
平将門

藤原忠平
930年(延長8年)に下総国に帰郷するが、所領をめぐって、伯父の平国香と衝突する。935年(承平5年)、国香を敗死させた。
この頃、東国の国司は中央の命令を無視して私腹を肥やすものばかりで、民衆は重税と労役にあえいでいた。さらに937年(承平7年)11月には富士山が噴火し、各地は凶作と飢饉に見舞われた。将門は、鉄製の農具を作ったり、原野を開墾するなどして、民衆の生活の安定に努めた。ちょうどこの頃、将門のかつての主君であった藤原忠平が太政大臣になっている。
この頃、東国の国司は中央の命令を無視して私腹を肥やすものばかりで、民衆は重税と労役にあえいでいた。さらに937年(承平7年)11月には富士山が噴火し、各地は凶作と飢饉に見舞われた。将門は、鉄製の農具を作ったり、原野を開墾するなどして、民衆の生活の安定に努めた。ちょうどこの頃、将門のかつての主君であった藤原忠平が太政大臣になっている。

菅原道真

藤原純友
この情報は京都に伝えられ、怨霊として畏れられていた菅原道真の名前が出たことで、朝廷内は混乱した。

同じ頃、追い打ちをかけるように、瀬戸内海で海賊の取り締まりを行っていた藤原純友が反乱を起こした。自らが海賊の首領となり、伊予の国府や大宰府を攻め落としていったのだ。

同じ頃、追い打ちをかけるように、瀬戸内海で海賊の取り締まりを行っていた藤原純友が反乱を起こした。自らが海賊の首領となり、伊予の国府や大宰府を攻め落としていったのだ。

将門の首塚 2011年1月16日撮影
しかし、朝廷の動きは素早かった。940年(天慶3年)1月、平将門を討ち取った者を貴族に取り立てるという太政官符を発令した。この動きを知らなかった将門は、田起こしのために兵を帰郷させていた。

将門によって殺された平国香の嫡男・貞盛と、下野の有力豪族・藤原秀郷が連合し、将門の本拠地である岩井(現在の千葉県坂東市)に兵を進めた。将門軍は奮闘したが、圧倒的な劣勢の中、2月14日、平将門は戦死する。

将門によって殺された平国香の嫡男・貞盛と、下野の有力豪族・藤原秀郷が連合し、将門の本拠地である岩井(現在の千葉県坂東市)に兵を進めた。将門軍は奮闘したが、圧倒的な劣勢の中、2月14日、平将門は戦死する。

築土神社 2011年1月16日撮影
藤原秀郷によって京都へ運ばれた将門の首は、京の町で晒され、3日後には笑い声を立てて東国へ飛び去ったという。途中で分裂して落下し、その中でも最も有名なのが、東京・大手町にある平将門の首塚である。

約束通り、平貞盛と藤原秀郷は貴族に取り立てられた。
これ以降、武士の政治への発言力が強まる。

約束通り、平貞盛と藤原秀郷は貴族に取り立てられた。
これ以降、武士の政治への発言力が強まる。
この時代の世界
参考書籍
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小説平将門 | ||
著者 | 童門冬二 | ||
出版社 | 集英社 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 2002年07月25日頃 | ||
価格 | 1,152円(税込) | ||
ISBN | 9784087474626 | ||
栄華を誇る摂政関白・藤原忠平に仕えていた平将門は、猟官に明け暮れる生活に嫌気がさし、美しい湖水に囲まれた故郷の東国へ帰って行く。だが、そこには父祖の地を奪おうとする親族たちが待っていた。彼らを相手に苛烈な戦いを展開する将門を支えたものは、中央から独立し、理想の王国を築こうとする燃えるような熱情であった。夢を追い求め、純粋に突き進む風雲児の悲劇の生涯を描く長編。 | |||
![]() |
その時歴史が動いた 第33巻 | ||
著者 | 日本放送協会 | ||
出版社 | アノニマ・スタジオ | ||
サイズ | 全集・双書 | ||
発売日 | 2005年06月 | ||
価格 | 1,760円(税込) | ||
ISBN | 9784877583460 | ||
栄華と挫折、武士の時代の変革者たち。 | |||
(この項おわり)
平将門は桓武平氏の出自で、918年(延喜18年)に後の太政大臣にとなる藤原忠平に仕えるが、官位は低く、滝口の衛士でしかなかった。