『活版印刷三日月堂』シリーズ

ほしおさなえ=著
飯田橋にある印刷博物館を訪れた際、コラボ企画として展示されていた小説。川越にある昔ながらの活版印刷所「三日月堂」に出入りするお客さんの心模様を描く中編小説集――。
作者のほしおさなえさんが同世代で、舞台が私の生活圏と被ることもあり、自分の記憶をたぐりながら楽しく読むことができた。

目次

星たちの栞

表紙 活版印刷三日月堂(星たちの栞)
著者 ほしおさなえ
出版社 ポプラ社
サイズ 文庫
発売日 2016年06月03日頃
価格 748円(税込)
ISBN 9784591150412
印刷とはあとを残す行為。活字が実体で、印刷された文字が影。ふつうならそうだけど、印刷ではちがう。実体の方が影(70ページ)
金属活字
ふわっとした物語なのだが、文字、インキ、珈琲、外字‥‥技術者としての私がこだわってきた事項がサラリと盛り込まれているオタク本なのである。

世界は森――川越の街の片隅に佇む三日月堂は、店主が亡くなり、しばらく空き家となってきた。孫娘の弓子が戻り、営業を再開する。
再開のきっかけとなったのは、三日月堂のオリジナル・レターセット。発注したハルさんが、亡くなったご主人と息子の名前に込めた想いとは――。
🖋️私たち夫婦が子どもの名前を付けた時のことを思い出し、年甲斐にもなく、心がジンとなった。印刷会社で仕事したのも、ホームページで技術情報を書いているのも、私が「文字」にこだわりがあったから。
八月のコースター――伯父から珈琲店「桐一葉」を受け継いだ岡野。紙マッチの代わりにショップカードを作ろうと、三日月堂を訪れる。
🖋️弓子の台詞「インキです。インクじゃなくて、印刷業界では、インキ、っていうんですよ」を読んで、思わずニヤリ。そう、印刷会社で仕事をしていたときは「インキ」だった。CMYKの4色に特色を加えた5色の世界。
珈琲店というのも懐かしい。チェーン店のマシンが淹れる均質のものではなく、店ごとに味が違った。そして、アイスコーヒーのコースター。私は煙草をやらないので紙マッチとは縁がなかったが、このコースターを集めていたこともあったっけ。

星たちの栞――鈴懸学園の学園祭で、文芸部は三日月堂の弓子を呼び、活版印刷のワークショップを催すことになった。
🖋️『銀河鉄道の夜』でジョバンニが印刷屋で働いている話題が出る。1985年のアニメ映画を思い出した。ますむらひろしの絵で、ネコのジョバンニが活字を拾っているシーンが記憶に残る。文芸部員の一人が家庭の悩みを抱えているが、これがジョバンニに重なる。

ひとつだけの活字――弓子と雪乃は銀座にある活字店を訪れる。本文用の活字の大きさは5号という日本独自の単位で、フォントサイズの10.5ポイントに相当する。だからWORDの本文標準は10.5ポイントなのである。そして、フリガナをルビと呼ぶのは、7号(約5.5ポイント)をそう呼んだから。HTMLのタグrubyに受け継がれている。
🖋️活字には重さがある。無い文字は、その場で職人が彫って作ったというが、フォントも似たようなものだ。まだJIS第2水準までしかなかった時代、人名・地名に足りない字は、デザイナがPostScript外字を作った。そして、私たちプログラマは、それを表示用ビットマップに変換し、外字コードを割り当てたものである。
雪乃と友明は、1セットしかない平仮名の活字を組み合わせて結婚式の招待状の文面を練る。「八月のコースタ」では俳句が取り上げられたが、こうした制約があるからこそ、逆に、私たち日本人は1つ1つの文字を大切にし、時間をかけて文章を組み立ててきたのではないか。そして、「組版」という独特の印刷文化を築き上げたのである。
(2019年1月20日 読了)

海からの手紙

表紙 活版印刷三日月堂(海からの手紙)
著者 ほしお さなえ
出版社 ポプラ社
サイズ 文庫
発売日 2017年02月03日頃
価格 748円(税込)
ISBN 9784591153291
弓子「印刷物は言葉の仮の姿だと思うんです。『残す』というより、言葉を複製し、多くの人に『届ける』ことが目的。ほんとうに大事なのは言葉ですよね。その紙がなくなっても、書かれていた言葉が人の心に残れば、それでいいと思うんです」(198ページ)
活版印刷機と活字一式
名刺、銅版画、映画‥‥と、子どもの頃を思い出して、年甲斐にもなく、うるっとしてしまった😢

