『巨人たちの星』シリーズ――トンデモと陰謀うずまくSF長編

J.P.ホーガン=著

目次

星を継ぐもの

表紙 星を継ぐもの
著者 ジェームズ・P.ホーガン/池央耿
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 1980年05月
価格 770円(税込)
ISBN 9784488663018
ダンチェッカー「ならば、行ってわれわれの正当な遺産を要求しようではないか。われわれの伝統には、敗北の概念はない。今日は恒星を、明日は銀河系外星雲を。宇宙のいかなる力も、われわれを止めることはできないのだ
月面バギーのイラスト
月面調査隊が真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。ミイラ化した死体「チャーリー」を検査するため、トライマグニスコープを発明した物理学者ヴィクター・ハントが招聘された。たかが検死のためになぜそこまで金をかけるのか――疑問を感じるハントに国連宇宙軍本部長グレッグ・コールドウェルはこう言った。「何者であるかはともかく……チャーリーは5万年以上前に死んでいるのです」。チャーリーを調べている生物学者クリスチャン・ダンチェッカーは、解剖学的にみて人類であると断言する。
月では、チャーリー以外にも複数の死体が発見され、居住基地の発掘も進んだ。ハントはグループLを率い、データを専門家の間で共有し、議論することで、彼ら「ルナリアン」の研究が進んだ。そんな中、ルナリアンの施設から食料が発見された。ダンチェッカーは呻いた。「この魚は、地球の生物とは何の繋がりもないのです」――。
さらに月の裏側のほぼ全域にわたり、約5万年前、300メートルの厚さに達する岩石や土砂がぶちまけられたことが分かった。偶然の一致だろうか。
ルナリアンは、いまは存在しない太陽系第10番惑星「ミネルヴァ」で暮らしていたのだ。その場所は、いま‥‥どんなか、木星の衛星ガニメデで、2500万年前の巨大宇宙船が発見された。乗員の死体は、地球の生物とはまったく異なる解剖学的特長をもつ巨人「ガニメアン」であった。
ハントとダンチェッカーはガニメデへ向かった。そして、ルナリアンとガニメアンの謎はを総括した――だが、発表が終わった後でダンチェッカーは言った。「問題はまだ解決していないのです」。そして、ホモ・サピエンスの進化に関わる重要な仮説を語り始める。
ジェームズ・P・ホーガン
ジェームズ・P・ホーガン(Wikipediaより)
コンピュータ・セールスマンからSF作家に転じたイギリスのジェームズ・P・ホーガンが、1977年、一気に書き上げた処女作だ。翻訳されたのは1980年5月。SFブームに乗って、たちまち人気を博した。

出だしは、SF界の巨人アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』において、月面でモノリスが発掘されたシーンを思い起こさせる。古くからのSFファンは、クラークこそハードSFの雄であり、ホーガンの評価はすこぶる悪かった。
だが、本書でも触れられているとおり、最後の有人月面探査を行ったアポロ17号が地球に帰還したのは1972年12月14日。本書はその5年後に刊行されており、月の描写の精微さからいけば、『星を継ぐもの』に軍配を上げざるを得ない。
ハントとダンチェッカーがガニメデで調査をするのが2029年11月という設定――『2001年宇宙の旅』よりも四半世紀後の設定とはいえ、あと7年である。クラークもホーガンも鬼籍に入ってしまったが、どうやら、仲良く木星探査時期の予言は外れそうだ。

1986年、ホーガンはSF大会(DAICON5)に来日。SF大会から発生したGAINAXが製作協力したNHKアニメ『ふしぎの海のナディア』の最終回タイトルは「星を継ぐ者…」(1991年4月12日放映)であった。
(2022年2月13日 読了)

