平将門の首塚は東京中心にあるミステリースポット

2011年1月16日・2023年10月7日 撮影
平将門の首塚
2023年10月7日撮影
平将門 (たいらのまさかど) の首塚は、東京都千代田区大手町1丁目1番地、大手町の超高層ビルの狭間に鎮座する。小説/映画『帝都物語』に描かれているとおり、将門の祟りで有名なミステリースポットである。

2014年(平成26年)12月11日、三井不動産などは大手町の三井物産本社ビル、旧プロミス本社ビルなど3棟を再開発し、超高層ビル2棟を建てる計画を発表し、2016年(平成28年)6月8日に起工式が行われた。
敷地の一角にある将門の首塚は計画に含めず、周囲は緑地にした。敷地は東京都の所有のために保存したとしているが、よほど祟りが怖かったのだろう。
だが、2020年(令和2年)11月から将門の首塚そのものの改修工事が始まり、敷地は鋼板で囲われた。2021年(令和3年)4月26日に竣工し、将門信仰に深い関わりのある神田山日輪寺住職による落慶法要式典と、神田明神神職により竣工式典が執り行われた。
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平将門の首塚
2011年1月16日撮影
こちらは改修前のもの。

昭和の初め、この首塚の上に官庁を建設しようとしたところ、関係者が次々と亡くなった。
また、太平洋戦争終戦後にGHQが区画整理のための工事を始めようとすると、ブルドーザーが横転したという。

これらは将門の祟りと畏れられ、21世紀になっても首塚の一帯だけが開発から取り残され、木々が生い茂っている。
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平将門の首塚
2011年1月16日撮影
この石碑は1906年(明治39年)に建立されたものである。

平将門は、903年(延喜3年)頃に、第50代桓武天皇の血を引き、下総国・豊田郡 (とよだぐん) (現在の常総市の一部、下妻市の一部、結城郡八千代町の一部)を拠点にした鎮守府将軍・平良将 (たいらのよしまさ) のもとに産まれた。
15歳頃に上京し、藤原忠平を主君として衛士として働いた。12年ほど平安京で働いた将門は、その後、東国へ向かう。
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平将門の首塚
2011年1月16日撮影
930年(延長8年)に下総国に入った将門は、所領をめぐって、伯父の平国香 (たいらのくにか) と衝突する。935年(承平5年)、国香を敗死させた。

この頃、東国の国司は中央の命令を無視して私腹を肥やすものばかりで、民衆は重税と労役にあえいでいた。さらに937年(承平7年)11月には富士山が噴火し、各地は凶作と飢饉に見舞われた。将門は、鉄製の農具を作ったり、原野を開墾するなどして、民衆の生活の安定に努めた。ちょうどこの頃、将門のかつての主君であった藤原忠平が太政大臣になっている。
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平将門の首塚
2023年10月7日撮影
939年(天慶2年)夏、国司の税の取り立てに反発し、朝廷の倉を襲って米を民衆に分け与えるなどしていた藤原玄明 (ふじわらのあるあき) が一族郎党とともに将門を頼ってきた。
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平将門の首塚
2023年10月7日撮影
最新鋭の刀で武装した将門の騎馬軍団は、各地の国司を捕らえ、京都へ追い返した。そして12月19日、八幡大菩薩のお告げを受け、将門新皇 (しんのう) を名乗った。事実上の関東独立宣言である。このとき、八幡大菩薩 (はちまんだいぼさつ) のお告げを将門に取り次いだのが菅原道真の霊魂だという。
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平将門の首塚
2023年10月7日撮影
将門は玄明をかくまい、その年の11月21日、1千の兵を率いて挙兵する。承平天慶の乱 (じょうへいてんぎょうのらん) である。
この情報は京都に伝えられ、怨霊として畏れられていた菅原道真の名前が出たことで、朝廷内は混乱した。
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平将門の首塚
2023年10月7日撮影
しかし、朝廷の動きは素早かった。940年(天慶3年)1月、将門を討ち取った者を貴族に取り立てるという太政官符 (だじょうかんふ) を発令した。この動きを知らなかった将門は、田起こしのために兵を帰郷させていた。

将門によって殺された平国香の嫡男・貞盛 (さだもり) と、下野の有力豪族・藤原秀郷 (ふじわらのひでさと) が連合し、将門の本拠地である岩井 (いわい) (現在の千葉県坂東市)に兵を進めた。将門軍は奮闘したが、圧倒的な劣勢の中、2月14日、将門は戦死する。
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平将門の首塚
2023年10月7日撮影
藤原秀郷によって京都へ運ばれた将門の首は、京の町で晒され、3日後には笑い声を立てて東国へ飛び去ったという。途中で分裂して落下し、その中でも最も有名なのが、この首塚である。

