8080 に比べて高クロックへの対応が図られており、無印の Z80 は2.5MHz、多くの国産パソコンに搭載された Z80A は4MHz、1985年(昭和60年)に登場したシャープ MZ-2500 シリーズは Z80B の6MHz、Z80E・Z80H は8MHzとなっている。さらにCMOS版では、Z84C0020 が最大20MHzで動作する。
レジスタは、アキュムレータAとフラグF、汎用レジスタがB, C, D, E, H, Lの6本がある。汎用レジスタは組み合わせて BC,DE, HLの16ビット・レジスタとして使うこともできた。ここまでは 8080 と同じだが、これらのレジスタと全く同じ構成の裏レジスタ が用意され、処理の高速化に貢献した。
プログラムカウンタPC、スタックポインタSP、インデックスレジスタIX, IYは、それぞれ16ビットである。
リフレッシュカウンタRと、割り込みベクタIは8ビットである。
プログラムカウンタPC、スタックポインタSP、インデックスレジスタIX, IYは、それぞれ16ビットである。
リフレッシュカウンタRと、割り込みベクタIは8ビットである。
8ビットCPUではあるものの、8080 同様、16ビットの加減算命令を備えている。符号付き整数なら、-32,768~+32,767の範囲の整数の足し算と引き算ができる。ただし、乗除算命令がなく、これらはタイガー計算機のように加減算の繰り返しで行うプログラムを用意する必要がある。また、浮動小数点演算機能もなく、これらもプログラムで用意することになる。
ゲームプログラムでは、画面サイズの範囲内でキャラクターを動かすことから、使用する数値の範囲を限定することができた。そこで、タイガー計算機よりさらに古い数表を真似て、固定小数による三角関数表などを用意し、計算せずに処理を行ったものである。
Z80 で追加されたブロック転送命令は、ゲーム画面を切り替えるようなとき、メモリ上にある長いデータを転送するのに便利である。たとえば1Kバイトをブロック転送命令で転送すると、前処理を含めて23,580クロックかかるが、プログラムサイズは11バイトと短くて済む。
一方、ループ命令で同じプログラムを書くと、19,840クロックと約16%高速化できるが、プログラムサイズは28バイトと2.5倍の大きさになる。
このように、Z80では、プログラムの書き方によって、プログラムサイズと処理時間がバーターになるケースがいくつかあり、目的に応じて使い分けをした。
ゲームプログラムでは、画面サイズの範囲内でキャラクターを動かすことから、使用する数値の範囲を限定することができた。そこで、タイガー計算機よりさらに古い数表を真似て、固定小数による三角関数表などを用意し、計算せずに処理を行ったものである。
Z80 で追加されたブロック転送命令は、ゲーム画面を切り替えるようなとき、メモリ上にある長いデータを転送するのに便利である。たとえば1Kバイトをブロック転送命令で転送すると、前処理を含めて23,580クロックかかるが、プログラムサイズは11バイトと短くて済む。
一方、ループ命令で同じプログラムを書くと、19,840クロックと約16%高速化できるが、プログラムサイズは28バイトと2.5倍の大きさになる。
このように、Z80では、プログラムの書き方によって、プログラムサイズと処理時間がバーターになるケースがいくつかあり、目的に応じて使い分けをした。
Z80の開発
インテルで、電卓用CPU 4004、8080 を設計したフェデリコ・ファジンは、8080 の設計が終わると、モトローラの 6800 に対抗するCPUの設計を上層部に提案した。しかし、インテルはメモリの売上に支えられていたため、8080 と 6800 が共に売れた方が都合が良かった。
ファジン はラルフ・アンガーマン とともにインテルを退職し、1975年(昭和50年)5月、エクソンから40万ドルの出資を受け、ザイログを設立した。
ファジン はラルフ・アンガーマン とともにインテルを退職し、1975年(昭和50年)5月、エクソンから40万ドルの出資を受け、ザイログを設立した。
その後、インテルを退職した嶋正利が合流し、Z80 の設計は順調に進んだ。
ザイログは自社で半導体生産できる設備を持っていなかったので、当初、シナーテックに委託製造させようとした。しかし、条件面で折り合わず、モステックに委託することになった。これが功を奏し、Z80 は順調に生産され、1976年(昭和51年)7月に発売。1年後にはクロック数が4MHzと2倍になった。
