西暦1221年 - 承久の乱

武家による本格的な治世が始まる
承久の乱
承久の乱
1221年(承久3年)、後鳥羽上皇 (ごとばじょうこう) は鎌倉政権を倒すために挙兵した。承久の乱 (じょうきゅうのらん) である。
源頼朝の妻・北条政子と鎌倉幕府第2代執権・北条義時 (ほうじょうよしとき) は鎌倉武士団をまとめ、上皇軍を打ち破った。
この乱の結果、幕府が朝廷を監視・管理するようになり、皇位継承などにも影響力を持つようになる。

目次

荘園経営の変化

荘園遺跡 大分・田染荘
北>荘園遺跡 大分・田染荘
鎌倉幕府は、全国の荘園に地頭 (じとう) を配置した。地頭は荘園を経営する豪族(武士)から年貢を徴収したが、これを貴族に支払わないケースが出てきた。また、東国の荘園は、平安時代には摂関家や大寺院に寄進されることが多かったが、これも止まってしまった。こうして貴族の収入が減少していった。

院政

後白河法皇
後白河法皇
1181年(治承5年)、高倉上皇が崩御したことを受け、後白河法皇が院政を再開する。安徳天皇は退位できず没したため、1183年(寿永2年)、後鳥羽天皇が三種の神器が揃わないまま即位した。
1192年(建久3年)3月、後白河法皇が崩御する。その死後、関白・九条兼実が朝廷を取りまとめ、源頼朝征夷大将軍に任官した。
1198年(建久9年)1月、後鳥羽天皇は土御門天皇に譲位し、院政を開始する。1202年(建仁2年)、九条兼実が出家し、土御門通親が急死した。源頼朝も他界しており、後鳥羽上皇が名実ともに治天の君となった。
後鳥羽上皇
後鳥羽上皇
後鳥羽上皇は文武両道に秀でた人物で、収入減少に悩む貴族たちは上皇を頼った。1221年(承久3年)5月15日、後鳥羽上皇流鏑馬 (やぶさめ) ぞろいと称して集めた諸国の武士1700人に対し、北条義時を討てという院宣を発し、有力豪族には「恩賞は思いのままにとらせる」という密書を送った。こうして承久の乱が始まる。
ところが、院宣や密書の内容は、4日後には鎌倉幕府に伝わっていた。当時、京都から鎌倉までは早馬でも7日かかるのが普通で、幕府がいかに素早く動いたかが分かる。

承久の乱

北条義時
北条義時
幕府は上皇軍と戦う計画を立て、5月19日、源頼朝の妻、北条政子が鎌倉の御所に集まった御家人を前に、源氏三代の恩を振り返り、「この中に朝廷側につこうとする者がいるのなら、まず私を殺し、鎌倉中を焼きつくしてから京都へ行きなさい」という演説を行う。
5月22日、幕府は20万の大軍を京都へ向かわせた。
北条政子
北条政子
一方、上皇側は、武士たちが院宣に従うものだと慢心しており、中山道、東海道、北陸道の三方から押し寄せる幕府軍になすすべもなく敗走していった。後鳥羽上皇は自ら武装して比叡山に支援を頼むが拒絶され、やむを得ず、宇治川を最終防衛ラインとして幕府軍を迎え撃った。6月13日、両軍は衝突するが、およそ1日で決着がつき、幕府軍は京都へなだれ込んだ。
御所に逃げ込んだ後鳥羽上皇は、味方の貴族をかくまうこともせず、門を閉ざしてしまう。

武家政権の確立

鎌倉幕府の仕組み
鎌倉幕府の仕組み
1221年(承久3年)7月、首謀者の後鳥羽上皇は隠岐島へ、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流された。討幕計画に反対していた土御門上皇は自ら望んで土佐国へ配流された。後鳥羽上皇の膨大な荘園を含む貴族の荘園は没収され、幕府が管理することになった。
また、幕府は京都守護に代わり六波羅探題 (ろくはらたんだい) を設け、朝廷を監視し、皇位継承も管理するようになった。
こうして武士による本格的な治世がはじまった。

鎌倉幕府は、将軍を補佐する執権(北条氏)がおり、中央(鎌倉)には、源氏の直営部隊である御家人を統率する侍所 (さむらいどころ) 、財政を担当する政所 (まんどころ) 、裁判担当の問注所 (もんちゅうじょ) 、執権を補佐する評定衆 (ひょうじょうしゅう) が置かれた。今日路の六波羅探題は上述の通り。地方には、治安維持を担う守護と、年貢の取り立てや土地管理を行う地頭が置かれた。

