西暦1474年 - レギオモンタヌス『天体位置表』

30年後のコロンブスを救う
レギオモンタヌス
レギオモンタヌス
1474年、ドイツの天文学者で印刷職人のレギオモンタヌスは、ニュルンベルク天文台での観測結果を基に、1475~1506年までの毎日の太陽や月と当時知られていた惑星の位置、新月や満月、日食月食の時刻などを記載した『天体位置表』(Ephemerides quas vulgo dicunt Almanach)を刊行する。印刷された天体表としては世界初のものであった。
レギオモンタヌスは、1436年、ドイツのケーニスベルクで産まれる。本名はヨハネス・ミュラー・フォン・ケーニヒスベルクである。レギオモンタヌスとはラテン語で「王の山」という意味である。

11歳でライプチヒ大学に入学し、3年後にはオーストリアの天文学者ゲオルク・ポイルバッハ(プールバッハ)に師事した。このとき、プトレマイオスの『アルマゲスト』など、古代ギリシアの天文学書のラテン語への翻訳を手伝い、天動説の再発見に貢献した。数学の才能があったレギオモンタヌスは、きわめて難解な『アルマゲスト』の内容をほぼ理解していたものと考えられている。
1464年、7桁という当時としては高精度の三角関数表を出版し、三角関数を数学の領域に持ち込んだ。

1471年、ニュルンベルクに移住し、商人ベルンハルト・ヴァルターの援助を受けてニュルンベルク天文台を建設する。
だが、天文台での観測結果は『アルマゲスト』と矛盾していた。レギオモンタヌスは『アルマゲスト』を理解していたがゆえに、逆に、その内容を批判するようになっていった。
レギオモンタヌス『天体位置表』
『天体位置表』
1474年、『天体位置表』を刊行する。
ニュルンベルグ天文台には、四半世紀前に実用化されたグーテンベルクの活版印刷を利用した印刷所が併設されており、ここで印刷が行われた。『天体位置表』のヒットで、この印刷所では多くの自然科学書が印刷されるようになり、ニュルンベルクは印刷の街として知られるようになってゆく。
1475年、ユリウス暦の改暦のため、システィーナ礼拝堂を建設したローマ教皇シクトゥス4世に招聘されるが、その事業を果たせないまま、1476年、ローマで客死する。死因はペストだったとみられている。改暦は、100年以上たってから、グレゴリオ暦の導入を待たねばならなかった。

1502年、アメリカ大陸に到達したコロンブスは、到着した位置を知るため、1481年に刊行されたレギオモンタヌスの『天体位置表』を携行していた。
1504年、食料の提供を渋るジャマイカの原住民を相手に、コロンブスは翌日に月食が起き、神の罰が下ることを予言してみせた。『天体位置表』の通りに月食は起こり、怯えた原住民はコロンブスに食料を提供した。こうしてコロンブスは窮地を脱したのであった。

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