ちょうちょうの朗読会――小穂 (さほ) 三咲 (みさき) 遥海 (はるみ) 愛菜 (まな) の4人は、朗読会のプログラムを作ろうと、小さな活版印刷所「三日月堂」を訪れた。司書の小穂は、自分の朗読に自信が持てなかった。
店主の月野弓子は、祖父を思い出し、「いまできることだけをやってたんじゃ、ダメなんですよね」と語る。プログラムを受け取った小穂は、弓子の言葉を思い出し、「あと少し。頑張ろう」と心に誓う。
あわゆきのあと――広太 (こうた) には姉がいた。姉は生まれて3日後に死んでしまったという。広太の父母は悲しみ、姉の遺骨を墓に納めることができないでいた。広太は三日月堂を訪れ、亡くなった姉あわゆきの名刺を印刷してもらう。実家の墓にあわゆきを納骨し、親族に名刺を配る。広太は「ぼくが生まれてよかったと思う? 」と問いかけると、母は「よかっだよ。決まってるじゃない」と笑顔で答えた。

海からの手紙――大学時代、銅版画を学んでいた昌代は、幸彦と同居していた頃のように激しい波に身をさらすのは賺だと思っていた。ふとしたことで三日月堂を訪れると、弓子と意気投合し、豆本を作ろうということになった。昌代が銅版画を刷るために訪れた工房の今泉さんは「表現は翼ですよ」と語る。そして、弓子は「印刷物は言葉の仮の姿だと思うんです」と語る。昌代は思った――時間は流れる。人は変わる。それが生きているということだから――。

我らの西部劇――慎一は心臓発作で退職を余儀なくされ、家族とともに川越の実家に移り住んだ。子どもの頃、父とよく行った三日月堂を訪ねた。そこには、西部劇が大好きだった父が自費出版しようとしてそのままになっていた版が保管されていた。行き当たりばったりだった父を嫌っていた慎一は、弓子の思い出話に耳を傾け、自分の家族のことを振り返る。息子は高校に進学して映画を作りたいという。

🖋中学生の頃に映画「スター・ウォーズ」を見に行った私は、「我らの西部劇」の慎一と同じ世代である。
学生時代、同人誌や論文を出版するときには、誕生したばかりのワープロソフト「一太郎」を使い、オフセット印刷に回すことで、先輩たちより安価で高品質の出版物を出せるようになった。社会に出て、印刷屋に勤めたときには、電算写植からDTPへ移行している最中で、オンライン入稿を実現するシステムを開発した。
それが社会の進歩であり、あらたなビジネスチャンスだと信じていた――だが、それが行き着いた先は――ブログやSNSには虚実混交のテキストが溢れかえり、テレビのテロップはやたら誤字が目立つ。
印刷屋に勤めていた時代、すでに出版不況の兆しがあり、下請けの活版印刷所は次々と潰れていった。債権者と「版」の奪い合いになったのも一度や二度ではない。
本書にも登場するが、「版」は印刷屋の資産である。活版印刷は写植やコンピュータ・フォントと異なり、同じ「あ」という文字でも、活字や印刷の違いで完全に同一にはならない。執筆者が心の声をテキストにしたため、校正者がこれでもかという位、そのテキストを叩き上げ、印刷職人が活字を拾い上げ版を組んでゆく――大勢の血と汗の結晶が出版物となって実を結ぶ。
さて、私たちの心の声は、はたして後代に受け継がれてゆくだろうか🤔
(2022年1月2日 読了)

