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1846年(弘化2年)に二の丸御殿が焼失したため、1848年(弘化4年)に本丸御殿として再建する。この頃、越前松平家は17万石に達し、川越藩の歴史の中で最も石高が多くなった。
明治時代に入り、堀を埋め、城の取り壊しがはじまり、1873年(明治6年)の廃城令を受けて川越城内の不用・破損の建物等の売却が行われた。現在、川越城址の大部分は市街地となり、本丸御殿の多くも取り壊された。現在残っているのは玄関、大広間部分と家老詰所のみとなっている。
明治時代に入り、堀を埋め、城の取り壊しがはじまり、1873年(明治6年)の廃城令を受けて川越城内の不用・破損の建物等の売却が行われた。現在、川越城址の大部分は市街地となり、本丸御殿の多くも取り壊された。現在残っているのは玄関、大広間部分と家老詰所のみとなっている。

玄関を入って真正面には36畳の大広間があり、隣には使者の間がある。これらの部屋を囲むように幅2.7メートルの広い廊下がつながっている。広い和室、枯山水などの手入れの行き届いた庭、広い廊下の組み合わせが越前松平家17万石の風格をいまに残す。

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(この項おわり)