この時代の世界

1075 1125 1175 1225 1275 1325 1221 承久の乱 1163 1224 北条義時 1157 1225 北条政子 1180 1239 後鳥羽天皇 1133 1215 北条時政 1183 1242 北条泰時 1195 1231 土御門天皇 1197 1242 順徳天皇 1192 源頼朝、征夷大将軍に任官 1192 1219 源実朝 1219 源実朝の暗殺 1200 1219 公暁 1147 1199 源頼朝 1232 御成敗式目 1133 1212 法然 1127 1192 後白河天皇 1179 治承三年の政変 1167 音戸の瀬戸の開削 1161 1181 高倉天皇 1159 1189 源義経 1141 1215 栄西 1178 1185 安徳天皇 1152 1214 平徳子 1185 壇ノ浦の戦い 1182 1204 源頼家 1123 1160 源義朝 1133 1159 藤原信頼 1139 1155 近衛天皇 1122 1187 藤原秀衡 1143 1165 二条天皇 1118 1190 西行 1156 保元の乱 1159 平治の乱 1138 1179 平重盛 1142 1176 平滋子 1130 1189 平時忠 1154 1184 源義仲 1164 1176 六条天皇 1155 1189 藤原泰衡 1162 1241 藤原定家 1173 1262 親鸞 1200 1253 道元 1206 モンゴル帝国の成立 1190 1244 耶律楚材 1241 ワールシュタットの戦い 1243 キプチャク汗国の成立 1215 1294 フビライ 1125 1218 ジャヤーヴァルマン7世 1206 モンゴル帝国の成立 1241 ワールシュタットの戦い 1186 1241 オゴタイ 1207 1255 バトゥ 1167 1227 チンギス・ハン 1177 1225 ジョチ 1200 1250 トゥーラーン・シャー 1182 ノートルダム大聖堂の完成 1167 1216 ジョン 1165 1223 フィリップ2世 1209 ケンブリッジ大学の創設 1215 大憲章(マグナ・カルタ) 1181 1252 プラノ・カルピニ 1228 1254 コンラート4世 1214 1270 ルイ9世 1265 1274 『神学大全』の執筆 1225 1274 トマス・アクィナス 1214 1294 ロジャー・ベーコン 1254 1273 大空位時代 1273 ルドルフ1世の即位 1218 1291 ルドルフ1世 1194 1250 フリードリヒ2世 1221 1223 スノッリのエッダ 1178 1241 スノッリ・ストゥルルソン 1204 1263 ホーコン4世 1124 1197 ヨーン・ロフツソン Tooltip

参考書籍

表紙 承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱
著者 坂井孝一
出版社 中央公論新社
サイズ 新書
発売日 2018年12月20日頃
価格 990円(税込)
ISBN 9784121025173
一二一九年、鎌倉幕府三代将軍・源実朝が暗殺された。朝廷との協調に努めた実朝の死により公武関係は動揺。二年後、承久の乱が勃発する。朝廷に君臨する後鳥羽上皇が、執権北条義時を討つべく兵を挙げたのだ。だが、義時の嫡男泰時率いる幕府の大軍は京都へ攻め上り、朝廷方の軍勢を圧倒。後鳥羽ら三上皇は流罪となり、六波羅探題が設置された。公武の力関係を劇的に変え、中世社会のあり方を決定づけた大事件を読み解く。
 
表紙 後鳥羽院 第二版
著者 丸谷才一
出版社 筑摩書房
サイズ 単行本
発売日 2004年09月
価格 3,850円(税込)
ISBN 9784480823465
後鳥羽院は最高の天皇歌人で、その和歌は藤原定家の上をゆく。「新古今」は批評家としての偉大を示す。1973年度読売文学賞受賞作の増補版。
 
表紙 承久の乱と後鳥羽院 (敗者の日本史)
著者 関幸彦/山本博文
出版社 吉川弘文館
サイズ 全集・双書
発売日 2012年10月
価格 2,860円(税込)
ISBN 9784642064521
鎌倉と京、公武権力構図の転換点とされる承久の乱。治天の君=後鳥羽院が歌に込めた「道ある世」への希求とは何だったのか。諸史料を中心に、協調から武闘路線への道をたどり、隠岐に配流された後鳥羽院のその後にも迫る。
 
(この項おわり)
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