秋芳洞は日本最大の鍾乳洞

2018年9月11日 撮影
秋芳洞
正面入口
秋芳洞 (あきよしどう) (山口県美祢市)は、秋吉台の地下約100メートルに広がる日本最大の鍾乳洞だ。

じっくり見て回るには1~2時間を要する。洞内は17℃前後なので、夏でも長袖を着た方がいいだろう。足下は濡れており、滑りにくい靴を履いていこう。洞内にトイレはない。
秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 2595 Kbyte)
最深部 - 秋芳洞
2006年7月23日撮影 最深部
12年前に訪れた際は、観光ディレクターに同行してもらい、未公開洞窟探検で潜水装備無しで行ける最深部に分け入った。
正面入口 - 秋芳洞
正面入口
写真は正面入口で、高さが20メートルある。
秋吉台がある秋芳町は「しゅうほうちょう」と読むが、秋芳洞は「あきよしどう」と読む。

1926年(大正15年)、皇太子時代の昭和天皇がこの鍾乳洞を探勝し、「秋芳洞」の名をつけた。国の特別天然記念物に指定されている。また、2005年(平成17年)11月、国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録された。地下水系としては国内初のことである。
正面入口 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1464 Kbyte)
身代観音 - 秋芳洞
身代観音
正面入口のすぐ右手に身代観音 (みがわりかんのん) がある。
1354年(正平8年)夏、干魃が襲った。寿円禅師は飲み水を確保するため、秋芳洞に籠もって雨乞いの祈祷をはじめた。がて豪雨が降りだし、人々が歓喜の声をあげる中、寿円禅師は仏の加護に感謝して川に身を投じた。人々は、身代観音として寿円禅師を祀ったという。
身代観音 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1068 Kbyte)
青天井 - 秋芳洞
青天井
正面入口から入ってすぐに、青天井がある。水面が天井に反射して青く光ることから、この名が付いた。写真の手前の天井部分が青くなっているのがご覧いただけるだろうか。

青天井は高さ30メートル、幅50メートルある。
青天井 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 2257 Kbyte)
百枚皿 - 秋芳洞
百枚皿
青天井を抜けると、階段状に石が連なる百枚皿があらわれる。実際に数えたところ、なんと500段もあったという。
百枚皿 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1385 Kbyte)
百枚皿 - 秋芳洞
百枚皿
中腹から流れ出る石灰水が、波紋状に固まって百枚皿になった。
百枚皿 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1254 Kbyte)
百枚皿 - 秋芳洞
百枚皿
棚田 (たなだ) のようにも見える。
百枚皿 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(2560×1707 ピクセル, 2243 Kbyte)
洞内富士 - 秋芳洞
洞内富士
百枚皿を過ぎ先へ進むと、まるで富士山のような形をした鐘乳石がそびえる。天井から滴り落ちる水に含まれる炭酸カルシウムが、長い年月をかけて固まってできたもので、洞内富士と呼ばれる。
洞内富士 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1190 Kbyte)
傘づくし - 秋芳洞
傘づくし
さらに進んでいくと、鍾乳石の大群が氷柱 (つらら) のように垂れ下がっている。傘屋のように、天井から大量の傘が吊るされているように見えることから、傘づくしと名付けられた。
傘づくし - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1221 Kbyte)
黄金柱 - 秋芳洞
黄金柱
傘づくしの先には、高さ15メートルもある巨大な鍾乳石があらわれる。秋芳洞のシンボルとなっている黄金柱 (こがねばしら) である。昔は釣柱、金柱とも呼ばれていた。

鍾乳洞の鉱物質や炭酸カルシウムが溶けて、水と一緒に天井面から床面に落下する際、再び凝集し、鍾乳石 (しょうにゅうせき) を生成する。一方、床面に堆積してタケノコ状になったものが石筍 (せきじゅん) である。鍾乳石と石筍は長い時間をかけて成長を続け、結合して黄金柱のような石柱 (せきちゅう) を形成する。
黄金柱 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 2225 Kbyte)
大黒柱 - 秋芳洞
大黒柱
秋芳洞では10年に1ミリ程度成長するとされているから、15万年かかってこの大きさに成長したということになる。

鍾乳石と石筍がつながり、天井を支えているかのように見えることから、大黒柱と呼ばれている。
大黒柱 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1373 Kbyte)
千畳敷 - 秋芳洞
千畳敷
千畳敷は、秋芳洞の本洞から黒谷支洞が分岐するあたりに広がる直径200メートル、幅120メートルの巨大空間で、1万年以上前に起こった大落盤で誕生したといわれる。
千畳敷 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 929 Kbyte)
笣柿 - 秋芳洞
笣柿
笣柿 (すぼがき) 石筍 (せきじゅん) の一種で、藁で作った「すぼ」の中に柿を入れて、渋柿を完熟させて食べる、この地方独特の干し柿に似ていることから、この名が付いた。
笣柿 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1117 Kbyte)
秋芳洞
秋芳洞
秋芳洞の長さは伸びており、2017年(平成29年)7月には10.30kmとなり、国内3位となった。
秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1124 Kbyte)
秋芳洞
秋芳洞
鍾乳洞自体が大きくなっているわけではなく、水準器にレーザー距離計を使う方法により立体的な測量が可能になり、長くなっている。公開されているのは、全長の1割でしかない。
秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1062 Kbyte)
秋芳洞
秋芳洞
正面入口以外に、黒谷口、秋吉台展望台から約300メートルのエレベーター口からも入洞できる。
秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1201 Kbyte)
稲川 - 秋芳洞
稲川
秋芳洞から流れ出た地下水は稲川となり、厚東川 (ことうがわ) へと注いでいる。

太平洋戦争後、秋吉台は米軍に接収され、爆撃演習場に使われる計画だった。しかし、地元の有志が保存に立ち上がり、演習場計画は白紙撤回となった。その後も地元有志が定期的に山焼きを行い、景観を維持している。

厚東川を挟んで東側は保存地域だが、西側は石灰岩の採石場となっており、1955年(昭和30年)に宇部興産伊佐セメント工場を操業開始するなどして、セメントの材料として高度経済成長期の日本を支えた。
稲川 - 秋芳洞の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1789 Kbyte)

交通アクセス

バス
自動車
  • 小郡萩道路「秋吉台IC」から国道435号、県道242号経由6.5km

近隣の情報

参考サイト

秋芳洞 関連
(この項おわり)
header