庭のアルバム

表紙 活版印刷三日月堂(庭のアルバム)
著者 ほしお さなえ
出版社 ポプラ社
サイズ 文庫
発売日 2017年12月05日頃
価格 748円(税込)
ISBN 9784591156865
弓子「楓さんの絵には、むかしの本や図鑑の挿絵を思わせるようなところがある。漠然とした木じゃなくて、ちゃんと実物を見て描いた木。そこがいいと思った」(210ページ)
平台印刷機
若者も年寄りも人生に迷うときがある。そんなとき、人の言葉を実体のあるモノとして残す「活版」は、進むべき道を照らしてくれる――。
チケットと昆布巻き‥‥旅行情報誌編集者の竹野は、学生時代の同窓生の年収が気になる。取材で三日月を訪ねたとき、店主の月野弓子は生活に不安がないのか不思議に感じた。弓子は不安があることは確かだが、「やりきった、と感じるまではやめられないですよ」と語る。弓子の手ほどきで印刷機を動かした竹野は、「いまは仕事、面白いしね」と言えるようになった

カナコの歌‥‥弓子の母カナコの学生時代のバンド仲間、大島聡子が三日月堂を訪れた。聡子は、カナコが亡くなった頃に疎遠になっていたもう一人の仲間、裕美を訪ねる。カナコの二十七回忌をやろうということになり、三日月堂にカードを発注する。弓子は、自ら印刷したカードを電気に照らすと、文字が紙に刻み込まれた魂みたいに見える――「少しわかった気がします。みんな、こんな気持ちだったんだ、って」。
🖋️弓子の母カナコは、私と同世代の設定だ。『カナコの歌』として紹介される「ひこうき雲」は、ユーミンの同名曲(1973年11月)を思い出す。ユーミンの小学校時代の同級生で、筋ジストロフィーで他界した子をモチーフに制作されたという。

庭のアルバム‥‥わたしにはなんの取り柄もない。得意なことも自慢できることもない――学校生活に疲れていた天野 (かえで) は、夏休みに三日月堂のワークショップに参加した。弓子に絵がうまいと言われて嬉しくなり、自分の絵を凸版にしてカードにした。弓子はそのカードを活版印刷のイベントで販売することを提案する。楓は祖母の家の庭をスケッチしながら、家族の繋がりを見直すきっかけをつかむ。
🖋️人生で迷ったとき、観念論に陥っていやしないか。自我が確立する思春期の時期は、とくにそうだ。そんなとき、弓子の言葉を思い出そう――「楓さんの絵には、むかしの本や図鑑の挿絵を思わせるようなところがある。漠然とした木じゃなくて、ちゃんと実物を見て描いた木。そこがいいと思った」(210ページ)。

川の合流する場所で‥‥本町印刷の悠生 (ゆうき) と大叔父の幸治 (こうじ) は、神保町で催されている活版印刷のイベントで三日月堂のブースを訪れる。弓子と楓が活版でカードを印刷したことに感心し、盛岡にある印刷工場で、三日月堂と同じ平台を動かしてみせる。弓子はそれを使って16ページの詩集を印刷する。幸治が「いまのような仕事をするだけなら、平台まで動かすことはないと思う」と問いかけると、弓子は「たぶん、本を作りたいんだと思います」と答えた。幸治は驚き、三日月堂の平台の修理を引き受ける。悠生は突然、弓子を手伝いたいと思った。
🖋️私も平台が動いているのは見たことはない――ただ、トンボ、裏面刷、組版‥‥写植からDTPの時代にいたるまで同じ手法が受け継がれている。印刷の歴史は深い。
(2022年2月16日 読了)

雲の日記帳

表紙 活版印刷三日月堂(雲の日記帳)
著者 ほしお さなえ
出版社 ポプラ社
サイズ 文庫
発売日 2018年08月03日頃
価格 748円(税込)
ISBN 9784591159996
楓「大きな仕事ってなんですか?」(303ページ)
組版・組み付け
楓が弓子に問う「大きな仕事ってなんですか?」 私は25年前のことを思い出し、家族ができ、同じ業界で仕事を続けていられる幸せを再確認した――。
星をつなぐ線‥‥本町印刷の長田は、プラネタリウム「星空館」に勤める村岡に思いを寄せていた。村岡は、1971年の開館時に販売していた星座早見盤を復刻したいという。星座盤は木口木版だ。同僚の島本悠生 (ゆうき) が活版印刷三日月堂に出入りしていることを知り、川越へ向かう。三日月堂の店主・月野弓子は、天文学者だった父に連れられ、よく星空館に行ったという。多くの人の協力により、星座早見盤は復刻した。星座は、星と星の間を見えない線が結ぶ――そして、人と人の間にも結ぶ線がある。
🖋️印刷博物館の企画展示「天文学と印刷」で、ドイツの天文学者で印刷職人のレギオモンタヌスの仕事に目を奪われた。1474年に出版した『天体位置表』は、1504年にアメリカ大陸に上陸したコロンブスも携行していたという。コロンブスは『天体位置表』を利用し、食料の提供を渋るジャマイカの原住民を相手に、翌日に月食が起き、神の罰が下ることを予言してみせたのだった。

