紀元前212年 - シラクサ陥落

シラクサ包囲戦
シラクサ包囲戦
第一次ポエニ戦争でシチリア島全体を支配下に置いたローマであったが、シラクサ(ギリシア名:シュラクサイ)だけはローマの同盟国として独立を保っていた。第二次ポエニ戦争の紀元前214年から212年にかけ、ローマ軍はアルキメデスが開発した兵器で守られていた要塞都市シラクサを包囲し、陥落させる。陥落後にアルキメデスは処刑された。

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シラクサ建設から第一次ポエニ戦争まで

プラトン
プラトン
シラクサは、紀元前733年にシチリア島東岸にギリシア人の植民都市として建設された。ペルシア戦争ではギリシアの都市として登場する。
紀元前4世紀初頭、ディオニュシオス1世が僭主政治を行い、シラクサを要塞都市化し、三度にわたってカルタゴと戦った。このころプラトンシラクサに一時滞在し、その政治に関与し、理想国家の建設を目指した。しかし、僭主と意見が対立しアテネに戻った。太宰治の短編『走れメロス』の舞台となったのが、僭主ディオニュシオス1世の時のシラクサである。
第一次ポエニ戦争
第一次ポエニ戦争
紀元前3世紀半ば、イタリア半島の統一を進め、地中海貿易に進出したローマとカルタゴの利害の対立が表面化した。ローマは、シラクサが救援を求めてきたことを口実に、紀元前264年にカルタゴとの間に第一次ポエニ戦争が勃発する。紀元前241年にローマは勝利を収め、シチリア島全体を支配下に置き、シラクサと同盟関係を結んだ。

シラクサ包囲戦

アルキメデス
アルキメデス
要塞都市シラクサは、全長27kmの城壁で囲まれており、14の塔で周囲を監視し、6つの門を介して外部との行き来することができた。
シラクサで生まれたアルキメデスは、80kgの石を発射できる投石機を城壁上に配置するなど、要塞の改装を指揮した。
紀元前218年に第二次ポエニ戦争が勃発し、紀元前215年に14歳のヒエロニムスが王位に就くと、カルタゴのハンニバルが同盟を働きかけてきた。新王は反対を押し切ってカルタゴとの同盟に踏みきったが、ローマ軍はたちまちシラクサを包囲してしまう。
シラクサの防御は堅かったが、ついに紀元前212年に陥落し、アルキメデスも処刑されてしまう。紀元前211年、シラクサは属州シチリアの州都としてローマの支配下に入る。

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