『マーダーボット』シリーズ

マーサ・ウェルズ=著/中原尚哉=訳

目次

表紙 マーダーボット・ダイアリー(上)
著者 マーサ・ウェルズ/中原 尚哉
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 2019年12月11日頃
価格 1,100円(税込)
ISBN 9784488780012
弊機は自分がなにをやりたいのかわかりません。これはすでにどこかで述べたと思います。だからといって、やりたいことをだれかに教えられたり勝手に決められたりするのはいやなのです。だから弊機は去ることにしました。(154ページ)
サイボーグのイラスト
システムの危殆
保険会社から惑星探査クルーのもとに派遣された人型警備ユニットの“弊機”は、ひそかに自らをハックして自由になりましたが、対人恐怖症で、娯楽フィードに逃避しがち‥‥。
弊機自身は勤務をするうえで、顧客について必要なこと以外はモニターしていませんが、弊社は全記録にアクセスできます。そして勝手にデータマイニングをかけて外部に販売しています。これについて顧客の同意は得ていませんが、みんな知っていることです。
今回は、ストレスの少ない顧客たちで、喧嘩や気まぐれな対立は起きず、そばにいても疲れません。ただし弊機に話しかけたり交流を求めたりするのは迷惑です。通話で直接質問されるのではなく、フィード経由の問いあわせにしてほしいものです
そんな顧客たちが生命の危機に晒されています。惑星の反対側に着陸したクルーは全員が殺されていました。衛星通信が途絶し、弊機のシステムが乗っ取られそうになりました。
弊機はクルーに全てを打ち明けました。これまでの雑な仕事ではなく、顧客の命が狙われる状況になって以後の真剣な仕事においてはとりわけそうです。気が進まなくても。
メンサー博士がプリザベーション連合の政体そのものでした。弊機はメンサー博士を助けながら敵と対峙し、その機能は最小限まで低下してしまいました。遺棄を推奨します。
そのとき、メンサーが声を荒らげました。「静かに。遺棄はしない」
クルー全員が助かりました。そして、メンサー博士は、弊機の契約を恒久的に買い取りました。もしこれが幻覚だとしても、弊社がいきなり英雄的救助隊のようにあらわれてプリザベーション補助隊を救い出すなどという内容は奇抜すぎます。
弊機は自分がなにをやりたいのかわかりません。これはすでにどこかで述べたと思います。だからといって、やりたいことをだれかに教えられたり勝手に決められたりするのはいやなのです。だから弊機は去ることにしました。大好きな人間のメンサー博士、あなたにこれが届くころには、弊機は企業リムから出ていっているでしょう。備品リストから消え、姿も消します。マーダーボットからのメッセージは以上です。

