聖路加国際大学とルドルフ・トイスラー

2023年10月7日 撮影
聖路加国際大学
聖路加国際大学
聖路加国際大学 (せいろかこくさいだいがく) (東京都中央区明石町10番1号)は、1920年(大正9年)にキリスト教宣教医ルドルフ・B・トイスラーが創立した聖路加国際病院附属高等看護婦学校を母体とする私立大学である。

写真手前の建物はトイスラー記念館、その後ろに1901年(明治34年)にトイスラーが開設した聖路加国際病院、一番後ろに、48階、高さ220.6メートルの聖路加セントルークスタワーと、38階、高さ146.1メートルの聖路加レジデンスの2棟の超高層ビルからなる聖路加ガーデンが見える。
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目次

ルドルフ・トイスラー - 聖路加国際大学
ルドルフ・トイスラー
米国聖公会は6番目の宣教医師としてトイスラーを日本へ派遣し、1900年(明治33年)2月2日に来日した。
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トイスラー記念館

トイスラー記念館 - 聖路加国際大学
トイスラー記念館
トイスラー記念館は、1933年(昭和8年)に、トイスラー院長に看護教育宣教師として招かれたアリス・C・セントジョンの宿舎として、現在の聖路加ガーデンの近く(明石町8番1号)に建てられた。聖路加ガーデンの着工にともない、1989年(昭和64年)に解体され、1998年(平成10年)に現在の場所に移築復元された。
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トイスラー記念館 - 聖路加国際大学
トイスラー記念館
聖路加病院や聖ルカ礼拝堂に携わったアメリカ人建築家J・V・W・バーガミニィが設計し、清水組(現在の清水建設株式会社)が施工した。2階建の小規模な洋風住宅ながら鉄筋コンクリート構造を採用し、移築復元前までは地下にボイラー設備を有するなど、耐震性と機能性を備えた住宅だった。
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トイスラー記念館 - 聖路加国際大学
トイスラー記念館
トイスラー記念館聖路加国際病院旧館の前庭。
トイスラーは、アメリカから看護教師としてアリス・セントジョンを招き、1920年(大正9年)に聖路加国際病院付属高等看護婦学校を開設した。だが、1923年(大正12年)の関東大震災で病院は倒壊してしまう。
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聖路加国際病院旧館

聖路加国際病院旧館 - 聖路加国際大学
聖路加国際病院旧館
皇室、米国聖公会、アメリカ赤十字社などの寄付により、1933年(昭和8年)に聖路加国際病院旧館が建設された。現在も病院機能を担っており、2階から本館(新病院)への連絡通路が延びている。

また2階には、患者とその家族、病院、国際大学の教職員と学生のための「祈りの場」として聖ルカ礼拝堂が設けられた。
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聖路加国際病院旧館 - 聖路加国際大学
聖路加国際病院旧館
入口にある石碑には、公爵徳川家達 (とくがわ いえさと) (田安徳川家第7代当主で、1868年(慶応4年)の大政奉還の後に慶喜に代わり徳川宗家第16代当主となった)の書として「神の栄光と人類の奉仕のため」と刻まれている。
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聖路加国際病院旧館 - 聖路加国際大学
聖路加国際病院旧館
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聖路加国際病院旧館 - 聖路加国際大学
聖路加国際病院旧館
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シンボルマーク

シンボルマーク - 聖路加国際大学
シンボルマーク
医聖アスクレピオスの杖をかたどった聖路加国際大学のシンボルマーク
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アメリカ公使館跡

アメリカ公使館跡石標 - 聖路加国際大学
アメリカ公使館跡石標
トイスラー記念館の近くに、アメリカ公使館跡石標がある。
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アメリカ公使館跡石標 - 聖路加国際大学
アメリカ公使館跡石標
1858年(安政4年)に日米修好通商条約が結ばれ、1859年(安政5年)に弁理公使に任命されたタウンゼント・ハリスは、幕府が麻布山善福寺の庫裏を間借りする形で用意した公使館に入った。
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アメリカ公使館跡石標 - 聖路加国際大学
アメリカ公使館跡石標
だが1863年(文久3年)に焼失し、横浜外国人居留地へ移転し、明治維新後の1874年(明治7年)に築地外国人居留地(明石町8番)へ移転し、1890年(明治23年)まで続いた。
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アメリカ公使館跡石標 - 聖路加国際大学
アメリカ公使館跡石標
当時のアメリカ公使館の遺物として、白頭鷲(アメリカの国鳥)、盾形の星条旗、五稜の星といった石像彫刻が記念碑として保存されている。
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立教学院発祥の地

立教学院発祥の地 - 聖路加国際大学
立教学院発祥の地
キリスト教つながりで、聖路加国際大学には、いくつかの学校の発祥の地がある。
立教学院(現在の立教大学)は、トイスラーと同じ米国聖公会の宣教師、チャニング・M・ウィリアムズ主教によって、1874年(明治7年)に創立された。聖路加病院が開設された場所は、もととはウィリアムズが私財を投じて購入した土地で、立教学院が建っていた。
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女子学院発祥の地

女子学院発祥の地 - 聖路加国際大学
女子学院発祥の地
女子学院は、1870年(明治3年)にジュリア・カロゾルスにより築地居留地に設立されたA六番女学校にはじまる米国長老教会の学校である。この敷地には別の建物が建ったため、石碑は聖路加国際大学の前庭に設置された。
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交通アクセス

【鉄道】
  • 日比谷線「築地駅」3a番出口、3b番出口または4番出口から徒歩3分
  • 有楽町線「新富町駅」6番出口から徒歩5分
  • 都営バス「錦11系統」に乗り「築地駅前停留所」(終点)で下車し、徒歩3分
  • 都営バス「東15系統」に乗り、「聖路加病院前停留所」で下車し、徒歩3分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:
聖路加国際大学 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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