足摺岬と弘法大師

2007年7月30日・2022年5月27日 撮影

足摺岬灯台

足摺岬灯台
2022年5月27日 撮影
足摺岬灯台は、足摺宇和海国立公園にそびえ立つ高さ18メートルの白亜の灯台である。1914年(大正3年)に点灯し、1960年(昭和35年)に現在の形に改築された。46万カンデラの明かりは、約38キロ先まで届く。
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(2560×1707 ピクセル, 1945 Kbyte)
足摺岬灯台
2022年5月27日 撮影
1998年(平成10年)11月1日、海上保安庁が第50回灯台記念日の行事として募集した「日本の灯台50選」に選ばれた。
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(2560×1657 ピクセル, 2248 Kbyte)
足摺岬灯台
2007年7月30日 撮影
展望台からの視界は270度におよぶ。灯火の標高は60.6メートル。
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(1920×1440 ピクセル, 1293 Kbyte)
足摺岬灯台
2007年7月30日 撮影
1914年(大正3年)4月の初点灯当時は八角形のコンクリート造りで、第4等フレネル式レンズを使用していた。

1960年(昭和35年)7月、現在のロケット型に改築された。
光度46万カンデラ、光達距離38kmは、わが国で最大級の灯台のひとつである。
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(1423×1920 ピクセル, 1487 Kbyte)
足摺岬灯台
2022年5月27日 撮影
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(1707×2560 ピクセル, 1825 Kbyte)
足摺岬灯台
2022年5月27日 撮影
南国を感じさせる。
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(2560×1707 ピクセル, 1623 Kbyte)
アンパンマンの検札
高知から中村まで JR土讃線の特急で2時間ほど。途中、検札が回ってきた。
ここにもアンパンマンが。
中村駅からは足摺岬行きの路線バスが、特急の到着時刻に合わせて出ている。このバスに乗って終点の足摺岬まで1時間45分(約50キロ)――かなり無茶な移動である。
高知西南交通バス
2007年7月30日 撮影
乗っているうちに、バスの運賃表(電光掲示板)が一杯になってしまった。
基本的に国道沿いに走っているのだが、路線バスなので、ジョン万次郎の故郷である中浜や、足摺の集落にも立ち寄る。海岸線ギリギリを走る細い路地で、バスが通れること自体信じられない。
さらに県道27号線に入って足摺岬へ向かうのだが、路線バスの乗客はぱふぅ家だけ。対向車とすれ違うことが出来ないほど狭く曲がりくねった道路だ。所々に待避スペースがあり、高知ナンバーの対向車と阿吽の呼吸ですり抜けていく。県外の乗用車など1台も見かけない。自動車で訪れるのは避けた方がいいだろう。

金剛福寺

金剛福寺
2007年7月30日 撮影
金剛福寺
2022年5月27日 撮影
バス停で降りると、四国霊場の第三十八番札所、金剛福寺(高知県土佐清水市足摺岬214-1)が見えてくる。せっかく四国に来たので、霊場の1つくらいは立ち寄ってみることになった。
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(2560×1707 ピクセル, 3031 Kbyte)
金剛福寺
2022年5月27日 撮影
金剛福寺は、嵯峨天皇(在位809~823年)の勅願により822年(弘仁13年)、弘法大師・空海がこの地を訪れ、本尊三面千手観世音菩薩を刻み、月輪山・金剛福寺として定めたという。
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(2560×1696 ピクセル, 2188 Kbyte)
金剛福寺
2007年7月30日 撮影
仁王門(山門)をくぐる。
金剛福寺
2022年5月27日 撮影
境内には亜熱帯植物が生い茂り、左側には池が広がり、多くの奇岩が配置されている――京都・奈良の古刹とは違い、荒々しさを感じる。
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(2560×1707 ピクセル, 2613 Kbyte)
金剛福寺
2022年5月27日 撮影
本堂と大師堂の間にある行者堂のあたりは、岩の間を縫うようにして進む。
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(2560×1707 ピクセル, 2365 Kbyte)
金剛福寺
2022年5月27日 撮影
弘法大師空海が沖の岩で修行するために亀を呼んで渡ったというエピソードを体現できるようになっている。
また、歴代天皇の祈願所とされたほか、源氏の信仰が篤く、源満仲は多宝塔を寄進した。
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(1920×1280 ピクセル, 979 Kbyte)
金剛福寺
2022年5月27日 撮影
百八仏と献燈十二句碑――五智如来・十三仏・千手観音の鋳造仏が108体、配置されている。
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(2560×1707 ピクセル, 1951 Kbyte)
さすがは空海。空を飛んで、この地を訪れたにちがいない。ぱふぅ家真言宗なのだが、まだ空を飛べる人間は出ていない。