Z80 の販売が始まると、エクソンは500万ドルの追加投資を行い、1976年(昭和51年)、ザイログはカリフォルニア州クパチーノに半導体工場を建設する。その1年後、すぐ近くにアップルの工場が建設される。
1977年(昭和52年)、ファミリーチップZ80 DMA、PIO、CTCの生産が始まり、やや遅れてSIOの生産が始まった。
ザイログは自社で半導体生産できる設備を持っていなかったので、当初、シナーテックに委託製造させようとした。しかし、条件面で折り合わず、モステックに委託することになった。これが功を奏し、Z80 は順調に生産され、1976年(昭和51年)7月に発売。1年後にはクロック数が4MHzと2倍になった。
Z80 の販売が始まると、エクソンは500万ドルの追加投資を行い、1976年(昭和51年)、ザイログはカリフォルニア州クパチーノに半導体工場を建設する。その1年後、すぐ近くにアップルの工場が建設される。
1977年(昭和52年)、ファミリーチップZ80 DMA、PIO、CTCの生産が始まり、やや遅れてSIOの生産が始まった。
Z80とTRS-80
Z80 はハード/ソフトの両面において 8080 を上回っており、とくにSIOは当時の半導体チップにしては抜きん出た機能を備えていた。しかし、1977年(昭和52年)の売上個数は18万個で 8080 の2割以下だった。売上個数で 8080 や 6502 を超えたのは1980年(昭和55年)になってからだ。
同じ頃、コモドールが発売開始したパソコン PET 2001 も 6502 を採用していた。1983年(昭和58年)に発売された ファミリーコンピュータは 6502 のカスタムチップを、1987年(昭和62年)に発売されたPCエンジンは、ハドソンが開発した高クロック版 HuC6280 を搭載した。
1977年(昭和52年)11月、タンディはクリスマス商戦に向け、Z80 を搭載した初のパソコン TRS-80を投入する。キーボードやモニタを付けて600ドルと、Apple II の3分の1の価格に抑え、系列の家電販売店ラジオシャックで実演販売することで、大成功を収める。
浮動小数演算可能なBASICや、グラフィック描画機能を搭載していた。
浮動小数演算可能なBASICや、グラフィック描画機能を搭載していた。
1979年(昭和54年)に入ると、世界各国で Z80 を搭載したパソコンの販売が始まり、出荷数が急速に延びる。国内では、1978年(昭和53年)12月に発売された SHARP MZ-80K(Z80 2MHz)を皮切りに、1979年(昭和54年)5月にNEC PC-8001(Z80互換 4MHz)が発売された。
これらより早く1978年(昭和53年)9月に発売された日立ベーシックマスターは 6800 互換CPUを搭載し、少し遅れて1981年(昭和56年)5月に発売された富士通 FM-8 は 6809 を2個搭載した。
1983年(昭和58年)6月、米マイクロソフトとアスキーが MSX 規格を発表する。1990年代初頭に発表されたMSX turboRまで、CPUとして Z80 を搭載。500万台生産されたMSXパソコンの半分は海外に輸出され、Z80 の認知度を高めた。
Z80とゲーム機
1978年(昭和53年)8月に稼動を開始し社会現象にもなったタイトー「スペースインベーダー」は、CPUに Intel 8080 を搭載していた。
これに対抗してナムコが1979年(昭和54年)10月に稼動開始した「ギャラクシアン」は Z80 を搭載し、スペースインベーダーでは敵の数が多いと動きが遅くなるという〈特性〉をクリアし、キャラクターをスプライト表示できる回路を実装した。
これに対抗してナムコが1979年(昭和54年)10月に稼動開始した「ギャラクシアン」は Z80 を搭載し、スペースインベーダーでは敵の数が多いと動きが遅くなるという〈特性〉をクリアし、キャラクターをスプライト表示できる回路を実装した。
その後、家庭用ゲーム機にも Z80 が搭載されるようになる。
任天堂ファミリーコンピュータと同時期の1983年(昭和58年)7月に発売したセガ SG-1000[は、Z80Aを搭載する同社のゲームパソコン SC-3000をゲームに特化させ、同社の家庭用ゲーム機第1号となった。1985年(昭和60年)10月に発売した後継機セガ・マークIIIも Z80Aを搭載する。
