人はいつ見た (1853) 黒い船

ペリー
日米和親条約にもとづき、1856年(安政2年)7月、ハリスが乗ったアメリカ船が伊豆半島の下田港にあらわれる。
1857年(安政3年)10月21日、ハリスは第13代将軍・徳川家定に謁見する。
阿部正弘から老中首座を譲られた海外通の堀田正睦は、ハリスの提案内容を詳細に分析し、日本の不利にならないように交渉を進めた。
1858年(安政4年)2月5日、堀田は勅許を得るために京都へ上るが、孝明天皇はこれを拒絶した。堀田は引責辞任し、代わりに井伊直弼が大老に就任した。
清を制圧したイギリスとフランスが40隻の大艦隊を率いて日本へ向かっているという情報を入手したハリスは、条約調印を迫った。
6月19日、井伊は勅許を得ずに日米修好通商条約を結び、日本とアメリカの間で交易が行われることになり、200年あまり続いた鎖国が終わる。
その後、イギリスやロシアなどとも同様の条約を結ぶが、これらは外国人の治外法権を認めたり、関税の自主権を持たないなど、日本にとって不利な条約であった。
日本は大幅な輸入超過となり、金銀などが海外へ流出し、人々の生活は混乱した。
この不平等条約が解消されるまでに半世紀を要することになる。

1860年(安政6年)1月13日、日米修好通商条約の正式文書を交換するため、日本の使節がアメリカへ向かった。そのうちの1隻が、勝海舟が率いる木造船「咸臨丸」であった。通訳の中浜万次郎(ジョン万次郎)や、福沢諭吉が乗船していた。
咸臨丸は37日かけて太平洋を渡りきり、2月26日、無事にサンフランシスコに到着した。
1857年(安政3年)10月21日、ハリスは第13代将軍・徳川家定に謁見する。
阿部正弘から老中首座を譲られた海外通の堀田正睦は、ハリスの提案内容を詳細に分析し、日本の不利にならないように交渉を進めた。
1858年(安政4年)2月5日、堀田は勅許を得るために京都へ上るが、孝明天皇はこれを拒絶した。堀田は引責辞任し、代わりに井伊直弼が大老に就任した。
清を制圧したイギリスとフランスが40隻の大艦隊を率いて日本へ向かっているという情報を入手したハリスは、条約調印を迫った。
6月19日、井伊は勅許を得ずに日米修好通商条約を結び、日本とアメリカの間で交易が行われることになり、200年あまり続いた鎖国が終わる。
その後、イギリスやロシアなどとも同様の条約を結ぶが、これらは外国人の治外法権を認めたり、関税の自主権を持たないなど、日本にとって不利な条約であった。
日本は大幅な輸入超過となり、金銀などが海外へ流出し、人々の生活は混乱した。
この不平等条約が解消されるまでに半世紀を要することになる。

1860年(安政6年)1月13日、日米修好通商条約の正式文書を交換するため、日本の使節がアメリカへ向かった。そのうちの1隻が、勝海舟が率いる木造船「咸臨丸」であった。通訳の中浜万次郎(ジョン万次郎)や、福沢諭吉が乗船していた。
咸臨丸は37日かけて太平洋を渡りきり、2月26日、無事にサンフランシスコに到着した。
この時代の世界
参考書籍
![]() |
福翁自伝 | ||
著者 | 福沢 諭吉/土橋 俊一 | ||
出版社 | 講談社 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 2010年02月10日頃 | ||
価格 | 1,496円(税込) | ||
ISBN | 9784062919821 | ||
「本当の開国…コリャ面白い」幕末・維新の激動期を「自由自在に運動」した痛快無類の人生を存分に語り尽くす。 | |||
![]() |
咸臨丸海を渡る | ||
著者 | 土居 良三 | ||
出版社 | 未来社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 1992年01月01日頃 | ||
価格 | 4,950円(税込) | ||
ISBN | 9784624111410 | ||
咸臨丸に搭乗、初めてアメリカに渡った若き軍艦奉行・木村摂津守、その従者長尾幸作とその親友福沢諭吉。未公刊の航海日誌によって知る勝麟太郎の苦辛、アメリカ海軍大尉ブルックとジョン万次郎の友情、異郷に客死した3人の水夫たちー。咸臨丸渡航の実態とドラマを一次史料にもとづきいきいきと再現。 | |||
(
この項つづく)
ペリーは日本に開国を求めるアメリカ大統領フィルモアの国書を持っており、軍艦の大砲を陸地へ向け、脅した。パニックとなった江戸の町を見て、老中首座の阿部正弘はやむを得ず国書を受け取り、1年後に回答することを約束した。