ガニメデの優しい巨人

表紙 ガニメデの優しい巨人
著者 ジェームズ・P.ホーガン/池央耿
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 1981年07月
価格 814円(税込)
ISBN 9784488663025
ハント「宇宙そのものがおかしくなって破裂しても、ガニメアンたちは後に残って破片を拾い集めてもと通りにしようとするだろうね、きっとだ
木星のイラスト(惑星)
木星の衛星ガニメデで発見された2500万年前の巨大宇宙船をめぐり、生物学者クリスチャン・ダンチェッカーを中心に科学者たちの議論は続く。謎の酵素、二酸化炭素への耐性の低さ。そして、宇宙船に乗っていたガニメアンたちは、何らかの理由で地球のほとんど全ての種を惑星ミネルヴァへ移住させた。
ある日突然、未知の宇宙船が木星探検隊に接近してきた。乗っていたのはガニメアンだった。その宇宙船は、2500万年前にミネルヴァを出発したシャピアロン号。そして、シャピアロン号を制御するコンピュータ「ゾラック」が、ガニメアンと地球人の会話を相互翻訳し、たちまちコミュニケーションが確立できた。しかし、ゾラックは戦争を理解できなかった。
ガニメアンは威張らず、驕らず、決して他を貶めなかった。一方、彼らは自ら卑下せず、謙遜せず、決して他に媚びなかった。ガニメアンは間違っても脅迫的な言辞を弄さず、また仮に他からそのような態度を示されたとしても一向に恐れる気配はなかった。そうした気質は、ミネルヴァにおける生物進化の過程にあった。
ミネルヴァに肉食動物はいなかった。ガニメアンもベジタリアンだったが、たちまち木星探検隊は意気投合し、スコッチ・ウィスキーとガニメアン酒を酌み交わした。

2500万年前、ミネルヴァの大気中の二酸化炭素が増加し、ガニメアンたちは存亡の危機に立たされた。地球を探査し、多様で獰猛な生物が跋扈していることに驚き、彼らは地球を〈悪夢の惑星〉と名付けた。ガニメアンは、知的生物に進化するはずのなかったはずの地球で、2500万年後に人類が科学技術を発達させたことは驚異だと語った。

ガニメデに埋もれていたガニメアン宇宙船の部品を流用し、シャピアロン号の修理が完了した。シャピアロン号はミネルヴァの残骸である冥王星を訪れ、厚い氷原の下に眠る同胞を弔った。
ガニメデに戻ってきたシャピアロン号は、ほどなくして地球へ向かった。ハントダンチェッカーもシャピアロン号に同乗し、地球に帰還した。人類はガニメアンを歓迎した。
6か月にわたってガニメアンたちは地球を隈なく旅行し、世界中の国々を訪れてそれぞれの行き方を知ることに努め、文化に触れ、住民に接した。社会的な地位の上下、貧富、有名無名の別なく、彼らは公平に行く先々で人間と言葉を交わした。

ある日、シャピアロン号の司令官ガルースは、ミネルヴァのガニメアンは、ルナリアンの星図に残された〈巨人の星〉へ向かって移住したとして、シャピアロン号に乗ってそこへ向かうと宣言し、一族を率いて地球を後にする。主任科学者シローヒンは「あなたは、どこかの恒星間空間に向かって死の旅に皆を連れ出そうとしているのよ」と、ガルースに詰め寄った。ガルースはシローヒンと機関長ジャシレーンに、地球の生物進化の真実を語る。
一方、地球に残ったダンチェッカーは、データと推論の果てに、ガルースが語った真実に辿り着いており、それをハントに語った――。
星を継ぐもの』の続編として著したSF長編だ。身長8フィートの巨人ガニメアンが、2500万年の時を超えて人類の前に姿を現す――。

地球を訪れたガニメアンたちが、「インドとUSAは遠く離れているのにUSAにレッド・インディアンがいる」「アメリカ大陸の東に西インドがある」「白ロシアの人はピンク色」など、21世紀の小説では書きにくそうなネタを、ズバズバ発言するところが面白い。ホーガンは、自身の世界観をガニメアンに語らせているように思えてならない。
だが、ガニメアンは聖人君子ではない。司令官ガルースは、自責の念から、一族を再びシャピアロン号に乗せて、〈巨人の星〉へ向かって出発する。
彼らのその後がどうなったのか――続編『巨人たちの星』で明らかにされる。
(2022年2月19日 読了)

