鎌原観音堂は浅間山の大噴火を生き残った

2023年7月16日 撮影
鎌原観音堂
鎌原観音堂
鎌原観音堂 (かんばらかんのんどう) (群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原492)は、江戸時代の1783年(天明3年)に浅間山が大噴火をしたときに奇跡的に残り、日本のポンペイと呼ばれる。壊滅的な被害から人々を救ったということで、厄除け、とくに災害除けのご利益があるとされている。
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鎌原観音堂
鎌原観音堂
浅間山は現代でも活動を続ける活火山で、数多くの噴火記録の中で1783年(天明3年)8月4日(旧暦7月7日)に起きた大噴火は、関東一円に軽石や火山灰をまき散らし、天明の大飢饉の間接的な原因になったと考えられている。

この噴火により麓の鎌原村は火砕流や土石流に飲み込まれ、住民570人のうち、石段の上にある鎌原観音堂へ避難した93人だけが助かったと伝えられている。
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埋没石段 - 鎌原観音堂
埋没石段
現在、鎌原観音堂への石段は15段あるが、1979年(昭和54年)の発掘調査で、その下に35段の石段が続いていたことが判明した。村に流れ込んだ土石流により埋まってしまったものだ。

また、石段の最下部から2体の白骨遺体が発掘された。若い女性と年配の女性のもので、その体勢から、若い女性が年配の女性を背負ったまま逃げてきたが、力尽きて土石流に埋もれてしまったものと考えられている。
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天明3年 浅間やけ遺跡
天明3年 浅間やけ遺跡
浅間山信仰を受けて14世紀頃に建立された延命寺は、この噴火で埋もれてしまった。
33回忌に当たる1814年(文化11年)に建立した石碑を含む一帯は、天明3年 浅間やけ遺跡として群馬県の指定史跡となっている。
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天明3年 浅間やけ遺跡
天明3年 浅間やけ遺跡
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交通アクセス

【鉄道】
  • 軽井沢駅から西武観光バス草津温泉方面行きで56分、「鎌原観音堂」下車、徒歩2分
  • 万座・鹿沢口駅から2km
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出発地の最寄駅:

目的地:鎌原観音堂

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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