任天堂ファミリーコンピュータと同時期の1983年(昭和58年)7月に発売したセガ SG-1000[は、Z80Aを搭載する同社のゲームパソコン SC-3000をゲームに特化させ、同社の家庭用ゲーム機第1号となった。1985年(昭和60年)10月に発売した後継機セガ・マークIIIも Z80Aを搭載する。
1989年(平成元年)4月任天堂が発売した携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」は、Z80の機能を一部省略したカスタムCPUが搭載されており、Z80のライセンス製造を行っていたシャープが開発・製造した。2001年(平成13年)3月に発売された後継機「ゲームボーイアドバンス」にも、サブCPUとしてZ80カスタムCPUが搭載された。
パチンコ/パチスロといった遊技機のメイン基板に Z80 が搭載されている。
液晶表示やギミックは派手になっていく一方の遊技機だが、これらはサブ基板で制御しており、当たり判定を行っているメイン基板は「遊技機の認定及び型式の検定等に関する規則」によってサブ基板からの干渉を一切受けないことを求められている。
液晶表示やギミックは派手になっていく一方の遊技機だが、これらはサブ基板で制御しており、当たり判定を行っているメイン基板は「遊技機の認定及び型式の検定等に関する規則」によってサブ基板からの干渉を一切受けないことを求められている。
しかも、保安通信協会(保通協)が検査できないというだけの理由で、2023年(令和5年)4月現在も Z80のプログラムしか認められていない。上の写真でシールが貼られているのが Z80 で、このシールが認定を受けていることを示す封緘になっている。
同規則ではプログラムの容量制限も定められているので、開発は当然のごとくZ80アセンブリだ。COBOLとともに老練なプログラマが求められる業界である。
同規則ではプログラムの容量制限も定められているので、開発は当然のごとくZ80アセンブリだ。COBOLとともに老練なプログラマが求められる業界である。
Z80とCP/M
1976年(昭和51年)、デジタルリサーチは 8080 用OS「CP/M」を発売する。
CP/Mがパソコンの共通基盤となったことから、BASICをはじめとするプログラミング言語はもちろん、ワープロソフト WordStar、表計算ソフト SuperCalc、データベースソフト dBASE II などが登場し、パソコンがビジネス業務にも利用できることを証明した。ついには、Apple II 用のZ80カードも登場した。
CP/Mがパソコンの共通基盤となったことから、BASICをはじめとするプログラミング言語はもちろん、ワープロソフト WordStar、表計算ソフト SuperCalc、データベースソフト dBASE II などが登場し、パソコンがビジネス業務にも利用できることを証明した。ついには、Apple II 用のZ80カードも登場した。
CP/Mには 8080 用アセンブラ ASM が標準搭載されており、それまでミニコンでクロス開発していたソフトをセルフ開発できるようになった。このことが Z80 の販売数アップに繋がり、パソコンが普及するきっかけになった。
デジタルリサーチは、PL/I、BASICコンパイラ、Pascalコンパイラなどを発売し、ソフト開発をサポートした。創業間もないマイクロソフトも、M-BASIC(インタプリタ、コンパイラ)に加え、Z80 のアセンブルを可能とするマクロアセンブラ MACRO-80 を発売した。
デジタルリサーチは、PL/I、BASICコンパイラ、Pascalコンパイラなどを発売し、ソフト開発をサポートした。創業間もないマイクロソフトも、M-BASIC(インタプリタ、コンパイラ)に加え、Z80 のアセンブルを可能とするマクロアセンブラ MACRO-80 を発売した。
国内では、ライフボードが安価な言語パッケージを販売し、FORTRAN、COBOL、LISP、LOGO、Prolog、BDS-C、Pascal、Forthが揃った。LSIジャパンのLSI-C80や、オープンソースのSmall-Cも加わり、プログラミング学習に大いに役だった。
とくに Small-C は、MACRO-80を使って日本語処理用のライブラリを開発したことで、その後の仕事に役立つことになる。
