泣くよ (794) 坊さん、平安京

平城京同様、唐の長安をモデルに造られ、幅28丈(約84メートル)の朱雀大路を境に東側の左京と西側の右京に分かれていた。
さらに東西南北に走る大路・小路によって、40丈(約120メートル)四方の町に分けられていた。

東西方向に並ぶ町を4列集めたものを「条」、南北方向の列を4つ集めたものを「坊」と呼び、同じ条・坊に属する16の町にはそれぞれ番号が付けられていた。これによりそれぞれの町は「右京五条三坊十四町」のように呼ばれた。
道路の幅は小路でも4丈(約12メートル)、大路では8丈(約24メートル)以上あった。現在の京都市より大分広い。
さらに東西南北に走る大路・小路によって、40丈(約120メートル)四方の町に分けられていた。

東西方向に並ぶ町を4列集めたものを「条」、南北方向の列を4つ集めたものを「坊」と呼び、同じ条・坊に属する16の町にはそれぞれ番号が付けられていた。これによりそれぞれの町は「右京五条三坊十四町」のように呼ばれた。
道路の幅は小路でも4丈(約12メートル)、大路では8丈(約24メートル)以上あった。現在の京都市より大分広い。

四神相応
平安京には城壁は存在しなかったが、中国から伝わった風水に基づく四神相応の考え方に基づいて場所を選定したといわれている。
つまり、東の青龍が鴨川、西の白虎が山陰道、南の朱雀が巨椋池、北の玄武が船岡山といった対応付けである。
つまり、東の青龍が鴨川、西の白虎が山陰道、南の朱雀が巨椋池、北の玄武が船岡山といった対応付けである。

桓武天皇
この時代の世界
(この項おわり)
平安京は、現在の京都市よりやや小さく、東西4.5キロ、南北5.2キロの広さであった。平城京より南北に長い都である。