『悲鳴をあげる学校』――親の“イチャモン”から“結びあい”へ

小野田正利=著
表紙 悲鳴をあげる学校
著者 小野田正利
出版社 旬報社
サイズ 単行本
発売日 2006年12月
価格 1,540円(税込)
ISBN 9784845110032
人間を対象とする教育改革には、そのなかに明確な理念と合理性があることはもちろん、その後に到来する社会と人間がどのようになっていくのかについての“見通し”が必要なはずですが、それが欠落したまま事態だけが進んでいます。(92ページ)

概要

学校を嫌がる子供のイラスト(女の子)
子どもの小学校の運動会の閉会式で、校長先生が、近所の協力に対して大変感謝している旨の発言をした――何もそこまで謙らなくて、と思ったのだが、本書を読んで事情が薄々わかってきた。

私は「ゆとり教育」に反対の立場である。
私たちは偏差値教育のまっただ中で育ち、いわゆる「詰め込み教育」を受けてきた。たしかに当時は厳しいものがあり、親に泣き言を言ったものだが、大人になってからは、むしろ感謝している。それを「反省」し、四半世紀にわたって延々と「教育改革」を続ける姿勢は、半世紀以上にわたり「革命」を叫び続ける某国のようではないか。しかも、われわれの受けた教育が「否定」されているようで、無性に腹が立つ。
だからといって、学校に、先生にイチャモンをつけるのは筋違いだということは承知している。私が相手にしなければならないのは、文部科学省であり、内閣府である。私は、時として、彼らにイチャモンを叩きつける。

だが、「お上」に直接イチャモンをつけられない人もいるだろう。住民税が上がっても、年金記録が無くなっていても、「お上」にイチャモンをつけるには勇気がいる。そこで、怒りのはけ口として、イチャモンをつけやすい、だれでもがお世話になる広い公共サービス――教育・医療――に向かうというのは、わからないではない。
そこで少しだけ思いとどまってもらえないだろうか。
子どもの前で、大人の「知恵」と「勇気」を示して欲しい。自分にとって「何かヘンだ」と感じたら、相手がどんなに強大であろうが、知恵を絞って、勇気を出して、発言してほしい。そうでないと、この国は、子どもたちにとって、とても住みにくい国になってしまうような気がする。
(2007年6月15日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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