とくに Small-C は、MACRO-80を使って日本語処理用のライブラリを開発したことで、その後の仕事に役立つことになる。
Z80とDRAM
Z80 のファミリーチップ、とくに Z80 DMA は高価だった。Z80 CPU・CTC・DMA・SIOが揃って搭載されたパソコンは、1984年(昭和59年)10月に発売された SHARP X1 turbo が初めてだった。
Z80 は 8080 と異なり、DRAM のためのリフレッシュ信号を備えていた。DRAM は SRAM に比べて安価に製造できることから、パソコンの主記憶に採用され、このことが Z80 の出荷数増加に繋がった。
Z80 は 8080 と異なり、DRAM のためのリフレッシュ信号を備えていた。DRAM は SRAM に比べて安価に製造できることから、パソコンの主記憶に採用され、このことが Z80 の出荷数増加に繋がった。
DRAM はIBMが発明し、1970年(昭和45年)、インテルが発売した1KビットDRAM 1103 が広く使われるようになった。以後、4KビットはTI社が、16Kビットではモステックがトップサプライヤーとなった。DRAM は3年ごとに記憶容量が4倍になり、ムーアの法則を体現していた。
1970年代には、日本が国策として DRAM 製造に力を入れ、64Kビットでは日立製作所、256KビットではNEC、1Mビットでは東芝がトップサプライヤーとなった。日本企業のシェアは1986年(昭和61年)には80%に達したが、バブル景気の崩壊とともに急速にシェアを失うことになる。
Z80と組み込み機器
1980年代後半から、組み込み機器――計測機器、POSレジ、ネットワークカメラなど――にも Z80 が搭載されるようになった。
生産終了
2024年(令和6年)4月15日、Zilogは現行のZ80である「Z84C00」シリーズの全ての製品(13種類)を生産終了すると通知した。
2001年(平成13年)に発売開始した後継の8ビットCPU eZ80 の生産は続けるとしており、また、サードパーティ製品としてZ80互換CPUは流通しているので、市場が混乱することはないだろうが、クラシカルな純正の40ピンDIPパッケージの Z80 が見られなくなるのは寂しい限りだ。
2001年(平成13年)に発売開始した後継の8ビットCPU eZ80 の生産は続けるとしており、また、サードパーティ製品としてZ80互換CPUは流通しているので、市場が混乱することはないだろうが、クラシカルな純正の40ピンDIPパッケージの Z80 が見られなくなるのは寂しい限りだ。
主要スペック
項目 | 仕様 |
---|---|
メーカー | Zilog |
発表 | 1976年 |
トランジスタ数 | 8,200 |
データバス | 8ビット |
アドレスバス | 16ビット |
物理メモリ | 64KB |
CPUクロック | 2.5~20MHz |
パッケージ | 40ピンDIP |
最大消費電力 | 0.8W |
参考書籍
ザイログZ80伝説 | |||
著者 | 鈴木哲哉 | ||
出版社 | ラトルズ | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2020年08月24日頃 | ||
価格 | 2,398円(税込) | ||
ISBN | 9784899774815 | ||
約半世紀に渡ってマニアを魅了し続けるZ80の、あの話とかこの話とか。 | |||
CPUの歴史
発表年 | メーカー | CPU名 | ビット数 | 最大クロック |
---|---|---|---|---|
1971年 | インテル | 4004 | 4bit | 750KHz |
1974年 | インテル | 8080 | 8bit | 3.125MHz |
1975年 | モステクノロジー | MOS 6502 | 8bit | 3MHz |
1976年 | ザイログ | Z80 | 8bit | 20MHz |
1978年 | インテル | 8086 | 16bit | 10MHz |
1979年 | モトローラ | MC6809 | 8bit | 2MHz |
1979年 | ザイログ | Z8000 | 16bit | 10MHz |
1980年 | モトローラ | MC68000 | 16bit | 20MHz |