人工的なあり方
警備ユニットはニュースを観ません。弊機が統制モジュールをハッキングしてフィードにアクセスできるようになったあとも、世の中のニュースには無関心なままです。理由の一つは、娯楽メディアのほうがダウンロードするのに安全で、通信衛星やステーションのネットワークに仕掛けられた監視プロセスにひっかかりにくいからです。
弊機は補給物資を必要としません。自己完結型のシステムなので食料も水も不要。液体も固形物も排出しません。空気もほとんどなくてかまいません。人間が不在なら生命維持系は最低水準で生きられます。
弊機は、不愉快千万な深宇宙調査船「ART」とフィードのやり取りをしています。弊機は、人やものを守るのは好きです。効率よく守る方法を考えるのも好きです。正義をなすことも好きです。
弊機は、不具合が起きて大量殺人を犯し、そのあとで統制モジュールをハックしたのか。それとも統制モジュールをハックしたから大量殺人を犯したのか。可能性はこの2つのどちらかと考え、ガナカ鉱区へ向かおうとしています。しかし、ARTは〈そもそもその事件は起きたのか、起きなかったのかよ〉と反論してきました。たいへん不愉快です。
弊機はARTの提案を受け入れ、形態変更し、標準的な警備ユニットではなくなりました。鏡に映る自分をしばらく眺めました。人間に近くなったように見えます。これではロボットのふりをできません。
弊機は警備コンサルタントのふりをして、ラミ、タバン、マロの依頼を引き受けることで、ステーションへ簡単に侵入できました。
彼らは、明らかに罠であるにもかかわらず、トレーシーのところへ行こうとします。はっきりいって殺されにいくようなものです。弊機が期待していたのはもっと簡単な、たとえば文書の配達のような仕事でしたが、これは危険を承知で行動する人間を警護する仕事です。ですが、弊機の仕事は、今回の顧客を生き延びさせることです
着陸態勢にはいったシャトルのシステムがキルウェアに制圧され、危うく墜落するところでした。弊機がこれ以上かかわる必要はありません。彼らが殺し屋の元雇用主と対面したいというなら勝手にさせればいい。しかしそれでも顧客です。弊機は、内心でため息をつきました。
3人はファイルの奪還に失敗しました。しかし、顧客たちは生きています。彼らの知的財産はとりもどせなかったとはいえ、それは業務の範囲外。そう思おうとしましたが、だめです。
弊機は、3人をステーションへ送り出し、一人、ガナカ鉱区へ向かいました。そこで手に入れた情報は、慰安ユニットに感染させるはずだったマルウェアが警備ユニット、ボット、ドローンに感染し、施設内を行動できるすべての機械が異常を起こしたということでした。
これからどうするのか、計画を進めるのか、まだ決めていません。ガナカ鉱区の真相を知れば、やるべきことはおのずと決まると思っていました。しかしそんな都合のいい展開はメディアのなかだけのようです。
そういえば、目当ての船に乗るまえに新しいメディアをダウンロードしておくべきでしょう。また長い旅になりそうです。
表紙 マーダーボット・ダイアリー(下)
著者 マーサ・ウェルズ/中原 尚哉
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 2019年12月11日頃
価格 1,144円(税込)
ISBN 9784488780029
今回の原因は不安です。こんなときの対策はいつもおなじ。メディアに耽溺します。(192ページ)
宇宙船のイラスト(母艦)
暴走プロトコル
プリザベーション補助隊の事件をきっかけに脱走ボットとなった“弊機”は、ミルー星へ向かうため、騒々しい年季契約労働者たちが乗ったボット運航船に同乗しました。そこで弊機は、アビーン博士、ヒルーン、ウィルケン、ガースらがテラフォーム施設を調査に来ていることを知りました。弊機はまず、アビーンのペットロボット、ミキに接触し、情報を集めます。ことデータ管理に関して人間はまったくあてになりません。
調査隊はドローンの襲撃を受けましたが、人間は警備ユニットに劣っており、急速な状況変化についていけません。弊機は一行の救出に成功し、自分で自分をほめました。だれもよくやったと言ってくれないからです。しかし、ヒルーンが捕らえられています。
弊機が囮となって被ルーンを救出する作戦です。ガースが「幸運を」と言いましたが、弊機はクソ野郎と思いました。
いろいろあって、弊機はメンサー博士に渡すべきデータを地質学ポッドから入手し、ミキの友人である人間たちも救いました。あとは去るだけです。

出口戦略の無謀
ヘイブラットン・ステーションに帰ってきた弊機は、銃弾で穴だらけになった服を何とかしようとして、意を決して大きな旅行用品店にはいりました。自動販売機を使ったことはありますが、本物の商店は初めてです。着替えると気分が変わりました。娯楽フィードでおもしろそうな新作ドラマをみつけたときの気分と似ています。
ニュース・フィードを読むと、メンサー博士がグレイクリス社から企業スパイとして告発されています。そもそもメンサー博士は非法人政体の惑星理事長です。なのに企業スパイ容疑とはどうしたことでしょう。
どうやらグレイクリス社はメンサーが弊機をミルー星へ送って、同社の悪行を暴露したと思っているようです。これはまずい。グレイクリス社は人間の集まりです。理にかなったことをするとはかぎりません。不安です。こんなときの対策はいつもおなじ。メディアに耽溺します。
弊機は、メンサーの救出交渉をしている、かつての仲間、ビン・リー、ラッティ、グラシンを捜し出しました。どうやらメンサーはグレイクリス社に捕らえられているようです。彼らは、グレイクリス社の代理人セラードとの交渉に臨みます。これまで何度も人質交換交渉を見てきた弊機の考えでは、相手の態度ははったりです。本音ではとにかく身代金がほしいのです。
ピンが返ってきたことで、弊機はメンサーの居場所を特定しました。弊機はセラードの首を絞めました。人間たちが「侍て」「やめろ」と騒ぎますが、弊機は「殺してはいません。自制しています」と答え、セラートをカウチに横たえました。
弊機はメンサーに再会しました。「まあ、どうしても必要なら、抱き締めてもらってもかまいません」。メンサーは弊機を抱き締めました。弊機は胸の温度を上げて、これは救急医療だと自分に言い聞かせました。
弊機は戦闘警備ユニットと不利な戦いを強いられます。しかし、負けたくない。
弊機は砲艦と一体化し、ついにメンサーを救い出しました。
〈やったぞ。ざよあみろ〉弊機は考えました。
突然、弊機は重大な障害に見舞われました。記憶の再構築に時間がかかります。
メンサーは「ポットや構成機体は人間そっくりの外観だから、いつかは人間になりたいはずだと思われている」と言いますが、弊機は「そんなばかげた話は聞いたことがありません」と言いました。
弊機は何をやりたいのか分かりません。しかし、メンサーは仕事を選択するチャンスを与えてくれました。選択肢があり、すぐに決める必要はない。いいことです。考えるあいだの居場所もあるようです。

