稚内港北防波堤ドームは古代ギリシア時代の神殿のよう

2017年2月20日 撮影
稚内港北防波堤ドーム
稚内港北防波堤ドーム(北海道稚内市開運1−2−2)は、強風と荒波を防ぐ全長427メートルの防波堤で、1931年(昭和6年)から5年をかけて建設された。
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稚内港北防波堤ドーム
世界でも珍しい半アーチ形ドーム構造になっており、海上からの高さは14メートル。
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稚内港北防波堤ドーム
古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本の円柱が6メートル間隔で並ぶ重厚なデザインになっている。
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1685年(貞享2年)に松前藩が藩主直轄の宗谷場所を開設したことが稚内の始まりである。アイヌ語のヤㇺワッカナイ(冷たい水の沢)に由来する。清朝から樺太を経由するアイヌとの交易の場であり、南下政策をとるロシア帝国に対抗する北方警備の要衝となった。

1923年(大正12年)5月、当時、日本の領土だった南樺太の大泊への連絡航路が開設された。海へ向かって岩礁が伸びており、周囲に分布する頁岩 (けつがん) を使って埋め立てることで良い港を造ることができた。
1928年(昭和3年)12月、稚内駅から桟橋まで線路が延び、1938年(昭和13年)10月、稚内桟橋駅が開業した。しかし、桟橋では高波による事故が相次いだ。そこで、北海道帝国大学を卒業し北海道庁の技師になった土谷実(26歳)が、こうした事故を防ぐためにドームを設計、建設が決まった。
しかし終戦にともない1945年(昭和20年)8月24日、南樺太への連絡航路は廃止。同時に稚内桟橋駅も廃止となった。

樺太との物流はなくなったが、稚内はオホーツク海、日本海に漁場をもつことから、その後も漁業の街として発展した。2018年(平成30年)の水揚げ量では、ホタテホッケタコが全国一位を記録している。稚内を吹く強風を利用して乾かされた棒だら昆布ホタテの貝柱も特産品になっている。

老朽化のため、1978年(昭和53年)から3年をかけて全面改修。2001年(平成13年)には北海道遺産に指定された。
ドーム手前の護岸には、長さ215メートルに及ぶの遊歩道「しおさいプロムナード」が整備されており、潮風を浴びて海を眺めながらゆっくりと散策することができる。

交通アクセス

【鉄道】
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出発地の最寄駅:

目的地:稚内港北防波堤ドーム

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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