日光東照宮は世界遺産

2009年6月24日 撮影

陽明門

陽明門 - 日光東照宮
日光東照宮(栃木県日光市山内2301)は、西暦1603年(慶長8年)に江戸幕府を開いた徳川家康を神格化した東照大権現を祀る神社である。日本全国の東照宮の総本社的存在である。
「日光の社寺」(Shrines and Temples of Nikko)として、1999年(平成11年)、世界遺産に登録された。
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逆さ柱 - 陽明門 - 日光東照宮
徳川家康は1616年(元和2年)4月17日、駿府城(静岡県静岡市)で没した。享年75。
遺言によりただちに久能山に埋葬され(久能山東照宮)、ちょうど1年後、日光山へ移された。
現在の社殿の多くは、1636年(寛永13年)、三代将軍家光によって造営されたものである。

陽明門は、日本を代表する最も美しい門で、国宝に指定されている。
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陽明門の名は、宮中十二門の東の正門に由来する。
文字通り明るく輝く太陽を意味し、東照大権現(東から照らす、朝日のように勢い盛んな偉大な神)に符丁する。祀られた土地は日光であり、すべての意味で家康を太陽神として神格化している。

陽明門の12本の柱のうち、この柱だけは彫刻の模様(グリ紋)が上下反転しており、いわゆる逆柱(さかばしら)になっている。これは、わざと未完成の状態にすることで災いをさける魔除けとされている。
陽明門関連
陽明門 - 日光東照宮
東照宮に刻まれている霊獣の中で最も多いのが唐獅子である。狛犬のような角や牙はなく、獅子鼻が特徴的だ。
唐獅子は、その力強いイメージから武将に好まれ、聖域を守る守護獣となっている。
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陽明門 - 日光東照宮
陽明門には、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など、全部で508の彫刻がほどこされている。

いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」と呼ばれることもある。
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眠り猫

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2009年6月24日 写真:こぱふぅ
眠り猫は、陽明門をくぐり、坂下門へと続く回廊に彫り込まれている。左甚五郎*の作と伝えられており、国宝に指定されている。
家康の墓所に通じる道にいることから、ネズミ一匹通さないという意味とも言われる。 一方、猫の背面には雀の彫刻があることから、江戸時代は平和で、猫は居眠りをして雀も安心して舞っているのだという話も伝わっている。

銅宝塔(徳川家康墓)

銅宝塔(徳川家康墓)- 日光東照宮
奥宮にある銅宝塔が徳川家康の墓である。

日光東照宮は江戸城の鬼門(北東の方角)に位置し、江戸の街を守っていると言われている。しかし地図を見ると、江戸城の真北よりやや西寄りに位置している。
日光東照宮の謎」(高藤晴俊/講談社/1996年03月)によれば、日光が江戸の守護神であることは間違いないが、それは北極星を神とする北辰信仰に基づくものだという。
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日光は源頼朝の時代に開かれ、古くから修験道の霊山として、蝦夷との境界に位置する「関八州の鬼門」とされてきた。このことが鬼門の方位と混同されたのではないかという。

回転灯籠

回転灯籠 - 日光東照宮
江戸時代、ヨーロッパ唯一の貿易国であったオランダ商館長(カピタン)から贈られた回転灯籠である。1643年(寛永20年)に寄贈された。青銅製で、アムステルダムで製造されたという。

東照宮の境内には、この他にも、オランダ製の釣灯籠や灯架、朝鮮国から奉納された品物が並んでいる。これは、東照大権現の御威光が世界を照らしているというデモンストレーションのためだったと考えられている。
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神厩舎

神厩舎 - 日光東照宮
三猿(見ざる・言わざる・聞かざる;Three wise monkeys)の彫刻も有名だ。

三猿は、神馬をつなぐ神厩舎 (しんきゅうしゃ) (重要文化財)の長押しにある8体の彫刻の1つ。
昔から、猿は馬を守ると言われている。
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8体の彫刻は、猿をして人の一生を説いている。三猿は子ども時代で、「悪い事を見ない/言わない/聞かない」ということを意味しているという。

三神庫

三神庫 - 日光東照宮
三神庫 (さんじんこ) の上神庫。校倉造りを模しており、屋根の下には「想像の象」(狩野探幽=下絵)の大きな彫刻が施されている。重要文化財である。
三神庫には、春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められている。
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五重塔

五重塔 - 日光東照宮
五重塔は、1648年(正保4年)、若狭国小浜藩主・酒井忠勝が奉納した。1815年(文化12年)に火災で消失するが、3年後、酒井忠進によって再建された。
高さは35メートルあり、1層から4層までが和様で5層が唐様。重要文化財である。

五重塔の真ん中を貫く心柱は、4層目から鎖で吊り下げられており、土台に達していない。地震の際に振り子状に動いて振動を和らげる役目をしていると言われている。
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石鳥居

石鳥居 - 日光東照宮
東照宮の石鳥居 (いしどりい) は、徳川家康が祀られた翌年の1618年(元和4年)、筑前(福岡県)藩主・黒田長政によって奉納されたものである。石材は、九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれた。
重要文化財に指定されている。
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御水舎

御水舎 - 日光東照宮
参拝する前に、御水舎 (おみずや) で手を洗い、口をすすぎ、心身を清めよう。
この水盤は、1618年(元和4年)、佐賀藩主・鍋島勝茂が奉納した。重要文化財である。
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平成の大修理

2013年(平成25年)7月8日から「平成の大修理」が行われている。2018年(平成30年)3月までかかる予定。
陽明門は2017年(平成29年)3月10日に再公開された。500体を超える極彩色の彫刻や瑚粉塗りの柱、黒漆塗りの屋根などが、江戸時代から受け継がれる伝統技術が駆使され、蘇った。

交通アクセス

【自動車】
  • 東北自動車道「宇都宮I.C.」から日光宇都宮道路を経て「日光I.C.」で下り、約2キロ。
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出発地の最寄駅:

目的地:日光東照宮

近隣の情報

参考サイト

日光東照宮 関連
(この項おわり)
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