富士山と富士山本宮浅間大社

2006年3月15日 撮影
富士山
JR三島駅の手前(東京寄り)で、東海道新幹線の車窓から見た富士山である。
富士山の山頂には直径約 800メートルの火口があり、その周囲に8つの峰がある。その中で最も高い峰が剣ヶ峯で、その標高 3,776 メートルが日本最高峰となっている。
富士山8合目(3,250メートル)より高い部分の土地約約400万平方メ−トルは富士山本宮浅間大社(せんげんたいしゃ)の私有地である。

この所有権については、長年、富士山本宮浅間大社と国(財務省東海財務局)との間で争われたが、「所有権は浅間大社にある」という30年前の最高裁判決(最判昭和49年4月9日判時740号42頁)を受け、2004 年 12 月に正式に浅間大社のものとなった。富士山本宮浅間大社は、全国で 1,300 社ほどある浅間神社の総本宮で、富士山それ自身をご神体とする浅間大神(あさまのおおかみ)を主神として祀ってきた。

「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとある。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(紀元前27年)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮めたという。これが浅間大社の起源とされる。
その後、大同元年(806年)、坂上田村麻呂が勅命を奉じて、現在地(静岡県富士宮市宮町1-1)に壮麗な社殿を造営した。
さらに時代は下り、徳川家康が公式に富士山山頂の本宮支配を認めた。家康が慶長9年(1604年)に造営した本殿・拝殿・楼門が現存している、

しかし、明治に入って国有地となり、本宮に無償貸付していると解釈された。
戦後、「社寺等に無償で貸し付けてある国有処分に関する法律」に基づいて、富士山8合目以上の国有地も神社に返還されるものと考え、神社は国に譲与申請を行ったが、一部しか返還されなかったため裁判となった。その後の最高裁判所の判決では、「富士山は浅間神社にとって神体山であり、宗教上の儀式、行事に必要な土地に該当する。―(中略)―国の主張のような国民感情や具体的計画に基づかない文化・観光その他の公共の用に供するための国有存置は公益上の必要には当たらない。」というものであった。
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(この項おわり)
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