巨人たちの星

表紙 巨人たちの星
著者 ジェームズ・P.ホーガン/池央耿
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 1983年05月
価格 1,034円(税込)
ISBN 9784488663032
カレン・ヘラー「わたしたち法律家は、実験を繰り返す贅沢は許されません。犯罪者が条件を一定に保った実験室で同じ罪を犯すということはまずありませんから。それだけに、わたしたちは最初の判断が肝腎なのです
宇宙船のイラスト(母艦)+宇宙のイラスト(背景)
ガニメアンたちを乗せたシャピアロン号が地球を去ってから3ヵ月がたった。ガニメアンの子孫であり、故郷の惑星ミネルヴァを離れ、24光年離れた巨人の星「ジャイスター」へ移住したテューリアンとの交信が続いており、地球がだいぶ前から監視されていることが明らかになった。
そんななか、テューリアン代表団が地球を訪れることになった。物理学者のヴィクター・ハントは、生物学者クリスチャン・ダンチェッカーや国連宇宙軍本部長グレッグ・コールドウェル、政治家たちと、北極圏にあるマグラスキー空軍基地へ向かった。そこに現れたのは、ボーイングの超音速VTOL中距離輸送機だった。機内から流暢な英語でハントたちを案内したのは、テューリアンのコンピュータ・システム〈ヴィザー〉だった。

ヴィザーはテューリアン世界とリアルタイムにネットワークしており、ハントたちはあっという間にテューリアンへ運ばれた。テューリアン政府代表のプライアム・カラザーが地球人たちを出迎えた。地球人たちは、シャピアロン号を攻撃・破壊し、全面戦争に突入するという事実に反する映像を見せられた。
テューリアンたちは、自分たちは地球について2つのまったく異なる報告を受けていること、そして国連の動きが不自然であることから、直接、ハントたちに話を聞くことにしたのだ。テューリアンに偽の情報を流していたのは、ジェヴレン人たちだった。

アメリカは、当初、国連月裏面代表団のソヴィエト代表ミコライ・ソプロスキンが陰謀をめぐらしているのではないかと考えていたが、ソ連もテューリアンとの交流は積極的だった。怪しいのはスウェーデン代表で委員会議長二ールス・スヴェレンセンだった。
ジェヴレン人とは何者か。スヴェレンセンの正体とは――陰謀・策謀とは無縁のガニメアンやテューリアンは呆然とした。地球人により5万年間に及ぶ謎が解明され、因果の円環は閉じたのだった。
ガニメデの優しい巨人』の続編であり、「巨人の星」シリーズは3部作としていったん完結するのだが‥‥。

ガニメアンの子孫テューリアン、その保護下にあり地球を監視するジェヴレン人が新たに登場し、ルナリアンや地球人との5万年にわたる因果のもつれを解き明かし、その円環が閉じてゆく――全2作とは異なり、経済学、倫理学といった社会科学系の舞台設定が導入され、ホーガンの手になるトンデモは陰謀論と結びついて話を面白おかしく進めていく。

コロナ禍の最中、ネットではトンデモ医学と陰謀論が乱れ飛んでいるが、本書を読むと、その親和性の高さも頷ける。科学は現象の再現性を求めるが、ホーガンはカレン・ヘラーに「わたしたち法律家は、実験を繰り返す贅沢は許されません」と語らせる。なぜなら、「犯罪者が条件を一定に保った実験室で同じ罪を犯すということはまずありませんから。それだけに、わたしたちは最初の判断が肝腎なのです」――逆に考えると、「最初の判断」を間違えると、すべてが陰謀論となり、トンデモに結びついていくのだ。
死してなお、世界情勢を予言し続けるジェイムズ・パトリック・ホーガンは、おそるべきSF作家である。
(2022年2月23日 読了)

漫画『星を継ぐもの』

表紙 星を継ぐもの 第1巻
著者 星野之宣/ジェームズ・P.ホーガン
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2011年06月30日
価格 1,361円(税込)
ISBN 9784091838889
表紙 星を継ぐもの 第2巻
著者 星野之宣/ジェームズ・P.ホーガン
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2011年11月30日
価格 1,361円(税込)
ISBN 9784091842305
表紙 星を継ぐもの 第3巻
著者 星野 之宣/J・P・ ホーガン
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2012年04月27日
価格 1,361円(税込)
ISBN 9784091844279
表紙 星を継ぐもの 第4巻
著者 星野 之宣/J・P・ ホーガン
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2012年09月28日
価格 1,466円(税込)
ISBN 9784091847201
星を継ぐもの』『ガニメデの優しい巨人』『巨人たちの星』が、SF漫画家、星野之宣 (ほしの ゆきのぶ) によって2011年から『ビッグコミック』に連載された。
原作から30年以上が経過していることもあり、コールドウェルが女性になっていたり、ソ連の姿が消え、最初からジェヴレン人が陰謀をめぐらせていることが描かれている。また、地球とミネルヴァの生物進化に独自の解釈が持ち込まれており、原作とは違った楽しみ方ができる。
ガニメアンの造型もさることながら、ダンチェッカーの姿形はこれしか無いだろうというほどに強烈である。

