『ザイログZ80伝説』――さらば少年の日よ

鈴木哲哉=著
表紙 ザイログZ80伝説
著者 鈴木哲哉
出版社 ラトルズ
サイズ 単行本
発売日 2020年08月24日頃
価格 2,398円(税込)
ISBN 9784899774815
その理由は、よくいわれるように見術な技術者が身につけた知識の更新を嫌ったからだけでなく、優秀な技術者がトランジスタを1万個近く集積したICの信頼性に疑いを持ち、様子見をしたからだと思われます。(58ページ)

概要

Zilog Z80A
Zilog Z80A
初めて買ったパソコン SHARP MZ-1500 にはCPUとして Z80 が搭載されていた。ハードウェア、ソフトウェアの両面に渡って Z80 を学び倒し、それは私の技術力の糧となった。そんな伝説のCPUを振り返ってみようと、本書を手にした。著者の鈴木哲哉さんは10歳年長だ。

レビュー

Z80のダイ
Z80のダイ
4ビットCPU「4004」や8ビットCPU「8080」を設計したフェデリコ・ファジンは、ラルフ・アンガーマンとともにインテルを退職し、1975年5月、石油企業のエクソンから40万ドルの出資を受けてザイログを設立した。そして、インテルから嶋正利が合流し、あらたなCPU「Z80」の設計は順調に進んだ。
ザイログは自社で半導体生産できる設備を持っていなかったので、当初、シナーテックに委託製造させようとした。しかし、条件面で折り合わず、モステックに委託することになった。これが功を奏し、Z80 は順調に生産され、1976年7月に発売。1年後にはクロック数が4MHzと2倍になった。
Zilog Z84C0020
Zilog Z84C0020
Z80 の販売が始まると、エクソンは500万ドルの追加投資を行い、1976年、ザイログはカリフォルニア州クパチーノに半導体工場を建設する。その1年後、すぐ近くにアップルの工場が建設される。
1977年、ファミリーチップZ80 DMA、PIO、CTCの生産が始まり、やや遅れてSIOの生産が始まった。

Z80 はハード/ソフトの両面において 8080 を上回っており、とくにSIOは当時の半導体チップにしては抜きん出た機能を備えていた。しかし、1977年の売上個数は18万個で 8080 の2割以下だった。売上個数で 80806502 を超えたのは1980年になってからだ。
Z80と他の8ビットCPUの出荷数
Z80と他の8ビットCPUの出荷数
1974年、世界初のパソコン「アルテア8800」は、インテル 8080 を搭載していた。1977年には 6502 を搭載した Apple IIPET 2001 が発売される。
1977年11月、タンディはクリスマス商戦に向け、Z80 を搭載した初のパソコン TRS-80を投入する。キーボードやモニタを付けて600ドルと、Apple II の3分の1の価格に抑え、系列の家電販売店ラジオシャックで実演販売することで、大成功を収める。浮動小数演算可能なBASICや、グラフィック描画機能を搭載していた。

1979年に入ると、世界各国で Z80 を搭載したパソコンの販売が始まり、出荷数が急速に延びる。国内では、1978年12月に発売された SHARP MZ-80K(Z80 2MHz)を皮切りに、1979年5月にNEC PC-8001(Z80互換 4MHz)が発売された。
1983年6月、米マイクロソフトとアスキーが MSX 規格を発表する。1990年代初頭に発表されたMSX turboRまで、CPUとして Z80 を搭載。500万台生産されたMSXパソコンの半分は海外に輸出され、Z80 の認知度を高めた。

Z80 のファミリーチップ、とくに Z80 DMA は高価だった。Z80 CPU・CTC・DMA・SIOが揃って搭載されたパソコンは、1984年10月に発売された SHARP X1 turbo が初めてだった。
Z808080 と異なり、DRAM のためのリフレッシュ信号を備えていた。DRAMSRAM に比べて安価に製造できることから、パソコンの主記憶に採用され、このことが Z80 の出荷数増加に繋がった。
DRAM はIBMが発明し、1970年、インテルが発売した1KビットDRAM 1103 が広く使われるようになった。以後、4KビットはTI社が、16Kビットではモステックがトップサプライヤーとなった。1970年代には、日本が国策として DRAM 製造に力を入れ、64Kビットでは日立製作所、256KビットではNEC、1Mビットでは東芝がトップサプライヤーとなった。日本企業のシェアは1986年には80%にも達した。
日本のMSXやDRAMが Z80 の出荷を牽引したとも言える。

1976年、デジタルリサーチは 8080 用OS「CP/M」を発売する。
CP/Mがパソコンの共通基盤となったことから、BASICをはじめとするプログラミング言語はもちろん、ワープロソフト WordStar、表計算ソフト SuperCalc、データベースソフト dBASE II などが登場し、パソコンがビジネス業務にも利用できることを証明した。ついには、Apple II 用のZ80カードも登場した。
CP/Mには 8080 用アセンブラASMが標準搭載されており、それまでミニコンでクロス開発していたソフトをセルフ開発できるようになった。このことが Z80 の販売数アップに繋がり、パソコンが普及するきっかけになった。
デジタルリサーチは、PL/I、BASICコンパイラ、Pascalコンパイラなどを発売し、ソフト開発をサポートした。創業間もないマイクロソフトも、M-BASIC(インタプリタ、コンパイラ)に加え、Z80 のアセンブルを可能とするマクロアセンブラ MACRO-80 を発売した。
(2021年9月23日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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