街の木の地図‥‥ゼミの春休みの課題は、3人グループで取材し、雑誌を作り、販売することだった。豊島つぐみは、押しが強い草壁彰一 (くさかべ しょういち) 、引っ込み思案の安西明里 (あんざい あかり) と組まされたことが不安だった。バイト先のプラネタリウム「星空館」で三日月堂の話を耳にし、3人で月野弓子を訪ねた。3人で川越を見て歩いているうちに、川越にある樹木をイラストマップにして、街の人から聞いた話を文字にして、活版印刷しようということになった。豊島は振り返る。自分がたったひとつのバラじゃないと知ったときは少しショックだったが、それぞれの思いを抱き、理解し合ったり、争ったりしながら、ともに生きてる。それが街、人の生きる社会なんだ、と思った。
🖋️自我が芽生え、思春期になり、自分が唯一無二の存在と思い込む時期がある――いわゆる「中二病」だ。自分の周囲に「ATフィールド」を張り巡らせ、必死にポジションを守ろうとする。だが、ゼミで共同作業をしたり、研究室で共同研究をするうちに、否が応でもその壁は取り払われる。それは、社会人になるためのイニシエーションだから。

雲の日記帳‥‥豊島らが作ったイラストマップは、古書店「浮草」で2番目の販売数を上げた。だが、店主の水上は癌を患っており、医師から余命半年と宣告されていた。学生時代の同人誌仲間の岩倉が、水上に本を出さないかと誘う。水上は、学生時代に書いた小説のモデルとなった女性が自殺未遂したことを悔いておりいた。ぶらりと三日月堂を訪れた水上は、弓子に身の上話をする。まだ3月だというのに、川沿いの桜が満開に近い。水上は、生きているものとして最後の仕事をしようと思った。自分のなかで育った言葉を、この世界に返すために

三日月堂の夢‥‥水上は本を出版することを決めた。三日月堂で印刷したいという。だが、水上が生きているうちに出版できるだろうか。弓子は、コースターを納品するために珈琲店「桐一葉」を訪れた。弓子は、悠生と楓にも相談した。本を出版することは「三日月堂の夢」だ。豊島や安西も手伝いに来てくれる。多い日には10人近い人が三日月堂で仕事をしていた。8月末、刷り上がった紙を製本業者へ送り出した。kuraを貸し切り、本作りに関わったメンバで食事会を開いた。その帰り道、悠生は弓子に自分の想いを告げた。本の完成を見届け、水上は他界した。弓子は、悠生と楓といっしよに三日月堂を続けていくことを決心し、挨拶状を作ることにした――わたしが組んだ挨拶状を、悠生さんが刷っている
🖋️私たち夫婦は、結婚式も披露宴も挙げなかったが、歴史のある建物に親類を招き、ささやかな食事会を催した。2人で買った Macintoshを使って、手作りの挨拶状を用意した――あれから四半世紀が過ぎた。
(2022年2月26日 読了)

空色の冊子

表紙 活版印刷三日月堂(空色の冊子)
著者 ほしお さなえ
出版社 ポプラ社
サイズ 文庫
発売日 2019年12月05日
価格 748円(税込)
ISBN 9784591164808
片野「なにかやらせてくださいよ。コピーの文字っていうのは、紙のうえに粉がのってるだけ。水に濡れたら流れてしよう。印刷の文字とはちがいよす。わたしもずっとこの園の記念冊子を作ってきました。子どもたちにほんとの文字を手渡したい」(240ページ)
活字棚
川越にある昔ながらの活版印刷所「三日月堂」に出入りするお客さんの心模様を描く番外編。短編7編を収録。本編で活版印刷所「三日月堂」の店主となる月野弓子が生まれて間もない1986年から、東日本大震災があった2011年頃が舞台になっている。主人公は、私と同じ世代である弓子の父母たち――自分の青春時代の記憶を重ねて読んでいった。
初版限定で、本文の一部を活字印刷した扉1ページが付いている。
ヒーローたちの記念写真‥‥1986年、売れない映画ライター、片山が同人誌「ウェスタン」に連載を続けていた「我らの西部劇」を出版しようと、大学時代の友人、杉野が行動を起こした。だが、企画は通らない。片山は干されていたのだ。片山と杉野は喫茶店「桐一葉」で語らった後、守谷が経営する古書店「浮草」を回り、「ウェスタン」のファンである月野が経営する印刷所「三日月堂」を訪れた。片山は、月野の孫娘、弓子を見て、自分の過去を思い起こす。そして、カウボーイハットをかぶって3人で記念写真を撮った。

