長崎平和公園に浦上天主堂遺構が移設されたわけ

2016年3月17日 撮影

願いのゾーン

平和祈念像 - 長崎平和公園
長崎平和公園(長崎県長崎市松山町)を再訪。前回訪問は2008年(平成20年)7月28日。1945年(昭和20年)8月9日に投下された原爆の爆心地と、その北側の丘陵地帯を含めた地域に設けられた面積18.6ヘクタールの公園である。入場無料。

願いのゾーン」には、長崎県出身の彫刻家、北村西望 (きたむらせいぼう) (1884~1987)が制作した高さ9.7メートル、重さ30トンの平和祈念像が鎮座している。
平和祈念像 - 長崎平和公園の大きな写真大きな写真
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平和祈念像 - 長崎平和公園
右手は空を指して原爆の脅威を、左手は水平に伸ばして地上の平和を、軽く閉じられたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈っていると言われている。

毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれる。
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平和の泉 - 長崎平和公園
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは、「水を、水を」と呻き叫びながら死んでいったという。その霊に水を捧げ、世界平和と核兵器廃絶の願いを込めて浄財を募り建設されたのが、直径18メートルの「平和の泉」である。1969年(昭和44年)に完成。
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折鶴の塔 - 長崎平和公園
原爆犠牲者の霊を慰めるとともに、二度と原爆の惨禍を招くことがないように、世界平和を祈って寄せられた折鶴を塔に掲げるため、1982年(昭和57年)、平和祈念像の左右に一つずつ「折鶴の塔」が建立された。
折鶴の塔 - 長崎平和公園の大きな写真大きな写真
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乙女の像 - 長崎平和公園
人類の平和と末長い日中友好を願い、1985年(昭和60年)、中華人民共和国から中国日中友好協会を通じて寄贈された「乙女の像」である。

高さ3.2メートル、幅2.65メートル、奥行2.65メートル、重さ27トンの大理石だ。
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平和の碑 - 長崎平和公園
在伯ブラジル長崎県人会、在伯ブラジル広島県人会・在伯ブラジル被爆者協会・在伯ブラジル相互協会の協力により、1988年(昭和63年)、ブラジル・サントス市から寄贈された「平和の碑」である。

高さ1.6メートル、幅1.6メートル、奥行き0.25メートル、重さ1トンの御影石だ。
平和の碑 - 長崎平和公園の大きな写真大きな写真
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太陽と鶴 - 長崎平和公園
1988年(昭和63年)、キューバ共和国から寄贈された「太陽と鶴」である。

円は太陽を、原爆犠牲者の顔は戦争の悲惨さを表し、折鶴により平和の尊さを表現している。高さ2.15メートル。
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無限 - 長崎平和公園
1991年(平成3年)、トルコ共和国の首都アンカラ市から、日本修好100周年を記念して寄贈された作品「無限」である。

男性と女性が手と手をつないでいる姿は、全人類の平和と協調を表している。高さ2メートル、幅1.95メートル、奥行き0.15メートル、重さ400キログラムの鉄製作品。
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平和のマント - 長崎平和公園
ニュージーランド政府、及びクライストチャーチ、ウェリントン、オークランド、ネイピア、ワイタケレ、ファカタネの6都市から長崎市に友好の証として、2006年(平成18年)に寄贈された平和のモニュメント「平和のマント」である。
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高さ2.2メートル、幅3.8メートル、奥行1.8メートル、重さ500キログラムのステンレス製作品。

祈りのゾーン

原爆落下中心碑 - 長崎平和公園
中心地区は「祈りのゾーン」として、被爆により亡くなられた方々の冥福を祈る空間として整備されている。
1945年(昭和20年)8月9日、「原爆落下中心碑」の上空500メートルで原爆が炸裂した。塔の前に置かれた原爆殉難者名奉安箱には、亡くなった方々の名簿(複製)を奉安してる。
原爆落下中心碑 - 長崎平和公園の大きな写真大きな写真
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浦上天主堂遺壁 - 長崎平和公園
東洋一の壮大さを誇った浦上天主堂は、原爆によりわずかな壁を残し崩れ落ちてしまった。この遺壁は、聖堂の南側の一部を移築したものである。

