西暦843年 - ヴェルダン条約

フランク王国が3分割
ヴェルダン条約によるフランク王国の分割
843年、フランク王ルートウィヒ1世(ルイ1世)の死後、ロタール、ルートウィヒ2世、シャルル2世の3人の息子が争うが、フランク王国を三分割するヴェルダン条約を結んだ。これが、フランス・ドイツ・イタリア3国の形成の出発点となった。
カール大帝の跡を継いだルートウィヒ1世(ルイ1世)は、子どもたちに分割相続するというフランク族の慣習に従い、長男ロタールには王国本土を、次男ピピンと三男ルートヴィヒ にはそれぞれアクィタニアとバイエルンとを与える分割統治案を定めた。ところが、832年、末弟カールが産まれると、彼にも領土を与えることを決めた。
3人の兄たちは分割相続分が削られることに腹を立て、父王への反乱を企てる。
そんな中、838年にピピンが死去した。さらに、840年にルートウィヒ1世が死去すると、領土をめぐる兄弟の対立は激化した。
最終的に、ロタール、ルイ2世、シャルル2世は、フランク王国を三分割するヴェルダン条約を結んだ。

ロタールは中部フランク及びイタリア北部、それに西ローマ帝国皇帝の位を獲得。皇帝ロタール1世を名乗るが、宗主権は失った。またルートヴィヒは東フランク王国を獲得して国王ルートウィヒ2世(ルイ2世,ドイツ人王)を、カールは西フランク王国を獲得して国王シャルル2世(カール2世,禿頭王)を名乗った。

ロタールの死後、再び領土問題が起こり、870年のメルセン条約が結ばれる。

この時代の世界

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参考サイト

(この項おわり)
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