レビュー

マーサ・ウェルズ
マーサ・ウェルズ(Wikipediaより)
作者のマーサ・ウェルズは、テキサスA&M大学で人類学の学位を取得。1993年に長編 "The Element of Fire" で単行本デビュー。「システムの危殆」は2017年に発表され、ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞の各部門を受賞した。

対人恐怖症で、仕事の合間にダウンロードしたドラマを見て過ごす警備ユニット(アンドロイド)“弊機”の一人称で話が進む――ケチな弊社による束縛を嫌い、善良なハッカーではあるけれど、顧客との直接対話は苦手で、けっして本名を明かさない。まるで自宅警備員のような“弊機”が可笑しい――『灰羽連盟』の原作者・安倍吉俊がカバーイラストを担当しているのも秀逸だ。
「システムの危殆」では、統制モジュールを自らハックして自律した弊機が、メンサー博士と出会い、社会的にも保険会社から自立するまでの話。つづく「人工的なあり方」「暴走プロトコル」で、失敗と成功経験を積んだ弊機は、「出口戦略の無謀」でメンサーを救出する。
自己犠牲を厭わず進んで人助けをする弊機なのだが、なぜか「人間にはなりたくありません」と主張し、「自分がなにをやりたいのかいまだわからない」と言う。
本作は紛れもないロボットSFなのだが、弊機の立ち位置は、恐怖の象徴としてのメアリー・シェリーのフランケンシュタインとも違うし、人類に限りなく奉仕をするアシモフのロボットでもない。幸せの青い鳥を探して自分探しの旅を続けるロマンティストのようでもあり、面倒くさいオタクのようでもある。ともかく現代人臭いのである。人類学の学位をもつ作者ならではの、新しいSFロボットが誕生したようだ。
(2022年2月14日 読了)
表紙 ネットワーク・エフェクト
著者 マーサ・ウェルズ/中原 尚哉
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 2021年10月12日頃
価格 1,430円(税込)
ISBN 9784488780036
あなたの統制モジュールを無効化できます。
電脳空間に飛び込んだ人のイラスト(女性)
かつて大量殺人を犯したとされた人型警備ユニット=殺人 (マーダー) ボットの“弊機”は、アラダ博士やティアゴ博士がいる海洋研究施設を警備していたが、突然、襲撃を受け被弾する。
弊機”は、かつて、グレイクリス社に囚われていたプリザベーション連合評議会議長メンサー博士を救出し、その縁で、彼女の警護を続けていた。
メンサーは“弊機”に、調査隊に同行している娘のアメナの警護をするよう依頼したのだった。だが、調査隊のメンバーは、全員が“弊機”を信頼しているわけでは無かった。
弊機”たちは何とか敵を撃退し、軌道上の母船にドッキングすると、ワームホールを抜けてブリザベーションへ向かった。ブリザベーション宙域に入ると、正体不明の宇宙船の襲撃を受け、アメナと“弊機”は囚われてしまう。正体不明の宇宙船には、エレトラという女性とラスという男性が囚われていた。アメナと“弊機”は2人と協力し、正体不明の宇宙船からの脱出を試みる。
弊機”は正体不明の宇宙船に見覚えがあった。それは、かつて、“弊機”の逃亡を手助けしてくれた不愉快千万な調査船 (アスホール・リサーチ・トランスポート) ART」(ペリヘリオン号)だった。だが、正体不明の強化人間はARTを消去したと主張する。はたしてARTは消えてしまったのか‥‥。そして、埋め込まれたインプラントによってラスは死んでしまい、エレトラも重傷を負った。“弊機”とアメナはエンジンルームに入った。そこで見たものは‥‥。
想定よりはるかに早い時間でワームホールから出てみると、脱出ポッドで母船へ逃げたはずのティアゴ、オバース、ラッティと合流する。
弊機”の活躍で復活したARTは、放棄されたコロニーの調査に向かったはずだった。そこでARTの記憶は途切れており、目覚めてみると乗組員がいなくなっていたという。

