Apple II 発売

Apple II

Apple II
Apple II はコンピュータ愛好家に受け入れられた。
本体はキーボードと一体化しており、洗練されたデザインのケースに収まっていた。また、家庭用テレビに接続してカラーグラフィック表示できる点も、当時の他社パソコンと一線を画していた。
本体はキーボードと一体化しており、洗練されたデザインのケースに収まっていた。また、家庭用テレビに接続してカラーグラフィック表示できる点も、当時の他社パソコンと一線を画していた。

Apple II
プログラミング用として整数演算ができる 6K BASIC が搭載されていたが、後に、ビル・ゲイツのマイクロソフト製の浮動小数演算のできる 10K BASIC(Applesoft BASIC)がリリースされた。
本体後方に8個のスロットが設けられており、そこに拡張カードを増設することができた。1978年(昭和53年)7月には専用のフロッピーディスクドライブ「disk II」が発売され、多くのアプリケーション・ソフトウェアが生まれた。
Apple II の生産は1983年(昭和58年)まで続き、500万台が生産された。
本体後方に8個のスロットが設けられており、そこに拡張カードを増設することができた。1978年(昭和53年)7月には専用のフロッピーディスクドライブ「disk II」が発売され、多くのアプリケーション・ソフトウェアが生まれた。
Apple II の生産は1983年(昭和58年)まで続き、500万台が生産された。

Apple diskシステム
1976年(昭和51年)、コモドールの社長ジャック・トラミエルは、Apple Iを発売したばかりのアップル売却のオファを受けるが、これを一蹴。逆に、Apple I に搭載しているCPUのメーカーである MOSテクノロジーを買収。マイクロソフトのビル・ゲイツからBASICインタプリタの使用権を、わずか1万ドルで取得し、自社製コンピュータに6502とBASICを搭載し、PET 2001 として、1977年(昭和52年)4月16日、サンフランシスコで開催された世界最大のコンピュータ見本市「ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア」(WCCF)に出品した。Apple II も出品された。

Dr. Dobb's Journal

PET 2001
コモドールを率いるジャック・トラミエルは、アウシュビッツ強制収容所から生還したという経歴を持つ起業家だ。史上初のオールインワンパソコンである PET 2001 は、無骨なデザインでグラフィック機能もなかったが、当初、Apple II よりも多く売れていた。1982年(昭和57年)8月に発売したコモドール64は、累計出荷台数1700万台と、単一機種としては最も販売台数の多いパソコンとなった。

TRS-80
WCCFからやや遅れて発売されたタンディ・コーポレーションの TRS-80 は、家電チェーンの強みを活かし、Apple II 3分の1の価格で100倍以上の出荷台数を叩き出した。

こうして、アメリカでは個人向けコンピュータの開発・販売競争が勃発する。
そして、コモドールは1994年(平成6年)に破産、タンディ・コーポレーションは2000年(平成12年)に解散した。アップルだけが生き残った。

こうして、アメリカでは個人向けコンピュータの開発・販売競争が勃発する。
そして、コモドールは1994年(平成6年)に破産、タンディ・コーポレーションは2000年(平成12年)に解散した。アップルだけが生き残った。
参考書籍
![]() |
スティーブ・ジョブズ 偶像復活 | ||
著者 | ジェフリ・S.ヤング/ウィリアム・L.サイモン | ||
出版社 | 東洋経済新報社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2005年11月 | ||
価格 | 2,420円(税込) | ||
ISBN | 9784492501474 | ||
アップルコンピュータを創った男のビジネス史上最も偉大な第二幕。カリスマの虚像と実像を追った「非公認」ノンフィクション。 | |||
![]() |
スティーブズ 第1巻 | ||
著者 | うめ/松永肇一 | ||
出版社 | 小学館 | ||
サイズ | コミック | ||
発売日 | 2014年11月28日頃 | ||
価格 | 671円(税込) | ||
ISBN | 9784091866981 | ||
![]() |
スティーブズ 第2巻 | ||
著者 | うめ/松永肇一 | ||
出版社 | 小学館 | ||
サイズ | コミック | ||
発売日 | 2015年06月12日頃 | ||
価格 | 671円(税込) | ||
ISBN | 9784091871107 | ||
ボイジャー1号打ち上げ