1984年 | インテル | 80286 | 16bit | 12MHz |
1985年 | インテル | 80386 | 32bit | 40MHz |
1985年 | サン・マイクロシステムズ | SPARC | 32bit | 150MHz |
1986年 | MIPS | R2000 | 32bit | 15MHz |
1987年 | ザイログ | Z280 | 16bit | 12MHz |
1987年 | モトローラ | MC68030 | 32bit | 50MHz |
1989年 | インテル | 80486 | 32bit | 100MHz |
1991年 | MIPS | R4000 | 64bit | 200MHz |
1990年 | モトローラ | MC68040 | 32bit | 40MHz |
1993年 | インテル | Pentium | 32bit | 300MHz |
1994年 | IBM, モトローラ | PowerPC 603 | 32bit | 300MHz |
1995年 | サイリックス | Cyrix Cx5x86 | 32bit | 133MHz |
1995年 | AMD | Am5x86 | 32bit | 160MHz |
1995年 | サン・マイクロシステムズ | UltraSPARC | 64bit | 200MHz |
1999年 | IBM, モトローラ | PowerPC G4 | 32bit | 1.67GHz |
1999年 | AMD | Athlon | 32bit | 2.33GHz |
2000年 | インテル | Pentium 4 | 32bit | 3.8GHz |
2001年 | インテル | Itanium | 64bit | 800MHz |
2003年 | AMD | Opteron | 64bit | 3.5GHz |
2003年 | インテル | Pentium M | 32bit | 2.26GHz |
2006年 | SCE,ソニー,IBM,東芝 | Cell | 64bit | 3.2GHz |
2006年 | インテル | Core Duo | 32bit | 2.33GHz |
2006年 | インテル | Core 2 Duo | 64bit | 3.33GHz |
2008年 | インテル | Core i9/i7/i5/i3 | 64bit | 5.8GHz |
2017年 | AMD | Ryzen | 64bit | 5.7GHz |
2020年 | Apple | M1 | 64bit | 3.49GHz |
2023年 | インテル | Core Ultra 9 / 7 / 5 | 64bit | 5.1GHz |
参考サイト
- 8ビット CPU Z80命令セット:Yamamoto's Laboratory
- さよなら、8ビットCPU「Z80」:キーマンズネット
- Z80 で機械語を学ぶ:ぱふぅ家のホームページ
- 8086は x86アーキテクチャの元祖:ぱふぅ家のホームページ
- Intel 80286 は MS-DOS上の最速CPU:ぱふぅ家のホームページ
- Zilog Z280 は画期的だが商業的に失敗したCPU:ぱふぅ家のホームページ
- Intel 80486はワイヤードロジックで高速化:ぱふぅ家のホームページ
- Pentiumはインテルの5番目のCPU:ぱふぅ家のホームページ
- PowerPC G4 は AltiVecを搭載:ぱふぅ家のホームページ0
- 「Pentium M」はPentium 4を駆逐する?:ぱふぅ家のホームページ
- Intel Core Duo はモバイル向け初のデュアルコア:ぱふぅ家のホームページ
- Intel Core 2 Duo は 64ビットCPU:ぱふぅ家のホームページ
- Core i シリーズは10年以上のロングラン製品:ぱふぅ家のホームページ
- Apple M1 チップは Mac用マイクロプロセッサ:ぱふぅ家のホームページ
- PHPで対数グラフ(ムーアの法則)を描く:ぱふぅ家のホームページ
(この項おわり)
8080と比べると電源が5Vに単一化されたことや、DRAMの使用を前提としたリフレッシュ機能が組み込まれており、回路が単純化できたことから、1980年代に入ると多くのパソコンに搭載された。