西暦804年 - 最澄、空海が唐へ

第16次遣唐使
上海万博に際し復元された遣唐使船
延暦23年(804年)5月、最澄空海が第16次遣唐使船(第18次とする説も)に乗り込み、唐へ渡る。
遣唐使は630年(元年)から838年まで19次に渡って派遣されたが、894年(寛平6年)には菅原道真らが大師に任命されただけで、実際には出向しなかった
第16次遣唐使船では、最澄は天皇の護持僧である内供奉十禅師の一人に任命されており、当時の仏教界に確固たる地位を築いていたが、空海はまったく無名の僧侶だった。

すでに比叡山延暦寺を開創していた最澄が乗った船は9月に中国に到着し、天台教学を学ぶ。翌805年(延暦24年)に日本に帰り、806年(延暦25年)、に天台宗が開かれる。
813年(弘仁4年)、最澄は空海が持ち帰った阿闍梨灌頂を伝授するように願ったが、なお3年の実修を要すといって拒否された。

空海が乗った船は途中で嵐に遭い航路を大きく逸れ、8月に中国に漂着した。一時は海賊の嫌疑がかけられるが、12月に長安に入った。空海は留学期間20年の予定だったが、翌年8月には伝法阿闍梨位の灌頂を受け、密教のすべてを学び、806年(大同元年)8月、日本への帰国の途につく。復路も嵐に遭うが、10月に無事に帰国する。
809年(大同4年)に即位した嵯峨天皇が即位すると、空海は入京する。弘仁7年(816年)6月、修行の場として高野山を下賜する旨勅許を賜る。その後、弟子らを派遣し、高野山の開創に着手する。空海は承和2年(835年)、満60歳で入滅するが、いまも高野山奥之院で瞑想されていると伝えられている。

この時代の世界

675 725 775 825 875 804 最澄、空海が唐へ 767 822 最澄 774 835 空海 802 坂上田村麻呂が東国を平定 758 811 坂上田村麻呂 760 802 阿弖利為 752 大仏の開眼供養 718 785 大伴家持 727 786 坂上苅田麻呂 735 785 藤原種継 758 764 淳仁天皇 733 799 和気清麻呂 750 785 早良親王 737 806 桓武天皇 784 長岡京へ遷都 794 平安京へ遷都 774 824 平城天皇 768 春日大社の創建 755 763 安史の乱 742 805 徳宗 780 850 フワーリズミー 750 アッバース朝が成立 786 ハールーン・アッラシードが即位 766 809 ハールーン・アッラシード 732 トゥール・ポアティエの戦い 800 カールの戴冠 742 814 カール大帝 750 816 レオ3世 793 ヴァイキングがイングランドへ侵入 732 トゥール・ポアティエの戦い 714 768 ピピン 778 840 ルートウィヒ1世 795 855 ロタール1世 760 811 ニケフォロス1世 793 ヴァイキングがイングランドへ侵入 Tooltip

参考サイト

(この項おわり)
header