『スペースシャトルの落日』――工業製品は単機能がいい

松浦晋也=著
表紙 スペースシャトルの落日
著者 松浦晋也
出版社 エクスナレッジ
サイズ 単行本
発売日 2005年05月
価格 1,430円(税込)
ISBN 9784767804187
何でもかんでもできる万能機械は、ほぼ間違いなくどの目的にとっても不十分な代物になる。(102ページ)

概要

スペースシャトルのイラスト
私は、アポロ宇宙船の活躍の記憶がほとんど無い世代である。私が記憶に残っているアポロといえば、ソユーズ宇宙船とドッキングした最後のアポロ宇宙船である。そのころから雑誌などでスペースシャトルの記事は目にしていた。スカイラブが地上に落下した頃は、プログラム電卓で落下コースを予測していたものである。
そして、満を持して登場したスペースシャトルに歓喜した。ジャンボジェット機の背中に乗って滑空試験を行ったエンタープライズ号のプラモデルを組み立て、これで宇宙ステーションや火星への有人飛行時代がやってくると確信していた。
それから四半世紀が経過したが、状況は一向に進んでいない。有人火星飛行はおろか、月にも二度と降り立つことはなかった。現在建設途上の宇宙ステーションが1機、地球周回軌道を回っているのみである。その間に2機のスペースシャトルと多くの人命が失われた。
もう、誰もが気づいているはずだ――スペースシャトルは失敗作だったと――。

著者の松浦晋也さんは、慶応義塾大学工学部機械工学科を卒業し、航空・宇宙関係を専門とするノンフィクション・ライターとして活躍している。本書は、スペースシャトルが壮大な失敗作だったという主張を、正確な根拠に基づき展開している。さらに、「シャトルの運行が続いた結果、宇宙開発は停滞した」(6ページ)とまで言い切る。
そもそもの失敗は、「検討開始の時点で、スペースシャトルは、人を運ぶ乗用車、荷物を運ぶトラック、推進剤を運ぶタンクローリーなどを兼ねるものということになってしまっていた」(102ページ)ことにあると主張する。この主張は、「何でもかんでもできる万能機械は、ほぼ間違いなくどの目的にとっても不十分な代物になる」(102ページ)という単純な経験則に基づく。

工業製品は、単機能である場合に最大の効力を発揮する。
会社の製品開発会議の席上で、企画担当者が持ってくるマーケティング調査結果から、「万人に受け入れられる多機能な」製品に賛成したことはないだろうか。「我が社の技術力なら、これだけの機能をこんなに小さいボディに埋め込める」――そんな甘言に踊らされ、無理を承知で基本設計を書いたことはないだろうか。そういう製品は、十中八九失敗する。運良く売れたとしても、ロングセラーにはなり得ない。逆に、製品寿命中に故障を繰り返し、製造した企業自身に迷惑をかける代物になりかねない。

松浦さんは、「良い機械の条件は『安い』『使いやすい』『壊れない』なのだ」(91ページ)と主張する。われわれ技術者は、本来、そういう製品を開発しなければならないはずだ。
スペースシャトルは、われわれ技術者にとっての反面教師だ。
松浦さんは、ロケットの基本的な性質として、「ロケットはひたすら宇宙を目指して上昇していくのではない。空気があると加速の邪魔になるので、仕方なく空気が薄くなる高度まで、損を承知で上っていく」(120ページ)と指摘する。これは力学的にも根拠のあることで、ロケットは「空気が十分に薄くなる高度60〜70キロあたりから水平に加速するようになる」のである。
つまり、ロケットエンジンによる本格的な加速が必要なのは60〜70キロより先の話で、ここまでは別の手段で運んできても良いのである
もし今、私がロケット技術者だったら、迷わず「軌道エレベーター(宇宙エレベーター)」の研究に転向するだろう。60〜70キロの高度までは、のんびりとエレベーターで上昇させてやればよい。動力は電動でいいだろうし、巨大な塔の材料は、ナノテクで造れる可能性が見えてきている。
轟音をとどろかせて飛び立つ巨大ロケットのようなインパクトはないだろうが、目的は、安価に、楽に、安全に、宇宙へ飛び立つことである。技術者として、この基本コンセプトを忘れてはいけない。
ロケットの開発競争が続く本音は、ミサイルへの転用に尽きる。日本はミサイルを作る必要がないのだから、そろそろ軌道エレベーターへ軌道修正したらどうだろうか。
(2006年2月7日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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