足摺岬は温泉にも恵まれ、空海もその足を休めたという。
四国88カ所霊場めぐり 関連

足摺岬

足摺岬
2007年7月30日 撮影
足摺岬は、北緯32度43分24秒、東経133度1分12秒にある。これより南にも小島が散在するが、一般に四国最南端の地として認知されている。展望台には、それを示す石盤が置かれている。
1955年(昭和30年)に足摺岬国定公園に指定された。
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(1440×1920 ピクセル, 1726 Kbyte)
足摺岬
2022年5月27日 撮影
足摺半島南東端に位置、黒潮の打ち寄せる断崖は約80メートルの高さ――高いところが苦手な人は要注意。
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(2560×1707 ピクセル, 2778 Kbyte)
足摺岬
2022年5月27日 撮影
南方にあるとされる浄土へ渡るという補陀洛信仰の舞台で、中世には那智勝浦と並び、補陀落渡海 (ふだらくとかい) の渡海船の出発地として名を馳せた。
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(2560×1707 ピクセル, 2979 Kbyte)
皇太子殿下御歌 - 足摺岬
2022年5月27日 撮影
1976年(昭和51年)7月に、皇太子殿下(現・太上天皇陛下)が足摺岬に立ち寄られ、その様子を翌1977年(昭和52年)の歌会始の時に読まれた歌を記念として歌碑として建立した。
皇太子殿下御歌 - 足摺岬の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1861 Kbyte)
ジョン万次郎 - 足摺岬
2022年5月27日 撮影
ジョン万次郎(中浜万次郎;1827~1898年)の銅像が、足摺岬観光案内所前にある。
漁師の次男として生まれた万次郎は、幼い頃に父を亡くし、1841年(天保11年)、14歳のとき、仲間とともに漁に出ていて遭難。アメリカの捕鯨船に救助され、そのまま渡米。英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学び、1851年(嘉永4年)に帰国。
万次郎はアメリカでの生活や学問を著し、坂本龍馬や多くの幕末志士たちの目に触れたと考えられている。さらに、後藤象二郎や岩崎弥太郎は直接指導を受けた。ペリー来航で外国の情報を必要としていた幕府に重用され、咸臨丸にも乗り込んだ。
ジョン万次郎 - 足摺岬の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1462 Kbyte)
足摺七不思議-足摺岬
2007年7月30日 撮影
足摺宇和海国立公園には、足摺七不思議といわれている伝説があり、けっこう楽しめる。時間があれば、全部回ってみたかった。
地獄の穴 - 足摺岬
2022年5月27日 撮影
採訪したので、足摺七不思議をめぐってみた。
地獄の穴は、今は埋まっているが、この穴に銭を落とすと、チリンチリンと音がして落ちて行き、その穴は金剛福寺付近まで通じるといわれている。
地獄の穴 - 足摺岬の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1072 Kbyte)
亀呼場 - 足摺岬
2022年5月27日 撮影
亀呼場は、弘法大師空海が、ここから亀を呼び、亀の背中に乗って前の不動岩に渡り、祈祷をしたといわれている。
亀呼場 - 足摺岬の大きな写真大きな写真
(1688×1920 ピクセル, 1844 Kbyte)
ゆるぎ石 - 足摺岬
2022年5月27日 撮影
ゆるぎ石は、弘法大空海が金剛福寺を建立した時発見した石で、乗り揺るがすと、その動揺の程度によって孝心をためすといわれている。
ゆるぎ石 - 足摺岬の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1515 Kbyte)
足摺岬
2007年7月30日 撮影
17時21分、足摺岬最終バスに乗って中村駅へ戻る。
帰路も途中まで、乗客はぱふぅ家のみ。運転手さんが一番眺めがいいというスポットに、短い時間だがバスを停めてくれた。感謝である。
なお、ゴールデンウィーク、年末年始は、かなり混雑するとのこと。
足摺岬の大きな写真大きな写真
(1920×1440 ピクセル, 1541 Kbyte)

参考書籍

表紙 四国~気ままに電車とバスの旅
著者 実業之日本社
出版社 実業之日本社
サイズ 全集・双書
発売日 2006年06月
価格 1,210円(税込)
ISBN 9784408018881
 
表紙 高知県の歴史散歩
著者 高知県高等学校教育研究会
出版社 山川出版社(千代田区)
サイズ 全集・双書
発売日 2006年08月
価格 1,320円(税込)
ISBN 9784634246393
 

近隣の情報

参考サイト

(この項おわり)
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