内なる宇宙

表紙 内なる宇宙(上)
著者 ジェームズ・P.ホーガン/池央耿
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 1997年08月
価格 924円(税込)
ISBN 9784488663179
表紙 内なる宇宙(下)
著者 ジェームズ・P.ホーガン/池央耿
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 1997年08月
価格 924円(税込)
ISBN 9784488663186
ヴィクター・ハント「好奇心は大切だよ。でも、肝腎なのは客観性だ。そこを忘れてはいけない
電脳空間に飛び込んだ人のイラスト(男性)
物語は、ホーガンと同じイギリス人作家J・R・R・トールキンが描くようなファンタジー世界から始まる。
一方、ジェヴレンでは新興宗教が興り、狐憑きのような教祖が民衆を扇動していた。こうした宗教は、人工知能〈ジェヴェックス〉を取り上げられ無気力になっていたジェヴレン人に浸透しつつあり、統治を任されたガニメアンガルースの手に負えない状況になっていた。
ガルースは、やむを得ず、旧知の地球人物理学者ヴィクター・ハントに助けを求める。ハントは、生物学者クリス・ダンチェッカー、フリージャーナリストのジーナらをともない、ジェヴレンを訪問する。
ジェヴレンへ到着するなり事故に巻き込まれたハントは、薬物やセックスといった闇の世界に迷い込み、一方、ジーナは、ジェヴェックスヴィザーが提供する仮想現実の恐るべき副作用について気づく。
そして、ジーナが闇の勢力に連れ去られるところで、上巻が終わる――どうです?ヒロインが敵に連れ去れてるなんて、日本アニメの脚本のようでしょう(笑)。

下巻で救出されたジーナは、記憶が書き換えられ、ハントたちをスパイするように刷り込まれた。日本アニメにもよくありますね。ヒロインがヒーローの敵側に取り込まれる話が。ホーガンの面白いところは、それを超能力や魔法ではなく、ホーガン流の科学的舞台装置でやり遂げてしまうところ。本作は、あくまでハードSFなのです。

物語は、新興宗教の指導者で巨悪ポジションのユーベリアスが、かつての政治的指導者が兵器工場としていた惑星アッタンへ向かうところで佳境を迎える。工場としての機能を失ったはずのアッタンに、果たして何があるのか!?
ハントはついに、宗教指導者の豹変ぶりは狐憑きではなく、「内なる宇宙=エントヴァース」に由来するものだという仮説に至る。一行は、全知全能ヴィザーのバックアップを得てエントヴァースへ転移したはずだった。だがそこで、思わぬ危機に直面する――そして、物語は大団円を迎える。
巨人たちの星』から10年ぶりとなる第4部――冒頭でホーガン自身が述べているように、『巨人たちの星』に続く謎は無いとされていた。円環の理(→魔法少女まどか☆マギカ)は閉じたはずだった。だが、ジェヴレンの混乱はどうなったか――。

また、ホーガン自身がファンタジーは書けないと言っているが、『造物主の掟』(1983年)はファンタジーの要素を取り入れていた。本作に登場するエントヴァースは、それを超えた舞台設定になっており、それを比較するのも面白いだろう。
エントヴァースには超能力や魔法のような力が存在するが、これを打ち破るのに、同じ力ではなく、「スター・ウォーズ」をヒットさせたアメリカという国の遊園地や攻撃ヘリを持ち出すのは、イギリス人特有のジョークであろう。

本作の真骨頂は、コンピュータ・ネットワークや人工知能が人間に及ぼす副次作用を仮説提起しているところにある。そこには、サイバーパンクのような難しさはないし、『攻殻機動隊』や『マトリックス』のような厭世観もない。科学は常にハッピーエンドをもたらす。
私たち技術屋は、ヴィクター・ハントクリス・ダンチェッカーと同じく、これらのシステムを「便利な道具」としてしか見ていない。ハントは最後にこう言う「好奇心は大切だよ。でも、肝腎なのは客観性だ。そこを忘れてはいけない」(351ページ)。
さて、皆さんはどうだろうか。ネットに常時接続し、Siriやスマートスピーカーを使い、スマホのカメラを通してみる仮想現実に慣れることで、何か生活の変化は起きていないだろうか――いや、変化は起きていても自覚はないだろう。そこから「内なる宇宙」が始まる‥‥Facebookあらためメタバースなんて目じゃないぜ。第5作 "Mission to Minerva" の翻訳が待ち遠しい‥‥。
(2018年6月27日 読了)

