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江戸の宇宙論 | ||
著者 | 池内 了 | ||
出版社 | 集英社 | ||
サイズ | 新書 |
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発売日 | 2022年03月17日頃 | ||
価格 | 1,034円(税込) | ||
ISBN | 9784087212068 |
蟠桃が提示した宇宙像では、各恒星の周りに惑星が必ず生まれ、そこには人間が誕生していて、宇宙のあちこちに人間が存在することを当然のように述べているのだ。(246ページ)
概要

本木良永

渋川春海

宣明暦
1774年に、長崎通詞の本木良永は、日本で最初にコペルニクスの地動説の存在を知った。それを広めようと書物を発行し、その写本を読んで地動説に魅せられたのが司馬江漢であった。江漢は日本で最初にエッチング法によって銅版画を制作しており、その技術を使って地球図や天球図を発行し、啓蒙活動を行った。

司馬江漢『天球図』

山片蟠桃
大坂で大名貸しを営む升屋の番頭である山片蟠桃は、『暦象新書』の写本を読み込み、「宇宙には点々と恒星が分布し、恒星の周りにはさまざまなタイプの惑星が付属し、その惑星には人間が生きている星もたくさんある」という先進的な宇宙像を提示した。
レビュー

志筑忠雄『暦象新書』
コペルニクス、ケプラー、ニュートンといえば、ヨーロッパの科学革命の嚆矢である。だが、コペルニクスの『天体の回転について』を本木良永が翻訳したのは、その出版から250年も後のことである。
江戸時代の日本人の知的水準は決して低いものではなかった。鎖国をしているから西洋の文化から隔絶されていたというわけでもない。実際、志筑忠雄がケンペルの『日本誌』の附録部分を翻訳し、それを1811年に『鎖国論』としてまとめたとき、初めて「鎖国」という言葉が生まれたのだ。
江戸時代の日本人の知的水準は決して低いものではなかった。鎖国をしているから西洋の文化から隔絶されていたというわけでもない。実際、志筑忠雄がケンペルの『日本誌』の附録部分を翻訳し、それを1811年に『鎖国論』としてまとめたとき、初めて「鎖国」という言葉が生まれたのだ。

山片蟠桃『夢ノ代』
本木良永が翻訳した西洋科学は、司馬江漢によって図版化され、志筑忠雄によって科学的な裏付けがなされた。そして、山片蟠桃は、オルバースのパラドックスに気づき、無限宇宙と宇宙人の存在にまで想像を広げたのであった。その間、わずか40年――日本の科学革命と言ってもいいだろう。
山片蟠桃は1811年に彗星の観察記録を残しており、それがニュートン力学にしたがって運動している太陽系内天体であることを確認している。西洋からもたらされた書物の内容を仮説として、自ら検証する姿勢は、今日の科学者と何ら変わるところがない。こうした市井の啓蒙活動が、1869年の明治維新をして、わが国の産業革命をもたらしたのだ。
(2022年9月11日 読了)
参考サイト
- 江戸の宇宙論:集英社
- 西暦1820年 - 『夢ノ代』の完成:ぱふぅ家のホームページ
- 西暦1798年 - 『暦象新書』の出版:ぱふぅ家のホームページ
- 西暦1543年 - 『天球の回転について』出版:ぱふぅ家のホームページ
- 西暦1666年 - 万有引力の法則:ぱふぅ家のホームページ
- 『江戸の天文学者』――西洋に比肩する:ぱふぅ家のホームページ
- 『ヒトはなぜ宇宙に魅かれるのか』――科学は文化:ぱふぅ家のホームページ
- 『天文の世界史』――歴史の多様性を学ぶ:ぱふぅ家のホームページ
(この項おわり)