ボイジャー1号

ボイジャー1号 打ち上げ
1977年(昭和52年)9月5日、NASAはケネディ宇宙センターからタイタンIIIE セントールロケットを使い、無人惑星探査機ボイジャー1号の打ち上げに成功する。

木星(ボイジャー1号撮影)
1979年(昭和54年)3月5日、最初の目的地である木星に34.9万kmまで接近し、木星の衛星や環などの鮮明なカラー写真を撮影した。

木星で重力スイングバイを行い、1980年(昭和55年)11月12日、土星まで12.4万kmまで迫った。土星の環の複雑な構造を明らかにし、タイタンの大気の調査を行った。

木星で重力スイングバイを行い、1980年(昭和55年)11月12日、土星まで12.4万kmまで迫った。土星の環の複雑な構造を明らかにし、タイタンの大気の調査を行った。

土星(ボイジャー1号撮影)
土星で重力スイングバイを行うと、太陽系を離脱するコースに乗る。
2004年(平成16年)12月、太陽から約140億kmの距離で、太陽風の速度が急減し、星間物質が検知された。2012年(平成24年)8月、NASAはボイジャー1号が太陽圏を脱出した初めての人工物体になったことを発表した。
2017年(平成29年)11月、太陽から約200億kmの距離にあり、37年ぶりに軌道制御エンジンを噴射させ、なおも地球との交信を保っている。地球との電波通信は、片道18時間半もかかる。
2004年(平成16年)12月、太陽から約140億kmの距離で、太陽風の速度が急減し、星間物質が検知された。2012年(平成24年)8月、NASAはボイジャー1号が太陽圏を脱出した初めての人工物体になったことを発表した。
2017年(平成29年)11月、太陽から約200億kmの距離にあり、37年ぶりに軌道制御エンジンを噴射させ、なおも地球との交信を保っている。地球との電波通信は、片道18時間半もかかる。

天王星(ボイジャー2号撮影)
ボイジャー1号よりやや早く、1977年(昭和52年)8月20日に打ち上げられた無人惑星探査機ボイジャー2号は、1979年(昭和54年)7月9日に木星に最接近、1981年(昭和56年)8月25日に土星に再接近した。
ボイジャー2号のミッションはここで終わる予定だったが、軌道修正により天王星へ向かうことが可能であり、1986年(昭和61年)1月24日に天王星に再接近し、大気や衛星ミランダを観測した。
ボイジャー2号のミッションはここで終わる予定だったが、軌道修正により天王星へ向かうことが可能であり、1986年(昭和61年)1月24日に天王星に再接近し、大気や衛星ミランダを観測した。

海王星(ボイジャー2号撮影)
さらに1989年(平成元年)8月25日には海王星へ接近。環や衛星トリトンの観測を行った。

ボイジャー1号は2号より速いスピードで飛行を続けており、2011年(平成23年)1月、太陽圏辺縁部に到達。2023年(令和5年)5月現在、太陽から約239億kmの距離にあり、なお交信を続けている(電波が到達するのに22時間かかる)。

ボイジャー1号は2号より速いスピードで飛行を続けており、2011年(平成23年)1月、太陽圏辺縁部に到達。2023年(令和5年)5月現在、太陽から約239億kmの距離にあり、なお交信を続けている(電波が到達するのに22時間かかる)。
この時代の世界
(この項おわり)
大学を中退しアタリの技師をしていたスティーブ・ジョブズ、ヒューレット・パッカードに勤務していたスティーブ・ウォズニアック、大富豪のマイク・マークラの3人が1月に設立したアップルの最初の製品であった。