
貴族の子で腕利きの金細工職人であったグーテンベルクは、1440年、シュトラースブルクで印刷術を完成させたと言われている。1448年、マインツに戻ると義理の兄から借金しており、印刷機などの機器をそろえる資金にしたと見られる。
1450年までには印刷所の運営を開始しており、最初に印刷したのはドイツ語の詩と見られている。

グーテンベルクがいつ聖書の印刷を企図したのかは不明だが、1454年頃から印刷をはじめた教会向けの贖宥状の印刷の利益が上がっていたことが背景にあるとみられている。
グーテンベルク聖書は、初め羊皮紙に45部印刷されたといわれる。羊皮紙版のうち、現存するものは完全なものが4部と不完全なものが8部の合計12部である。
次に紙に135部印刷されたと考えられているが、紙版は完全なものが17部、不完全なものが19部現存している。
1450年までには印刷所の運営を開始しており、最初に印刷したのはドイツ語の詩と見られている。

グーテンベルクがいつ聖書の印刷を企図したのかは不明だが、1454年頃から印刷をはじめた教会向けの贖宥状の印刷の利益が上がっていたことが背景にあるとみられている。
グーテンベルク聖書は、初め羊皮紙に45部印刷されたといわれる。羊皮紙版のうち、現存するものは完全なものが4部と不完全なものが8部の合計12部である。
次に紙に135部印刷されたと考えられているが、紙版は完全なものが17部、不完全なものが19部現存している。
この時代の世界
(この項おわり)
ほとんどのページが42行組みであることから、「四十二行聖書」とも呼ばれる。