西暦1543年 - 『天球の回転について』『ファブリカ』出版

コペルニクスの地動説/ヴェサリウスの解剖学

コペルニクス『天球の回転について』出版

ニコラス・コペルニクス
ポーランドの聖職者で天文学者であったコペルニクス(Nicolaus Copernicus)は「天球の回転について」を著し、死の直前である1543年に出版された。

1514年に教会暦の改良について議論されたラトランの宗教会議があったが、1年の長さと月の運動の知識が不十分であったため問題の解決ができなかった。そこで聖職者のコペルニクスは、地球が球形で太陽の周囲を公転していることを考え、日食・月食の理論付けを行った。
これは従来の天動説に対して太陽を中心とした地動説として、思想界に大革新をもたらした。
コペルニクスは天文学者として優れた観測を行ったという記録は残っていないが、1529年ごろから地動説についての考えをまとめていた。この考えは、1533年には教皇クレメンス7世に伝えられたが、ガリレオ・ガリレイの時のような迫害はなかった。これは、クレメンス7世がメディチ家(ガリレオもメディチ家の支援を受けていた)の出身で、マキャヴェッリやミケランジェロに製作依頼を出す開明的なパトロンであったことがあるだろう。
1539年、ヴィッテンベルク大学の教授ゲオルク・レティクスがコペルニクスのもとを訪れた。そこで地動説の話を聞き、感銘を受けて弟子入りすると、出版を勧めた。

1470年、ヨハネス・ゼンゼンシュミットがニュルンベルクに最初の印刷工房を設立して活動を始めると、1474年には天文学者で印刷職人のレギオモンタヌスが自前の印刷所で『天体位置表』を発刊する。ニュルンベルグには多くの印刷業者が誕生し、『天球の回転について』はヨハネス・ペトレイウスの印刷所で発刊されることになった。

コペルニクスは天文学者である前に医者であった。
彼の肖像画は、当時薬草として珍重されていたスズランを持つ姿で描かれている。
1501年から3年間、コペルニクスはイタリアのパドヴァ大学で医学を修め、ポーランドに戻ってから医師として活躍した。1541年には、プロシア公の重臣の病気を治療し、医師としての評判は高かった。

医師として直接人体(ミクロコスモス)に触れていたコペルニクスは、それに連なるマクロコスモスとしての宇宙が、周転円など強引な辻褄合わせを行って描かれていることに不自然さを感じていたのであろう。

ヴェサリウス『ファブリカ』出版

アンドレアス・ヴェサリウス
イタリアのパドヴァ大学の解剖学教授アンドレアス・ヴェサリウスが『ファブリカ』(人体の構造)を出版する。

ヴァサリウスは、職人に任せていた人体解剖を自らの手で行い、ガレノスの文献に多くの間違いがあることを指摘した。

出版後まもなく、ヴェサリウスは皇帝侍医として皇帝カール5世の宮廷に招待された。
メディチ家の公爵コジモ1世が、ピサの拡張大学に移るよう促したが、ヴェサリウスはそれを拒否した。
カール5世が退位した後も、その息子のフェリペ2世の厚恩でヴェサリウスは宮廷生活を続けた。

この時代の世界

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参考書籍

(この項おわり)
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