星と暗闇‥‥片野修平は三日月堂を継がず、天文学者になることを夢見ていた。修士は終えたものの、研究者になる道は険しく、高校の教員になった。同じ教員だったカナコと『銀河鉄道の夜』の話で盛り上がり、やがて結婚し、娘の弓子が生まれた。弓子が3歳になった頃、カナコは病気に倒れ、亡くなってしまう。弓子を実家に預けて教員を続けていたが、ある日、カナコの故郷、盛岡を訪ねる。川を見ながら、「ほんとうのさいわい」について想いをめぐらせた。

届かない手紙‥‥「我らの西部劇」を三日月堂で印刷することが決まった矢先に片山が急死してしまう。最後の原稿が行方不明となり、月野が組んだ組版は三日月堂の倉庫に保管されたままだった。明日は、弓子が横浜にいる修平の家へ引っ越す日だった。弓子は祖母、静子から料理を教えてもらい、自分のレターセットを印刷した。弓子は、そのレターセットで母カナコに手紙を書きたいと言う。片野は「届かない手紙。書いてもいいのかもしれないな」とつぶやく。

ひこうき雲‥‥学生時代、月野カナコ、大島聡子とバンドを組み、歌手を目指していた裕美は、父の会社の取引先の重役の息子、斉木茂と結婚する。2人の娘、未希と真子をもうけたが、茂は不倫し、裕美は2人の娘を引き取って離婚する。娘たちを連れてカナコの墓参に訪れた裕美は、自然と「ひこうき雲」を口ずさんだ。未希は母の歌がうまいと言って、自分は歌手になりたいと言った。裕美はカナコの言葉を思い出していた――生きてれば、きっといいこともあるよ。

最後のカレンダー‥‥静子が入院したことで、月野は三日月堂を店じまいすることを決めた。三日月堂に毎年カレンダーを発注していた和紙販売の笠原は残念だったが、最後にユネスコ無形文化遺産に登録された細川紙 (ほそかわし) を使ってカレンダーを印刷することにした。月野は笠原に、「まあ、そこそこね、いい人生だったと思うよ」と語る。

空色の冊子‥‥静子が亡くなり、月野は三日月堂を閉めた。そして、東日本大震災が発生した。三日月堂でも活字棚が倒れるなどしたが、弓子が通っていた あけぼの保育園が卒園記念冊子を印刷できなくなっていた。園長はコピー機で作るしかないと諦めていたが、店じまいするまで記念冊子の印刷を請け負っていた月野は、「コピーの文字っていうのは、紙のうえに粉がのってるだけ。水に濡れたら流れてしよう。印刷の文字とはちがいます。わたしもずっとこの園の記念冊子を作ってきました。子どもたちにほんとの文字を手渡したい」と熱く語る。父母たちの協力を得て、三日月堂で記念冊子の印刷がはじまる。

引っ越しの日‥‥札幌から横浜に来ていた唯は、偶然、大学の友人、弓子に出会う。弓子は父を亡くし、横浜・野毛山のマンションを出て、川越で祖父母が住んでいた印刷所に引っ越すという。

🖋「星と暗闇」は、印刷博物館とのコラボ企画の際に活版の冊子として書き下ろした作品を加筆したもの――。
修平が「宇宙は広い。自分とは桁違いに大きなものが存在していることが怖いのかもしれない。ふいにそう思った」(64ページ)と語るが、天文少年だった私も思い当たる節がある。1天文単位(地球と太陽の平均距離)は約1億5千万km、1光年にいたっては約9兆5千億km――ともかく数字が桁違いに大きい。天文計算するには8桁の電卓では足りない。より大きな値を計算できる電子計算機が必要だ。やる気と畏れが混ざり合った気持ちで、電算業界に足を踏み入れた。
「庭のアルバム」で「カナコの歌」として紹介される「ひこうき雲」が荒井由実(ユーミン)の同名曲(1973年11月)であることが明かされる。
「引っ越しの日」で、日ノ出町、黄金町、野毛山という地名が並ぶ――このあたりで遊んだ学生時代の記憶が蘇る。
(2022年4月19日 読了)

