
2003年11月3日 品川駅 写真:パパぱふぅ

2000年12月10日 東京駅 写真:パパぱふぅ
当初は全車指定席だったが、最近では立席特急券が用意されている。また、高尾、大宮、横浜など様々な方面から成田へ直行できるようになった。

車内は航空機のようなデザインになっており、荷物棚は網棚ではなく蓋の付いたハットラック式になっている。また、デッキ部分にはスーツケースをおける荷物置き場が用意されている。

3両編成2本(6両)は長野電鉄に譲渡され、長野線の特急車両として2011年(平成23年)より使用する予定だ。
この新型特急の愛称が「スノーモンキー」に決まった。車両前面の赤と白のコントラストが、長野電鉄・湯田中駅に近い地獄谷野猿公苑で見られる「雪景色の中、温泉に入る猿」に似ているからだという。

車内は航空機のようなデザインになっており、荷物棚は網棚ではなく蓋の付いたハットラック式になっている。また、デッキ部分にはスーツケースをおける荷物置き場が用意されている。

3両編成2本(6両)は長野電鉄に譲渡され、長野線の特急車両として2011年(平成23年)より使用する予定だ。
この新型特急の愛称が「スノーモンキー」に決まった。車両前面の赤と白のコントラストが、長野電鉄・湯田中駅に近い地獄谷野猿公苑で見られる「雪景色の中、温泉に入る猿」に似ているからだという。
榮久庵憲司
インダストリアル・デザイナーの榮久庵憲司がデザインを担当した。

榮久庵憲司は1929年(昭和4年)に東京で生まれ、翌年、ハワイに移住。
帰国して海軍兵学校に進むが、広島の寺の住職だった父の跡を継ぐため、原爆が投下された1945年(昭和20年)8月の終わりに広島市へ入る。
その後、東京芸術大図案科で学び、1957年(昭和32年)にGKインダストリアルデザイン研究所を設立し、誰もが美しいデザインに触れられる「モノの民主化」「美の民主化」を唱えた。

1961年(昭和36年)に発売されたキッコーマンのしょうゆ瓶をデザインした。液だれしない機能性と、すっきりした形状で、国内外向けに約4億本生産された。ほかに、ヤマハのオートバイ、大阪万博の電話ボックスやモノレール、日本中央競馬会やミニストップのロゴマークなど、数多くのデザインを手がけた。

JR東日本では、253系をはじめ、209系、255系、E217系、E231系のデザインを手掛けた。

2015年(平成27年)2月8日、85歳で死去。

榮久庵憲司は1929年(昭和4年)に東京で生まれ、翌年、ハワイに移住。
帰国して海軍兵学校に進むが、広島の寺の住職だった父の跡を継ぐため、原爆が投下された1945年(昭和20年)8月の終わりに広島市へ入る。
その後、東京芸術大図案科で学び、1957年(昭和32年)にGKインダストリアルデザイン研究所を設立し、誰もが美しいデザインに触れられる「モノの民主化」「美の民主化」を唱えた。

1961年(昭和36年)に発売されたキッコーマンのしょうゆ瓶をデザインした。液だれしない機能性と、すっきりした形状で、国内外向けに約4億本生産された。ほかに、ヤマハのオートバイ、大阪万博の電話ボックスやモノレール、日本中央競馬会やミニストップのロゴマークなど、数多くのデザインを手がけた。

JR東日本では、253系をはじめ、209系、255系、E217系、E231系のデザインを手掛けた。

2015年(平成27年)2月8日、85歳で死去。
253系1000番台

2016年8月14日 鬼怒川公園駅 写真:こぱふぅ

2019年5月3日 北鹿沼駅~明神駅間 写真:こぱふぅ
分割・併合運用がないため、電気連結器を撤去し、前面貫通形を塞ぎ非貫通形へ変更した。
塗装色の変更と相まって、成田エクスプレスの当時の洗練したデザインが失われてしまったのは残念だ。

バリアフリー対策として、車いす対応大型トイレを設置しているほか、ベビーカーやゴルフバッグなどにも対応する大型荷物収容スペースや多目的室を設置した。
塗装色の変更と相まって、成田エクスプレスの当時の洗練したデザインが失われてしまったのは残念だ。

バリアフリー対策として、車いす対応大型トイレを設置しているほか、ベビーカーやゴルフバッグなどにも対応する大型荷物収容スペースや多目的室を設置した。

2016年8月14日 鬼怒川公園駅 写真:こぱふぅ

(この項おわり)
後継車両 E259系の登場により、2010年(平成22年)6月末に引退した。