北桔橋門

北桔橋門は、江戸城天守閣に近く、本丸大奥からも直接外部に通じる門として重要な場所だ。江戸時代には、実際に跳ね橋が架かっていたという。
石垣が高く積み上げられた北桔橋門周辺の濠は深く、ここから落ちたらタダでは済むまい。
春にはサクラ、初夏には色とりどりのアジサイが咲く。
石垣が高く積み上げられた北桔橋門周辺の濠は深く、ここから落ちたらタダでは済むまい。
春にはサクラ、初夏には色とりどりのアジサイが咲く。
江戸城天守閣跡

北桔橋門をくぐるとすぐ、江戸城天守閣を支えていた石垣(天守台)が目に入ってくる。

最初の天守閣は1607年(慶長11年)に完成した。その後、三代将軍家光が大改修を行い、最終的に完成したのは1638年(寛永15年)であった。
外層5層、内部6階建てで、高さが天守台を含めると58mという巨大な城であった。天気が良ければ、房総半島からでも姿を拝むことができたという。

最初の天守閣は1607年(慶長11年)に完成した。その後、三代将軍家光が大改修を行い、最終的に完成したのは1638年(寛永15年)であった。
外層5層、内部6階建てで、高さが天守台を含めると58mという巨大な城であった。天気が良ければ、房総半島からでも姿を拝むことができたという。

天守台だけで高さは20メートルになる。

江戸城天守閣は、1657年(明暦3年)1月18日の明暦の大火(いわゆる振袖火事)で焼け落ち、それ以来、再建されることはなかった。
石垣の所々が黒ずんでいるのは、当時の焼け跡であろう。

江戸城天守閣は、1657年(明暦3年)1月18日の明暦の大火(いわゆる振袖火事)で焼け落ち、それ以来、再建されることはなかった。
石垣の所々が黒ずんでいるのは、当時の焼け跡であろう。
桃華楽堂

江戸城の番所



同心番所は、大手門から入城した大名が最初に通る番所である。与力や同心が詰め、主に登城する大名の供の監視に当たっていた。
大手門

皇居東御苑の東側に位置する大手門は、江戸城の正門だった。外側に面してた門を一の門(高麗門)、内側の門を二の門(本御門)という。慶長12年(1607年)に完成し、元和6年(1620年)に枡形門に改築された。
大名や役人が本丸に登下城する際に使う門で、馬上9人、徒侍3人、足軽30人、仲間20人鉄砲20丁、弓10張、長槍20筋、持筒2丁、持弓2組、提灯30で警護に当たっていた。一の門を内側から見ると鉄砲を撃つ隙間がある。
大名や役人が本丸に登下城する際に使う門で、馬上9人、徒侍3人、足軽30人、仲間20人鉄砲20丁、弓10張、長槍20筋、持筒2丁、持弓2組、提灯30で警護に当たっていた。一の門を内側から見ると鉄砲を撃つ隙間がある。

大手門の外の堀端には下馬札が立っていた。付き人は、ここで主人の帰りを待っていたのだが、そこで各藩の情報を交換していた。ここから「下馬評」という言葉が生まれた。

大手門から大手町方面を臨む――そこに見えるのは21世紀の東京だ。
周辺地図
近隣の情報
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- 築土神社は平将門の首を祀っている:ぱふぅ家のホームページ
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- 和気清麻呂は平安京遷都を提案:ぱふぅ家のホームページ
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この付近でネットができる宿
- ナインアワーズ大手町(旧:ナインアワーズ竹橋) (東京都千代田区神田錦町3-11-15)
(この項おわり)
(車:4分,自転車:10分,徒歩:30分)
科学技術館から北桔橋門をくぐり、皇居東御苑を通り、大手門へ向かって歩いた。
東御苑は入苑料無料。原則として月曜日と金曜日以外の各日に開苑している。