西暦1368年 - 明の建国

紅巾軍の朱元璋が建国
朱元璋
朱元璋
元代の末、白蓮教 (びゃくれんきょう) という仏教の秘密結社が中心となって農民反乱を起こす。紅色の頭巾を目印としたことから紅巾の乱 (こうきんのらん) と呼ばれる。紅巾の乱は1351年から66年まで続いた。

1368年、紅巾軍の指導者の一人である朱元璋 (しゅげんしょう) (のちの洪武帝 (こうぶてい) )は「回復中華」のスローガンを掲げ、地主勢力と結んでモンゴル勢力を北方へ退けた。そして、金陵(現在の南京)を首都とする (みん) を建国する。
1280年から1340年にかけ、ウォルフ極小期と呼ばれる地球規模での寒冷化が起き、農作物の収量が落ち、農民は苦境に立たされた。
これに追い打ちをかけるようにヨーロッパでは黒死病が猛威を振るい、元帝国が整備した交易ルートにも伝染し、駅伝を維持できなくなった。

貧農出身の朱元璋は文字も読めなかったという。農民反乱による王朝は長く続かないが、明は250年間も続いた。
洪武帝は農本主義をとり、農作物の収量を回復させ、疫病対策を行い、徴税の徹底と農民の軍事利用体制を整えた。通貨を廃止し、物々交換を奨励した。万里の長城を補修し、北方からの異民族の侵入を防いだ。また、官僚を徹底的に監視することで中央集権体制を確立した。一方で、大量の処刑者も出した。
また、民間人による貿易を禁じ、国家が交易を管理する朝貢貿易 (ちょうこうぼうえき) 勘合貿易 (かんごうぼうえき) )を行う。周辺国に対し中華思想を示し、国力の違いを見せつけることで交易を有利に進めた。
こうして明は急速に国力を蓄えていった。

クーデターで帝位に就いた第3代皇帝・永楽帝は、世界帝国を目指して攻勢に出る。自ら軍を率いてモンゴル高原へ遠征する一方、イスラム教徒の宦官・鄭和 (ていわ) は大艦隊を率いてインド洋から東アフリカへの航海を繰り返し、明への朝貢を求めた。
1421年には紫禁城 (しきんじょう) を完成させ、北平(現在の北京)へ遷都した。

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(この項おわり)
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