平将門の家紋は九曜紋 (くようもん) ――真ん中が太陽で、その周囲に月、火星、水星、木星、金星、土星、羅喉 (らご) 計都 (けいと) が配されている(羅喉と計都は空想上の星)。
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平将門の首塚
2023年10月7日撮影
首塚そのものは関東大震災で倒壊して現存せず、将門の墓とされる石灯籠のみが残されている。
倒壊前には土饅頭のようになっており、内部には石室とみられるものがあったので、古墳であったと考えられている。1971年(昭和46年)、東京都の旧跡に指定された。
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平将門の首塚
2023年10月7日撮影
嘉元年間(1303年~1306年)に疫病が流行し、これが将門の祟りと考えられた。諸国を巡っていた時宗の僧・他阿 (たあ) が1307年(嘉元5年)、この地を訪れ、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って怨霊を鎮めた。
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平将門の首塚
2023年10月7日撮影
また、隣接していた日輪寺を時宗に改めさせ、墓守をさせたという。
江戸時代、日輪寺は浅草へ移転するが、神田明神の別当として、現在に将門信仰を伝えている。
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大手町ワン
大手町ワン 2023年10月7日撮影
首塚の周囲には多くのカエルの置物が奉納されている。将門の首が京から飛んで「帰った」ことから、必ず「帰る=カエル」にひっかけ、左遷になった社員が元の部署に戻ってこられるように願いをかけたり、誘拐されたり行方不明になった子どもが無事に帰ってくるように願いをかけたものだとされている。

写真は、2020年(令和2年)2月に完成した高さ200メートルの大手町ワン――東京駅・大手町駅から首塚にアクセスする際のランドマークだ。
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大手町ワン
大手町ワン 2023年10月7日撮影
大手町ワンの下、日比谷通りの交差点に首塚への道路標識が建っている。
この日も途切れることなく参拝者が訪れ、有志による将門塚保存会が浄財を元に周辺の清掃、整備を行っており、花や線香を絶やさないという。
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平将門の首塚
2023年10月7日撮影
大手町ワンのと日比谷通りを挟んで対面にある大手町プレイス――2018年(平成30年)8月に改築されたもの。
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参考サイト

参考書籍

表紙 小説平将門
著者 童門冬二
出版社 集英社
サイズ 文庫
発売日 2002年07月25日頃
価格 1,152円(税込)
ISBN 9784087474626
栄華を誇る摂政関白・藤原忠平に仕えていた平将門は、猟官に明け暮れる生活に嫌気がさし、美しい湖水に囲まれた故郷の東国へ帰って行く。だが、そこには父祖の地を奪おうとする親族たちが待っていた。彼らを相手に苛烈な戦いを展開する将門を支えたものは、中央から独立し、理想の王国を築こうとする燃えるような熱情であった。夢を追い求め、純粋に突き進む風雲児の悲劇の生涯を描く長編。
 
表紙 その時歴史が動いた 第33巻
著者 日本放送協会
出版社 アノニマ・スタジオ
サイズ 全集・双書
発売日 2005年06月
価格 1,760円(税込)
ISBN 9784877583460
栄華と挫折、武士の時代の変革者たち。
 
表紙 帝都物語 ワイド版
著者 高橋葉介
出版社 宙出版
サイズ コミック
発売日 2008年01月
価格 1,045円(税込)
ISBN 9784776794141
 
表紙 平将門魔方陣
著者 加門七海
出版社 河出書房新社
サイズ 文庫
発売日 1996年11月01日頃
価格 533円(税込)
ISBN 9784309473079
「東京の守護神」と呼ばれ、今もその“崇り神”の威力を誇る、平将門。首塚、神田明神等、将門ゆかりの神社は、なぜ北斗七星の形に並んでいるのか?そしてその魔方陣は、何を封じるために仕掛けられたのか?東京の闇に迫る衝撃作。
 
平将門 関連

交通アクセス

地下鉄「大手町駅」C5出口から地上への階段を上がり、そのまままっすぐ進むと、40メートルほどして首塚の幟を目にすることができる。
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出発地の最寄駅:

目的地:平将門の首塚

近隣の情報

(この項おわり)
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