歴史資料展「境村の歴史」

2007年3月3日 撮影
雛飾り
武蔵野市教育委員会の主催で、3月2日から7日まで、武蔵野市民会館(東京都武蔵野市境2-3-7)で歴史資料展「境村の歴史」が開催された。

写真は、明治~大正の頃の雛飾り。
お雛様
江戸時代には、頻繁に大火事があった。1659年(万治2年)には水道橋の吉祥寺門前町から、1662年(寛文2年)には西久保城山町から被災してきた住民が武蔵野に移住した。ここから、吉祥寺村西窪村関前村境村の、いわゆる四カ村が誕生した。この四カ村は、1868年(慶応4年)に武蔵県に編入された。
消防ポンプ
1880年(明治13年)頃の消防ポンプ
蒸気車往復繁栄之図
大きな写真大きな写真
(2619×1067 ピクセル, 856 Kbyte)
回数乗車券
写真上の「蒸気車往復繁栄之図 (じょうきしゃおうふくはんえいのず) 」は、1889年(明治22年)4月、甲武鉄道(現在の中央線)新宿~立川間の開通を記念して製作された錦絵である。
甲武鉄道は、東京(武州)と甲府(甲州)を結ぶ私鉄で、1888年(明治21年)創立の甲武鉄道株式会社が運営していた。
鐵道積荷木箱
明治~大正時代の鐵道積荷木箱。

当初、甲州街道、青梅街道のいずれかの沿線に鉄道が敷かれることになっていたが、各宿駅の反対にあい、武蔵野台地に通すことになった。沿線の農民は大変協力的で、ほぼ一直線の鉄道が完成した。
開業当時の駅は、新宿、中野、境(現在の武蔵境)、国分寺、立川であった。1889年(明治22年)8月には八王子まで延長された。
1906年(明治39年)公布の鉄道国有法により、同年10月1日に甲武鉄道は国有化され、中央本線の一部となった。東京駅が開業するのは、1914年(大正3年)12月20日のことである。
凱旋門
日露戦争終結直後の1905年(明治38年)10月、境停車場前に、出征兵士の帰郷を歓迎するための凱旋門が建てられた。写真は、その一部である。
この凱旋門は、翌1906年(明治39年)2月8日に帰郷した歩兵一兵卒、桜井善太郎を歓迎するためだけに建てられたものだ。じつにアグレッシブな時代であった。
ちなみに、武蔵野八幡宮には日清・日露戦争の戦没者記念碑がある。

甲武鉄道最初の駅として境停車場が設けられた理由には諸説あり、東西を五日市街道が走り、南は深大寺から調布へ、北は田無に通じる交通の要衝だったためというのが有力であるが、秋本喜七、三井信太郎の用地寄付に負っていることも事実である。

交通アクセス

【鉄道】
  • JR武蔵境駅下車、徒歩5分。

近隣の情報

(この項おわり)
header