小さな折り紙

表紙 活版印刷三日月堂(小さな折り紙)
著者 ほしお さなえ
出版社 ポプラ社
サイズ 文庫
発売日 2020年01月04日
価格 748円(税込)
ISBN 9784591165874
印刷された文字は、人が残した「あと」。生きた証。その人がいなくなったあとも残り、人が影に、文字が実体になる。きっとそういう意味なんだろう、と思った。(312ページ)
手キン
飯田橋にある印刷博物館を訪れた際、コラボ企画として展示されていた小説――川越にある昔ながらの活版印刷所「三日月堂」に出入りするお客さんの心模様を描く番外編最終巻。本編最終巻「雲の日記帳」の先の話として、短編6編を収録。本編で脇役だった登場人物たちが主人公となり、本編主人公の月野弓子は、前半では顔を出さない。
私が暮らしている〈今日現在〉と被る部分が多く、最後まで話に没入できた。私の〈生きた証〉は、アレに違いない――。
初版限定で、本文の一部を活字印刷した扉1ページが付いている。
マドンナの憂鬱‥‥川越観光案内所に勤めるマドンナこと柚原胡桃 (ゆずはら くるみ) は、ガラス工芸展の葛城、川越運送店の市倉ハル、観光案内所でアルバイトだった大西とともに富山観光へ向かう。シリーズ最初の中編「世界は森」に登場し、三日月堂の店主・月野弓子を励まし、レターセットを発注した市倉ハルと大西が再登場。胡桃は、葛城、ハル、大西の新しい側面を知り、自分の心を扉を開いてゆく。

南十字星の下で‥‥「星たちの栞」に登場する村崎小枝が主人公。文芸部の3人が高校を卒業する。最後の文集を製本しながら、小枝は、両親が離婚し母親とともにオーストラリアへ移住する山口侑加 (ゆうか) と語り合いながら、彼女の新しい側面を発見する。

二巡目のワンダーランド‥‥「あわゆきのあと」に登場する広太 (こうた) の父が主人公。父は、社会の裏側を知ろうと社会人になり、子育てを人生の〈二巡目〉という。
🖋私も子育て中に自分の子ども時代の記憶が被った経験がある。〈二巡目〉と考えれば、「想定外」「予期しないこと」が起きる確率は減る。だから、家族の行動をコントロールしようという気は失せるし、家族の自由にやらせた方が面白い。そして、子育てが終わると〈三巡目〉がやって来る。親の介護だ。親がどんなに耄碌しようが、子どもは子どもなので〈三巡目〉――。

庭の昼食‥‥「庭のアルバム」に登場する天野 (かえで) の母が主人公。楓は、大学進学せず三日月堂への就職を希望する。そんなとき、弓子の亡き母、カナコの詩集の出版が決まる。

水のなかの雲‥‥デザイン事務所に勤める傍ら、三日月堂で活版を学んでいる金子が主人公。「ちょうちょうの朗読会」に登場する小穂 (さほ) と三日月堂と訪れた金子は、弓子に誘われ、「最後のカレンダー」に登場するユネスコ無形文化遺産に登録された細川紙 (ほそかわし) を作っている工場を見学する。標題は、紙漉きを「残すためには、まわりのことを丸ごと引き受けなければいけない」という弓子の言葉に心を動かされ、金子は小穂に告白する‥‥。

小さな折り紙‥‥「空色の冊子」に登場する、あけぼの保育園の浜田征子 (まさこ) 園長が主人公。元気いっぱいで、友だちの面倒見がいい (たすく) が卒園式を迎える。母親も園に通っており、ある日、折り紙を折っていたとき、突然席を立ち、教室の隅にうずくまってしまったことがあった。その理由は‥‥活版印刷三日月堂シリーズは大団円を迎える。

参考サイト

(この項おわり)
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