
アル=アズハル大学
シーア派の一派「イスマーイール派」の指導者アブー=アブドゥッラーは、自らを預言者ムハンマドの娘ファーティマと第4代カリフ・アリーとの子孫であると称し。信者からはマフディー (救世主) とあがめられていた。
アブー・アブドゥッラーはチュニジアで挙兵し、北アフリカを支配、910年(延喜10年)にカリフを自称した。イスラーム帝国は、アッバース朝、後ウマイヤ朝、ファーティマ朝の3人のカリフが共に立つ時代に入った。

969年(安和2年)、エジプトを征服したファーティマ朝は、カイロを建設し、973年(天禄4年)に首都とした。
972年(天禄3年)、カイロにアズハル学院を設立して、シーア派のイスラーム神学・法学研究の中心地となった。

11世紀前半の第8代ムスタンシルの時代は国力も充実していたが、後半に入るとシリアをセルジューク朝に奪われた。
11世紀末、セルジューク朝の分裂に乗じてエルサレムを占領したが、間もなく第1回十字軍の侵攻を受け、奪い取られてしまう。

1171年(嘉応3年)、スンナ派のアイユーブ朝に取って代わられる。

969年(安和2年)、エジプトを征服したファーティマ朝は、カイロを建設し、973年(天禄4年)に首都とした。
972年(天禄3年)、カイロにアズハル学院を設立して、シーア派のイスラーム神学・法学研究の中心地となった。

11世紀前半の第8代ムスタンシルの時代は国力も充実していたが、後半に入るとシリアをセルジューク朝に奪われた。
11世紀末、セルジューク朝の分裂に乗じてエルサレムを占領したが、間もなく第1回十字軍の侵攻を受け、奪い取られてしまう。

1171年(嘉応3年)、スンナ派のアイユーブ朝に取って代わられる。
この時代の世界
(この項おわり)