影
彌彦 (やひこ) 神社(新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2887-2)は、拝殿の背後にある弥彦山(標高634メートル;弥彦山ロープウェイで登ることができる)を御神体とする神社で、古い地名では伊夜比古 (いやひこ) と読む。越後国一宮。
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拝殿 - 彌彦神社
拝殿 2019年10月5日撮影
その歴史は、第6代孝安天皇の元年(紀元前392年)、天香山命 (あめのかごやまのみこと) が越後の開拓事業を終えて葬られたところに廟社が築かれたことに始まると伝えられている。土地の名にちなんで、天香山命は伊夜比古大神とも呼ばれる。
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拝殿 - 彌彦神社
拝殿 2019年10月5日撮影
以来2400年間、天皇陛下を始め皇室の御安泰と御繁栄、国家国民の安寧を祈願している。参拝方法は、2礼4礼拍手1礼。上の写真は、新天皇の御即位・大嘗祭のために奉納された酒樽。
本殿は1912年(明治45年)に焼失し、1916年(大正5年)に現在地に再建された。同時に、参詣路線として弥彦線が開業した。
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一の鳥居 - 彌彦神社
一の鳥居 2019年10月5日撮影
一の鳥居は高さ8.4メートル、柱間6メートル。1916年(大正5年)に建造され、笠木の屋根は銅板葺、朱塗りで境内地のランドマークとなっている。国の登録有形文化財に指定されている。
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一の鳥居 - 彌彦神社
一の鳥居 2019年10月5日撮影
よく見ると、四脚建ての親柱は地上から6cmほども浮いている。接地させないことによって、雪による柱の腐食を防ぐ効果があるという。
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随神門 - 彌彦神社
随神門 2019年10月5日撮影
随神門 (ずいしんもん) は、紀元二千六百年を奉祝し、1940年(昭和15年)に建立された。
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随神門 - 彌彦神社
随神門 2023年10月7日撮影
随神門は参道に建ち、悪霊の侵入を防ぐ門番の神(随神)を両脇に置く。
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随神門 - 彌彦神社
随神門 2019年10月5日撮影
随神門から拝殿を望む。
門内の左右には、紀伊国熊野から伊夜日子大神に随行し、大神の宮居を警護する長気 (おさげ) (向かって右側)、長邊 (おさべ) (向かって左側)の兄弟神を祀っている。
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随神門 - 彌彦神社
随神門 2019年10月5日撮影
拝殿側から見た随神門。
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摂社・末社 - 彌彦神社
摂社・末社 2019年10月5日撮影
拝殿の近くに摂社・末社があり、伊夜日子大神から数えて6代の御子孫神(六王子)を奉祀する摂社と、ゆかりの深い末社が合せて18社ある。
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武呉神社 - 彌彦神社
武呉神社 2019年10月5日撮影
武呉 (たけくれ) 神社は、伊夜日子大神の息子、天五田根命 (あめのいつたねのみこと) を祀っている。伊夜日子大神とともに越後の平定と開拓に尽力したと伝えられている。

社務所では、これら摂社の御守りを授けてもらえる。
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十柱神社 - 彌彦神社
十柱神社 2019年10月5日撮影
十柱 (とはしら) 神社は、大穴牟遅命 (おおなむぢのみこと) をはじめとする山川草木などの十柱の神を祀っており、1694年(元禄7年)に長岡藩主・牧野氏が建立したもので、桃山時代の建築手法が見てとれる。国の重要文化財に指定されている。
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宝物殿 - 彌彦神社
宝物殿 2019年10月5日撮影
宝物殿は1968年(昭和43年)に新築され、重要文化財の大太刀や香炉、重要美術品の鏡や鐙をはじめ、新潟県出身の美術家の作品を展示している。神武天皇から上皇陛下までの肖像画が展示されていた。入場有料。
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相撲場 - 彌彦神社
相撲場 2019年10月5日撮影
相撲場は、1916年(大正5年)の遷座から100周年の記念事業として、2015年(平成27年)に建設された。
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相撲場 - 彌彦神社
相撲場 2023年10月7日撮影
日本相撲連盟の土俵基準に則した本格的な相撲場だ。
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相撲場 - 彌彦神社
相撲場 2019年10月5日撮影
相撲場の脇には、神様に献じる初穂が並んでいた。
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鹿苑 - 彌彦神社
鹿苑 2019年10月5日撮影
『万葉集』に
伊夜彦 (いやひこ)  神の麓に 今日 (けふ) らもか 鹿の伏すらむ 皮服 (かはごろも) 着て  (つの)  () きながら
と読まれていることにちなみ、鹿苑では鹿が飼育されている。
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日本鶏舎 - 彌彦神社
日本鶏舎 2023年10月7日撮影
日本鶏舎では、天の岩戸神話に登場したり、神話とゆかりの深いニワトリを飼育している。
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日本鶏舎 - 彌彦神社
日本鶏舎 2023年10月7日撮影
新潟県の天然記念物である「蜀鶏 (とうまる) 」をはじめ、貴重な在来種を保護育成している。
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日本鶏舎 - 彌彦神社
日本鶏舎 2019年10月5日撮影
日本鶏舎では、天の岩戸神話に登場したり、神話とゆかりの深いニワトリを飼育している。新潟県の天然記念物である「蜀鶏 (とうまる) 」をはじめ、貴重な在来種を保護育成している。
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明治天皇行在所跡 - 彌彦神社
明治天皇行在所跡 2019年10月5日撮影
1878年(明治11年)9月15日、明治天皇が北陸を巡幸した際、弥彦神社の祠官 (しかん) ・五十嵐宅の奥庭に設けられた行在所 (あんざいしょ) に宿泊され、翌日、弥彦神社に御親拝された。
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明治天皇行在所跡 - 彌彦神社
明治天皇行在所跡 2019年10月5日撮影
明治天皇は新潟に18日間滞在し、県内をほぼ縦断された。
随行員の総勢3千人に上る大移動だったと伝えられている。
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万葉の道 - 彌彦神社
万葉の道 2023年10月7日撮影
『万葉集』には彌彦神社を詠んだ歌が2首収められていることにちなみ、万葉の歌に詠まれている草木のうち、弥彦山に自生する78種を選び、拝殿脇から弥彦山ロープウェイ山麓駅への沿道に植栽して、1982年(昭和57年)に「万葉の道」と名付けられた。
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神社の敷地内には、1950年(昭和25年)に開設された弥彦競輪場があり、三条と燕の職人たちの遊興の場となった。

交通アクセス

【鉄道】
  • 弥彦駅より徒歩20分
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出発地の最寄駅:

目的地:
彌彦神社 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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