原爆で倒壊した天主堂の廃墟は、1949年(昭和24年)のザビエル渡来400年祭までに、きれいに整理されていたが、一部側壁をザビエル祭の祭壇として残していた。
その後、浄財によって天主堂の再建を進めるが、長崎市原爆資料保存委員会は遺構を保存するために、再建には代替地を準備すると提案してきた。当時のカトリック長崎司教・山口愛次郎は、「天主堂敷地は庄屋の屋敷跡として、禁教迫害時代からの由緒あるところなので、換地には応じられない」という強い意志を示し、結局、遺構は現在の場所へ移設されることとなった。
浦上天主堂遺壁 - 長崎平和公園の大きな写真大きな写真
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被曝の象徴である原爆ドームをそのままの形で残した広島と、それ以前から多くの殉教者を出してきたキリスト教の地・長崎とで対応が分かれたことは、記憶に残さなければならない重い事実である。
被爆50周年記念事業碑 - 長崎平和公園
被曝50周年記念事業として、長崎市出身の彫刻家、富永直樹氏に依頼して制作したものである。原爆の悲惨さと、被爆により亡くなられた多くの方々のご冥福を祈り、ひいてはこの尊い犠牲が今日の平和の礎となったことを念頭におき、偉大なる母の慈悲心と、永久に平和であれと念じ、あたたかく深く母の胸に眠る傷心の子供の姿を配することによって、21世紀に羽ばたく日本の未来を表現している。
被爆50周年記念事業碑 - 長崎平和公園の大きな写真大きな写真
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交通アクセス

【鉄道】
  • JR「長崎駅」から路面電車(赤迫行)で約15分、「松山町電停」下車、徒歩約5分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:長崎平和公園

近隣の情報

参考書籍

表紙 長崎 旧浦上天主堂 1945-58
著者 高原 至/横手 一彦/ブライアン・バークガフニ
出版社 岩波書店
サイズ 単行本
発売日 2010年04月08日頃
価格 2,970円(税込)
ISBN 9784000241656
禁教下、密かに信仰を守り続けた潜伏キリシタンの里、浦上。幕末・明治の大弾圧を生き残った信徒は東洋一の聖堂を築くが、やがて原爆という未曾有の破局が降りかかった。幾度もの受難に重ねられて「浦上五番崩れ」と呼ばれた破壊の爪痕を、原爆後の13年間、廃墟の姿で語った「幻の証言者」が、未公開写真によってよみがえる。英文対訳付き。
 
表紙 遠藤周作と歩く「長崎巡礼」
著者 遠藤周作/芸術新潮編集部
出版社 新潮社
サイズ 全集・双書
発売日 2006年09月
価格 1,540円(税込)
ISBN 9784106021497
奉行所跡でロドリゴ神父の踏絵シーンに泣き、大浦天主堂でキクの哀しい最期に泣き、浦上村でサチ子の被爆悲話に泣く…。作家は雨の街角で、狭い路地で、何を考え、何を見出したか?「沈黙」、「女の一生」の足跡を辿るー。
 
表紙 爆心
著者 青来 有一
出版社 文藝春秋
サイズ 文庫
発売日 2010年09月03日頃
価格 680円(税込)
ISBN 9784167685027
殉教の火、原爆の火に焼かれながら、人はなぜ罪を犯し続けるのか?「聖水」で芥川賞を受賞した著者が、欲望と贖罪、死とエロスの二律背反の中で苦悩し歓喜する人々を描いた連作短編集。人間の内奥を圧倒的な物語性の中で展開し、谷崎潤一郎賞、伊藤整文学賞の二つの文学賞を同時受賞した衝撃的作品。
 
長崎原爆 関連

参考サイト

(この項おわり)
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