日本橋三越本店でザッハトルテをいただく

2023年10月7日 撮影

日本橋三越本店

日本橋三越本店 新館
日本橋三越本店 新館
日本橋三越本店(東京都中央区日本橋室町1-4-1)は、1673年(寛文13年)に三井高利 (みつい たかとし) 江戸本町で創業した呉服商「越後屋」を前身とする。
祖父・高安の官位が越後守であったことから、この名を付けた。その後、両替商も手掛ける。
明治維新後の1872年(明治5年)に、井上馨ら大蔵省首脳は、近代化の波に乗り遅れ不信に喘いでいた呉服業を分離し、三井家は銀行設立するよう勧告した。その結果、越後屋は三越家として分離した。

写真の新館は2004年(平成16年)10月に完成した。地上13階、地下4階。
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日本橋三越本店 新館
日本橋三越本店 新館
新館のエンブレムは、東京芸術大学学長の宮田亮平さんによるデザインで、「イルカたちのようにお客様の夢や憧れを創造し、そして一緒に成長を続ける水先案内人として、大きく飛躍したい。」という思いが込められている。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
本館は、1911年(明治44年)7月に着工し、1914年(大正3年)9月に完成した。当時の最新技術である鉄骨カーテンウォール構造を採用し、地上5階建てのルネサンス様式の建物として注目を集めた。東側にある2体のライオン像は、開店当時からのシンボルだ。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
その後の改築で、地上7階、地下3階。延床面積は約720万m2となった。
また、2016年(平成28年)7月には、本館が国の重要文化財に指定された。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
さて、三井家から分離した三越家は、1874年(明治7年)に木造瓦葺き2階建ての土蔵造りの店舗を新築し、1887年(明治20年)には木造2階建西洋風白壁塗の店舗で洋服の販売を始めた。1895年(明治28年)11月にはガラス張りのショーケースを設置して呉服の陳列販売を開始。

日露戦争下の1904年(明治37年)12月に、顧客や取引先に対し「デパートメントストア宣言」と記した挨拶状を発送し、日本初の百貨店としての歩みを始める。
1907年(明治40年)4月に写真部を開設し、衣装を無償で借りて撮影できた。その後カラー写真も撮影できるようになり、1912年(明治45年)には撮影から1分間で写真を引き渡せるようになった。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
1914年(大正3年)に完成した本館には、南北2基ずつ計4基のエレベーターと、日本初となるエスカレーターが設置された。

1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災では、すべての商品を焼失し、本館も営業を続けながら1927年(昭和2年)3月まで修復工事を続けた。
その間、被災した東京市民へ物資を供給すべく、新宿、本郷、銀座、牛込、浅草、上野にマーケットを出店し、のちに新宿三越銀座三越に成長した。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
1945年(昭和20年)の東京大空襲では、日本銀行本店などの重要施設に近接した本店は焼失を免れた。1946年(昭和21年)12月には、戦後初のクリスマスセールと大歳の市を開催した。1950年(昭和25年)には、GHQに供出していた4階より上野フロアが返還された。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
本館の正面玄関を入ると売り場が広がり、その奥の中央部に間口約12メートル、奥行約18.6メートルで、5階まで吹き抜けになった大ホールがあり、10本の大理石仕上げのコリント式の巨大な柱の上部をアーチでつないでいる。屋根のステンドグラスで取り入れた陽の光を受けながら、来店客が大階段を行き来する演出がなされていた。

1960年(昭和35年)には、三越のお客様に対する基本理念「まごころ」をシンボリックに表現する像として、高さ11メートルの「天女像 (まごころぞう) 」が設置された。
像の足下の階段の大理石には、後述するアンモナイトやベルムナイトの化石を見ることができる。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
屋上は、ガラス屋根を囲むように屋上庭園が整備され、東側に東屋と奏楽堂、北西角には茶室と和風庭園が設けられた。
2019年(平成31年)5月にリビューアルオープンし、遊びの野原や四季の森、季節を映す水辺など、自然そのものを楽しめるつながりの森「日本橋庭園」として生まれ変わった。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
エスカレーターと同時期に設置されたエレベーターは、白木屋に次いで全国で2例目の導入だった。
現在、エレベーターは全部で14基あり、レトロな雰囲気は残して更新している。残念ながらエレベーターガールは搭乗しなくなった。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
2007年(平成19年)4月に「日本橋で化石探検」として訪れたときのアルバムに記したように、内装に使っている大理石の中に、アンモナイトなどの化石が数多く含まれており、学術的にも大変貴重なものである。
昭和50年代に行われた筑波大学古生代研究室の調査によると、館内には約1万数千個の化石が眠っているとされているが、正確な記録が残っていないためスタッフですらその全容が掴めていないという。
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日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店 本館
この大理石はイタリア産のネンブロロザートで、中生代ジュラ紀後半の地層から切り出された。

