『女たちの平安後期』――歴史を裏で支える女性たち

榎村寛之=著
表紙 女たちの平安後期
著者 榎村寛之
出版社 中央公論新社
サイズ 新書
発売日 2024年10月21日頃
価格 1,144円(税込)
ISBN 9784121028297
八条院領は鎌倉幕府に近いネットワークだった。というより、鎌倉幕府そのものが、八条院と同様の権力体を王権に認めさせて成立したものといえるように思う。(ページ)

概要

源氏物語絵屏風
源氏物語絵屏風
著者は、斎宮歴史博物館学芸員で関西大学等非常勤講師の榎村寛之 (えむら ひろゆき) さん。日本古代史が専門で、本書は2023年に刊行された『謎の平安前期―桓武天皇から「源氏物語」誕生までの200年』の続編にあたる内容だ。

藤原道長の時代は摂関政治の全盛期で、藤原氏が権力を独占したが、平安後期には源氏や平氏、皇族、下級貴族なども台頭した。
紫式部
紫式部
地方で実績を積み家司として貴族家政を担う下級貴族や、元皇后に与えられる「女院」という称号を持つ女性たちが活躍した。紫式部は『源氏物語』にこうした宮中の様子を反映させ、藤壺が女院として成功する物語を描き、女院の活躍を予見したともいえる。
藤原彰子
藤原彰子
道長の長女・藤原彰子一条天皇の中宮となり、後一条天皇後朱雀天皇を産んだ。彼女は太皇太后、さらに藤原氏初の女院・上東門院となり、天皇家と摂関家の双方を掌握した。一方、道長は太政大臣を辞して出家し、大殿として王権を外部から操った。
また、道長は次女・妍子の娘、禎子内親王 (ていしないしんのう) を後朱雀天皇の皇后とし、後三条天皇を誕生させた。禎子も太皇太后となり、陽明門院として長命を保った。彼女は院政時代の到来に至るまで生き、摂関家の権力低下をもたらした。このように、道長の家族は摂関政治の頂点を築くと同時に、院政の基盤を作り上げた。

10世紀になると、律令体制の地域支配が機能不全に陥り、治安維持を担う武士が台頭した。平致光 (たいらのむねみつ) 源頼光 (みなもとのよりみつ) など、摂関家に仕えつつ各地で活躍した武士たちは、鎌倉武士とは異なる性質を持つ武装集団として全国に広がっていった。
白河法皇
白河法皇
榎村さんは、専制的君主の政治が行き当たりばったりに始まる例として桓武天皇白河天皇を挙げる。白河天皇は、藤原頼通へのトラウマを持つ禎子内親王後三条天皇にとって邪魔な存在で、白河体制は不安定な船出であった。譲位後、白河上皇は長女の媞子内親王 (やすこないしんのう) を准母として堀河天皇を後見させ、媞子は女院・郁芳門院 (いくほうもんいん) となるが短命に終わる。上皇は祇園女御ら身分を問わず寵愛し、藤原璋子 (ふじわらのたまこ) 崇徳天皇の母とした。
平清盛像(宮島)
平清盛像(宮島)
璋子は待賢門院 (じけんもんいん) として独自の権力を持ち、六条藤家や御子左流が新たな特権を得て台頭した。白河上皇は57年間、治天の君として君臨し、家長としての権威で太政官を無力化し、政治を掌握した。

平氏は源氏に比べて勢力が小さく、12世紀初頭には桓武系の高棟王と高望王の2系統だけが残存していた。高望王系の平正盛白河院の近臣となり、その孫である平清盛が武人平氏と文人平氏を結びつけ、後白河院二条院との関係を強化した。清盛は保元の乱平治の乱を経て権力を固め、1171年に娘・徳子を高倉天皇の中宮とした。
1180年の以仁王の挙兵では、以仁王の養母・八条院暲子内親王 (あきこないしんのう) が所有する八条院領の経済力と武士団の戦闘力が背景にあったと考えられるが、八条院自身は政治的に中立を保ち、75歳で没した。八条院領は順徳天皇に継承されたが、承久の乱で一時鎌倉幕府に没収され、のちに大覚寺統の家産として受け継がれた。

レビュー

花山天皇(第65代)~後鳥羽天皇(第82代)
花山天皇(第65代)~後鳥羽天皇(第82代)
本書は、藤原道長の絶頂期を平安時代の折り返し点とみなし、そこから鎌倉幕府へ至る約200年のあいだ、上東門院彰子陽明門院禎子内親王八条院暲子内親王という、歴史の表舞台に出てこない女性たちにスポットを当て、天皇家や摂関家との関係を分かりやすく系図で示しながら歴史の流れを解説している。〈女院〉を通してみることで、〈なんだかよく分からない〉平安時代に歴史的な一貫性をみることができた。

ちょうど本書を読んでいるとき、藤原道長紫式部が活躍するNHK大河ドラマ『光る君へ』が最終回を迎えた。この2人が武力によらない平和な社会を願ったにもかかわらず、荘園の発達が進み、それを守るための武力集団が誕生し、武士の時代が到来する。一方、紫式部が仕えていた一条天皇の中宮・藤原彰子は太皇太后となり、ドラマではどんどん存在感が大きくなっていくのだが、その様子は本書でも取り上げられており、その後、〈女院〉が歴史を裏で支えていることがみてとれる。
平安時代最後の女院・八条院は、全国に200箇所以上ある荘園・八条院領の元締めであり、多くの武士を抱えていた。以仁王は、その経済力と武力を背景に挙兵するが、八条院自信は誰の味方にもならず、鎌倉時代まで生き延びる。八条院領は、のちに大覚寺統と呼ばれる天皇の系統へ受け継がれ、南北朝の争乱を引き起こす。
また、『源氏物語』『枕草子』から『百人一首』まで、和歌がもつ力と、それを詠んだ女性たちの存在を再認識した。
わが国には女系天皇が存在しなかったため、こうした女性たちが発揮した権力・権能は一代限りのものであったが、皇統を裏で支える太い糸のような流れを感じた。
付録として、「男もすなる」歴史書を「女もしてみむとて」書かれた大長編歴史書『栄花物語』の一覧表があり、参考になった。正編の著者は、NHK大河ドラマ『光る君へ』の中で、藤原道長の正妻・源倫子に、宇多天皇から書き始める必要があるとドヤ顔で言い放った赤染衛門。榎村さんの前著『謎の平安前期―桓武天皇から「源氏物語」誕生までの200年』に記されている通り、道長の時代には国(男)が編纂した歴史書が無くなっていることと対照的だ。

これは想像の域になるが、歴史の表舞台に見えている男系皇統を裏で支えているのが、こうした女性たちの存在であり、両者のバランスの上に、わが国は征服も支配もされずに続いてきたように感じる。道長と紫式部の願いは、千年の時を超えて今日まで受け継がれていると言えよう。
(2024年12月14日 読了)

参考サイト

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(この項おわり)
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