ミネルヴァ計画

表紙 ミネルヴァ計画
著者 ジェイムズ・P・ホーガン/内田 昌之
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 2024年12月11日頃
価格 1,540円(税込)
ISBN 9784488663360
ミルドレッド「競争がやる気を生み出すのだとされています。……まあ、もちろんそれは事実です。でも、それがすべてではないでしょう? もっと深く、もっと遠くまで届く何かがあるはずなんです……
カラビ-ヤウ空間
かつてNASAの本拠地の1つだったゴダード・センターにある国連宇宙軍(UNSA)先進科学局から数マイル離れたバーでくつろいでいるヴィクター・ハント博士に惑星外からの電話が入った。相手はハント博士で、「そちらはどの時点なんだ?」と聞いてきた。電話は間もなく切れてしまった。
クリスチャン・ダンチェッカー教授は困惑していた。突然変異はランダムなものではなく、環境から受け取る合図によって引き起こされるという実験結果が得られたからだ。
ハントは、オーウェンの退職祝いの席上で、異なる世界線からかかってきた電話のことを公表した。グレッグ・コールドウェルはマルチヴァース間通信の調査プロジェクト〈トラムライン〉のメンバーとして、ハントダンチェッカー、ハントの助手ダンカン・ワット、ダンチェッカーの助手サンディ・ホームズの4人を指名。そこにドイツ人のヨーゼフ・ゾンネブラントと中国人理論家マダム・シーアン・チェンが加わり、一行は宇宙船〈イシュタル〉号に乗ってテューリアンへ旅立った。ダンチェッカーの従姉妹で作家のミルドレッドは、取材のために〈イシュタル〉号に乗ることが決まっていた。

ハントが惑星テューリアンに到着すると、ミルドレッドから通話が入った。ダンチェッカーと3人でヴィザーの宇宙のツアーに出かけるという約束の話をしたが、ハントはそんな約束をした覚えはなかった。ハントは2人の都合に合わせてツアーに参加し、〈シャピアロン〉号の司令官だったガルースシローヒンたちとマルチヴァースについて議論する。ツアーの最後に、ミルドレッドはマルチヴァース全体にあるすべてのヴィザーを連携するアイデアを披露する。ハントは驚いた。彼自身にもそんな発想はなかったからだ。
ゾンネブラントもまた、ハントと同じ違和感を覚えていた。どうやら、何らかの影響を受けているのはハントゾンネブラントだけではないが、まったく影響を受けていない人もいるようだ。
地球の権力者を「極めて合理的な実利主義者ではありますし、あらゆる面で“効率”を追求することに関してはとても優秀でしょう。でも、健全で正常な文化の基盤となるべき人間の価値というものに対する情緒的能力や感受性が欠如しているんです」と言うミルドレッドの考え方を、テューリアンの高官フレヌア・ショウムは高く評価し、彼女と心を通じ合わせる。
一方、ハントたちの混乱は深刻だった。サンディが持っているサイン帳と同じものが3冊も出てきた。ヴィザーの調査によると、彼ら全員が共有して生活しているこの現実には、少なくとも4つの異なる過去の宇宙から来た人たちが含まれていることが明らかになったからだ。
惑星テューリアンにいるヴィザーのもとへ、地球のFBI捜査官を名乗るポークから電話がかかってきた。コールドウェルの秘書ミッツィは「まあ、FBIですから」と言うが、ハントには何が起きているのか分からなかった。
間もなく、惑星テューリアンの裏側、およそ10万マイルの領域に、そこに存在しないはずのものが突然あらわれ、突然消えていった。さらに、MP2から届くデータストリームを再現しているヴィザーによって、ハントは、2人のイージアンダンチェッカー、そして、もう1人の自分自身に出会う。そしてついに、別の宇宙の少し過去への通信に成功する。

