彦根城(滋賀県彦根市金亀町1-1)は、江戸時代初期、井伊氏の拠点として築かれた平山城で、[現存12天守の1つ。天守が国宝指定された5城(彦根城、犬山城、松本城、姫路城、松江城)の1つ。
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表門から石段を登ると、天秤櫓へ向かって廊下橋が延びている。
本丸に侵入し天守へ向かうにはこの廊下橋を渡らなければならないが、この橋を落とすことで侵入を防ぐことができた。天秤櫓(重要文化財)は、廊下橋を中心に左右に伸びる櫓で、長浜城大手門を移築したものといわれている。
本丸に侵入し天守へ向かうにはこの廊下橋を渡らなければならないが、この橋を落とすことで侵入を防ぐことができた。天秤櫓(重要文化財)は、廊下橋を中心に左右に伸びる櫓で、長浜城大手門を移築したものといわれている。
三層三階の天守閣からの眺望。
1633年(寛永10年)、井伊氏は35万石となり、徳川譜代大名の中では最大の石高となった。だが、太平の時代、軍事施設としての彦根城の役割は薄れ、天守や櫓は年貢米の保管庫となった。
1633年(寛永10年)、井伊氏は35万石となり、徳川譜代大名の中では最大の石高となった。だが、太平の時代、軍事施設としての彦根城の役割は薄れ、天守や櫓は年貢米の保管庫となった。
幕末に大老となった井伊直弼は、1850年(嘉永3年)、藩主となるまで城下町で過ごした。
明治時代の廃城令で解体寸前だった天守を、1878年(明治11年)10月、巡幸で彦根を通過した明治天皇が保存を命じた。1944年(昭和19年)、井伊家から彦根市へ、彦根城とその一帯が正式に寄付された。1945年(昭和20年)8月15日、連合軍は彦根市を夜間爆撃する予定だったが、終戦を迎え、からくも焼失を免れた。
1957年(昭和32年)から11年をかけて、昭和の大修理が行われた。
1993年(平成5年)から3年をかけて、平成の大修理が行われた。
現在、世界遺産への登録を目指した活動が続いている。
明治時代の廃城令で解体寸前だった天守を、1878年(明治11年)10月、巡幸で彦根を通過した明治天皇が保存を命じた。1944年(昭和19年)、井伊家から彦根市へ、彦根城とその一帯が正式に寄付された。1945年(昭和20年)8月15日、連合軍は彦根市を夜間爆撃する予定だったが、終戦を迎え、からくも焼失を免れた。
1957年(昭和32年)から11年をかけて、昭和の大修理が行われた。
1993年(平成5年)から3年をかけて、平成の大修理が行われた。
現在、世界遺産への登録を目指した活動が続いている。
交通アクセス
【鉄道】
- JR彦根駅下車、徒歩約15分
近隣の情報
- 彦根城は井伊氏の居城:ぱふぅ家のホームページ
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(この項おわり)