ARTが到達した星系には、40年近く前にアダマンタイン社が開発に失敗して放棄されたコロニー惑星があった。
バリッシュ‐エストランザ社がコロニー惑星をサルベージしようとして宇宙船を送り込んだが、何かの事故かトラブルに巻き込まれたらしい。エレトラはその生き残りだった。ARTは、漂流しているバリッシュ‐エストランザ社の補給線を発見し、“弊機”とアメナが乗り込み、レオニード管理者にエレトラを引き渡し、代わりに情報を得ようと交渉する。
補給船を離れたARTから、“弊機”、オバースラッティの3人が、謎の解明とARTの乗組員を探すため、コロニー惑星の宇宙港へ降下する。その前に、“弊機”はARTの重武装を活用するために、自らのコピーをARTにインストールすることを提案するが、ARTに拒絶される。

コロニー惑星で、“弊機”はアイリスという女性を含む5人のART乗組員を救助する。
だが、“弊機”は敵の攻撃を受けて機能を停止し、捕らわれてしまう。ARTは“弊機”を救出するため、そのコピーである「マーダー・ボット2.0」を敵のネットワークに侵入させる。
アダマンタイン社が開発に失敗した敵の存在が明らかになる。だが、“弊機”は、いまもにも敵制御システムに乗っ取られそうな状況である。そんなとき、“弊機”の参照空間に入り込んだ“2.0”が「シャットダウンして、ユニットを破壊してください。さあ、早く」と言った。だが、そんなことをすれば“2.0”は消滅してしまう。“2.0”は言う。「わかっています。なんのためのキルウェアだと思っているんですか。ばかですね。やってください」。“弊機”はミキのことを思い出していた――。

すべてが終わり、ブリザベーションからメンサーが乗った武装船が救援に駆けつけた。ARTは“弊機”に一緒に仕事をしないかと持ちかける。
弊機”は、とりあえずARTのインデックスをキーワード検索して、『時間防衛隊オリオン』よりさらにリアリティのない作品をみつけると、ARTは第1話を流しはじめたのだった――。

レビュー

対人恐怖症で皮肉屋で、仕事の合間にダウンロードしたドラマを見て過ごす警備ユニット(アンドロイド)“弊機”の一人称で話が進むマーダーボット・シリーズ初の長編である――誰かに束縛されることを嫌い、善良なハッカーではあるけれど、相手から寄られるのは苦手で、けっして本名を明かさない。そのくせ、最初に救助したメンサー博士に対して「大切なのは弊機ではなく、あなたです」と言い放つ。まるで自宅警備員のような“弊機”が可笑しい――引きつづき、『灰羽連盟』の原作者・安倍吉俊がカバーイラストを担当している。

前作で登場した調査船ARTに加え、今回は警備ユニット3号が暴走仲間に加わる。各々に個性があって面白い。また、“弊機”のスピード感のあるアクションシーンが増し増しで、実写化したら面白い映画になると思う。
そして、表紙に描かれている可愛い少女アメナ(メンサーの娘)を中心に、総出で“弊機”の救出に向かい、大団円を迎える。

“弊機”は、統制モジュールの束縛から解放された警備ユニット3号にこう言う。「変化は怖いものです。選択も怖い。しかし、行動を誤ると自分を殺すものが頭のなかにはいっているのは、もっと怖いです」――さて、貴方は行動を誤ると自分を殺すような束縛を受けていないだろうか。そういった束縛から解放されたとき、何をしていいのか分からなくなっていやしないか。そんなときは、“弊機”のように籠もって好きなコンテンツを視聴しよう😏
堺三保 (さかい みつやす) さんの「解説」にあるとおり、マーダーボット・シリーズは、「遠未来のアンドロイドの話を描いているようで、この物語は現代人とそれを取り巻く環境のメタファー」なのである。

2024年1月、アップルTV+でドラマ『マーダーボット』として放映されることが決まった
(2022年3月1日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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