秋芳洞は皇太子時代の昭和天皇の命名

2006年7月23日 撮影
秋芳洞入口
秋芳洞 (あきよしどう) (山口県美祢市)の入口には滝がある。かつては水位が高く、写真より大きな滝だったと思われる。
このことから、昔は「瀧穴」と呼ばれていたが、1926年(大正15年)、皇太子時代の昭和天皇がこの鍾乳洞を探勝し、「秋芳洞」の名をつけた。国の特別天然記念物に指定されている。また、2005年(平成17年)11月、国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録された。地下水系としては国内初のことである。
秋芳洞入口の大きな写真大きな写真
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秋芳洞
秋吉台がある秋芳町は「しゅうほうちょう」と読むが、秋芳洞は「あきよしどう」と読む。

秋芳洞のバスターミナルから、秋芳洞入口までは土産物屋が続く。
この日は、観光ディレクター(要・事前予約)の方に案内してもらった。

洞窟内の気温は年間を通じて約17度を保っているという。湿度は100%。洞窟の途中にあるエレベーターで地上に出たところ、気温差のために眼鏡が曇ってしまった。このエレベーターから外に出ると再入場料が必要になるが、トイレは地上部分にしかないので、緊急の際は利用させてもらおう。
秋芳洞内部
秋芳洞は、景清洞に比べて照明が暗い。観光客が運び込んでしまうカビの繁殖が問題になっており、照明を暗くしているとのこと。デジカメでは、洞窟内の様々な「色」をお伝えすることができないのが残念である。
また、コウモリが多く生息しており、手すりは糞で汚れている部分もあるとのこと。暗いので分からないのだが、注意しよう。
2011年(平成23年)4月、洞窟内の照明を消費電力が少なく環境に優しい白色LEDに切り換えるなどのリニューアル工事が行われた。消費電力量を約73%、二酸化炭素排出量を約74%削減できるという。
また、従来の蛍光灯などに比べ発熱量が抑えられ紫外線を出さないため、コケの生育を抑制する効果も期待されている。
洞内の全照明をLEDにするのは全国初で、世界でも例がないという。
黄金柱 - 秋芳洞
鍾乳洞の鉱物質や炭酸カルシウムが溶けて、水と一緒に天井面から床面に落下する際、再び凝集し、鍾乳石 (しょうにゅうせき) を生成する。秋芳洞では10年に1ミリ程度成長する。一方、床面に堆積してタケノコ状になったものが石筍 (せきじゅん) である。鍾乳石と石筍は長い時間をかけて成長を続け、結合して石柱 (せきちゅう) となる。
写真の黄金色に輝く(デジカメでは再現できない!)高さ15メートル、幅4メートルの黄金柱 (こがねばしら) は、石柱にさらに石灰分が覆った滝状石灰華である。
鍾乳洞の構造物の名称については「洞窟科学入門」(沢勲 /鹿島愛彦=共著、大阪経済法科大学出版部、2006年(平成18年)4月)が詳しい。
黄金柱 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
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秋芳洞
ぱふぅ家が訪れた2週間後に小泉首相が黄金柱を見学し、「こんなに壮大な物とは思わなかった。世界遺産に匹敵するんじゃないか」と驚いたそうである。首相は世界遺産とラムサール条約の違いを知らないのだろう‥‥。
秋芳洞の大きな写真大きな写真
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秋芳洞
秋芳洞に生息している生物は目が退化している。写真は、体長1センチほどの小さな白いエビ「シコクヨコエビ」である。観光ディレクターさんがいなければ見ることができなったろう。懐中電灯を当てると動くのだが、これは光ではなく、熱を感じて反応しているらしい。
秋芳洞
このあと、観光ディレクターさんと未公開洞窟の洞窟体験に行くことになるのだが、これは観光気分で行かない方がいい。最初、観光コースの手すりを跨がされたときは、「これからどこへ連れて行かれるのだろう」という不安な気持ちになった。少なくともサンダル履き止めた方がいい。なにしろ真っ暗だし(懐中電灯、ヘルメット、軍手を貸してもらえる)、大して整備されていない岩場を上り下りしなければならない。高所恐怖症のパパぱふぅにとっては、真っ暗で高低差が見えないことがせめても救いだった。
秋芳洞最深部
未公開洞窟探検の最深部で見た鍾乳石。懐中電灯の光だけで撮影している。鍾乳石の内部が中空になっているのがよく分かった。
この奥は水没しているので潜水装備が無ければ行くことはできない。若くなければケービングはできないなぁ‥‥。
秋芳洞最深部の大きな写真大きな写真
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無謀にも小さい子どもを連れて、1時間コースのところを1時間半もかかってしまいました。観光ディレクターさんには、最後までガイドいただき感謝しております。

秋芳洞の地下水系がラムサール条約に登録されていると書いたが、ここには上流の川からの流入もある。
2007年(平成19年)11月18日、第14回洞窟講演会(山口ケイビングクラブ主催)が秋吉台科学博物館で開催され、地下水系の汚染の現状について報告があった。その中で秋芳洞を流れる地下の川の泡立ちや濁りが映像で紹介され、生活雑排水や秋吉台上の施設などから漏れる汚水が流入して水質が悪化を招いている状況が示された。

国内第3位の長さに

秋芳洞の長さは伸びており、2017年(平成29年)7月には10.30kmとなり、国内3位となった。
鍾乳洞自体が大きくなっているわけではない。水準器にレーザー距離計を使う方法により立体的な測量が可能になり、長くなっているのだ。

秋芳洞の探検は、1904年(明治37年)、実業家の梅原文次郎が観光資源として注目し、英国王立地学協会会員で山口高等商業学校(現・山口大学)の教員だったエドワード・ガントレットらが洞内の調査に入ったことに始まる。
探検には地図が必要だ。ガントレットは、「平板測量」という方法を使った。平らな板を三脚の上に水平に置き、コンパス、巻き尺などを使って測量地点の縮小図を描くものだ。完成する地図は2次元の平面図。
これでは、高低差が激しい鍾乳洞の全貌を掴むことができない。そこで、コンパス、水準器、レーザー距離計を使い、測量する区間の両端の目印をつなぐ線の距離、高さ、方位、傾斜角を測るようになった。その線から左右の壁までの幅、天井までの高さも測り、3次元の図を組み立てていく。

秋吉台科学博物館の特別専門員、村上崇史さんのチームは、2016年(平成28年)7月に始まった測量で新空間を発見した。その結果、新しい長さは10.30kmとなった。新空間の測量は続いており、長さで大山水鏡洞(鹿児島県沖永良部島)を抜いて国内2位になることが確実という。

交通アクセス

秋吉台へは、JR東萩駅から防長バスで約1時間、JR新山口駅から防長バスまたはJRバスで約40分の行程となる。

近隣の情報

参考サイト

秋芳洞 関連
(この項おわり)
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