ショウムは、テューリアンと地球人の考え方の違いについて思索をめぐらしていた。テューリアンは生命をつかさどるプログラムは惑星上で生まれたわけではないと知っているが、地球人はその逆だ。地球人は、自らの内なる性質を見ているものに投影し、その後で、自分が見ているものが外的な現実であると勝手に納得する。それは、かつてガニメアンが地球人に与えたトラウマの産物ではないだろうかと疑念が湧いてくる。
ショウムははカラザーと対話し、事実を大切にするテューリアン人らしく、マルチヴァース・プロジェクトの成功によって、ブローヒリオとジェヴレン人が来訪する前のルナリアンがどんな人たちだったかを確認することができると言う。
カラザーは悩んだ。実験は彼の管理を離れ、地球人が主導権を握りつつあったからだ。テューリアン人にとって、それは受け入れがたいことだった。

テューリアンと地球人によるプロジェクト・チームは、シャピアロン号に人を乗せて5万年前に転移させる準備を整えた。ハントたちは、マルチヴァースの中でミネルヴァが救われる過去を生み出したかった。
一方、時空の混乱を生き残ったイマレス・ブローヒリオとジェヴレン船団は、5万年前の惑星ミネルヴァの近くに現れた。ミネルヴァの人類はセリオスとランビアの二大勢力に分かれて対立していたが、まだ戦争状態にはなかった。ブローヒリオたちは、フレスケル゠ガルらランビアの強硬派に接触する。
フレスケル゠ガルが王位を簒奪しセリオスとの戦端が開かれた時代にシャピアロン号が到着し、ランビア人ジセックから状況を聞き出す。シャピアロン号はさらに時間を遡り、ジェヴレン船団が存在しないはずのミネルヴァに到着した。だが、ハントの前に現れた映像は、明らかにブローヒリオだった。セリオスとランビアの最終戦争を止めるどころか、シャピアロン号と元の宇宙を結ぶリンクがリンクが立たれてしまう。ハントダンチェッカーガルースは、それぞれが孤立して絶体絶命の状況だったが‥‥。
月面、モノリス、真紅の宇宙服
アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』への不満から、DECのセールスマンをしながら『星を継ぐもの』を書き上げ、月面からモノリスというワケワカラン物体ではなく、5万年前の〈人間〉を発掘してみせた。まるでアルゴリズムで記述されているような明快で合理的なストーリーの『巨人たちの星』シリーズは、4作目の『内なる宇宙』でAIが普及した未来を予測する。さらにブローヒリオという最後のフラグを、本作で回収してみせる。
全作品を通じての主人公であり、まるで E.E.スミスのSFに出てきそうな物理学者のヴィクター・ハントは、本作では、アーティ・ストラングが提示した莫大な出演料を断ったり、財務不正捜査課のポーク捜査官からしつように電話がかかってきて辟易としたり、物質的合理性の先にある〈何か〉を予言しているように感じた。

ダンチェッカーの従姉妹でバリバリ文系女子のミルドレッドハントに「ラジオのチューニングに少し似ていますね」と言う下りで、ホーガンが描くマルチヴァースが分かったような気がする。波長が異なる電磁波は同時に同じ場所に存在できる。本書では触れていないが、振動数が異なる超ひもが同時に同じ場所に存在できるということではないだろうか。そして、別の宇宙のハントダンチェッカーが現れた状況を「支離滅裂」と訳しているが、原語は incoherent――科学用語としては、波長が互いに干渉できない状況を指す。この言葉をもってきたホーガンは慧眼だが、それを「支離滅裂」と訳した内田昌之さんは流石である。

そして、第1部の後半でテューリアン人フレヌア・ショウムと地球人女性ミルドレッドが対話するところが、本書の核心だと思う。エピローグで、ミルドレッドがウィーンにある書店でのんびりと新作『テューリアン精神』のサインに応じている様子から、ハントに物質的合理性の先にある〈何か〉を与えた真の主人公はミルドレッドではないだろうか。
本にサインをする女性
45年にわたって、楽しみ、考えさせられる作品を届けてくれたJ.P.ホーガンに、あらためてお疲れさまでしたと申し上げたい。
とはいえ、まだ翻訳されていない長編が残っている。東京創元社さんには一踏ん張りしていただき、どうか私が生きているうちに届けてほしい。これが物質的合理性とは関係のない、偽りのない想いである。

参考サイト

(この項おわり)
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