1970年代には小売業で売上高日本一の地位にあったが、百貨店業界全体が斜陽産業となり、かつての宗家である三井住友銀行が三菱東京UFJ銀行に働きかける形で、2008年(平成20年)4月に伊勢丹と経営統合し、三越伊勢丹ホールディングスとなった。
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カフェ ウィーン

三越 カフェ ウィーン
三越 カフェ ウィーン
本館2階の奧にひっそりと佇むカフェ ウィーンは、越後屋と同じくらい長い伝統を誇るウィーンのコーヒーとオーストリア料理を提供するお店で、ウィーンの市立公園にあるヨハン・シュトラウス像を模した看板が目印。日本で初めて、ウィーン市・ウィーン商工会議所・ウィーンカフェハウス協会の認定書を受けた。席数70席。
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ザッハトルテ - 三越 カフェ ウィーン
ザッハトルテ
ザッハトルテは、1832年(天保2年)に菓子職人のフランツ・ザッハーが考案したチョコレートケーキで、ウィーン銘菓として世界中に知られている。チョコレートのスポンジの上にアプリコットジャムを塗り、表面全体をチョコレートのフォンダン)コーティングしている。
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ザッハトルテ - 三越 カフェ ウィーン
ザッハトルテ
甘さは控えめで、濃厚なチョコレートとコーヒーの相性は抜群。ケーキに付いてくるホイップクリームをコーヒーに浮かべてウィンナ・コーヒーにしてもいいだろう。
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ザッハトルテは、フサンツの息子のエドワードが1876年(明治9年)に開業したホテル・ザッハの看板メニューとなった。
レシピは門外不出とされたが、3代目のエドマンドの時代にホテルが財政難に陥り、資金援助をしたウィーンの王室ご用達のケーキ店「デメル」がザッハトルテの販売権を得て、レシピが流出した。
1934年(昭和9年)から販売権をめぐってザッハとデメルの間で争いが起き、オリジナル・ザッハトルテの名称はホテル・ザッハの専用に、デメルでは単にザッハトルテとして売るようにとの判決が下った。

中央通り

中央通り
中央通り
本店の東側を通り中央通りは、港区新橋から北へ向かって、銀座・京橋・神田・秋葉原・上野といった商業地や繁華街を通る都心の大動脈だ。国道15号、国道17号、都道437号などから構成される。
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三井住友銀行 日本橋支店

三井住友銀行 日本橋支店
三井住友銀行 日本橋支店
日本橋三越本店と道を隔てて北側には、三井住友銀行 日本橋支店(東京都中央区日本橋室町2-1-1)がある。
前述の通り、1872年(明治5年)に創業した日本最古の銀行であり、この場所が三井銀行の本店であった。
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三井住友銀行 日本橋支店
三井住友銀行 日本橋支店
三井住友銀行の北側には、2005年(平成17年)7月に完成した超高層ビル「日本橋三井タワー」が建っている。高さ194.7メートル。地上39階、地下4階。構造的には銀行と一体化している。

30階から38階までは、高級ホテル「マンダリン オリエンタル東京」である。

5階から28階のオフィスフロアには、三井系列の東レ、デンカの本社が入居しており、いわゆる三井村の中心を成している。
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江戸桜通り
江戸桜通り
三井村にある三井不動産のビルが次々に超高層化しており、コレドと呼ばれる商業施設が入居している。

桜の名所として有名な江戸桜通りは、東京メトロ三越前駅に直結して地下でコレド室町1・2・3を結ぶ地下道が通っている。
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交通アクセス

【鉄道】
  • 銀座線・半蔵門線 「三越前」駅より徒歩1分
  • 東西線 「日本橋」駅(B9出口)より徒歩5分
  • 浅草線 「日本橋」駅より徒歩5分
  • JR新日本橋駅より徒歩7分
  • JR東京駅(日本橋口)より徒歩10分
【バス】
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日本橋三越本店 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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