目次
- 伊勢神宮 外宮
- 伊勢神宮 内宮
- 内宮への交通アクセス
- 外宮への交通アクセス
- 外宮近隣の情報
伊勢神宮 外宮
神域の入口には、防火のためにつくられた掘川が流れ、火除橋が架かっている。
火除橋をわたり神域に入ると、左側に手水舎がある。左手、右手の順に清めた後に、左手で口をすすぎ、再び左手を洗い、最後に、ひしゃくを洗う。心身を清めたら、正宮へ向かう。
手水舎を過ぎると、一の鳥居が見えてくる。一般的に鳥居は朱塗りのものが多いが、伊勢神宮の鳥居は朱に塗られていない。
鳥居をくぐるときには、立ち止まって一礼しよう。
参道は静かで清々しく、玉砂利を踏みしめる音が響く。市街地の喧噪から離れ、まるで異世界のようだ。
伊勢神宮の正式名称は「神宮」と短い。神社ではないところに注意しよう。
昔から最高の位にある神宮で、現在は神社本庁の本宗として、すべての神社の上に立つ神社、日本国民の総氏神というポジションにある。
他の神宮を区別する意味で、伊勢の神宮、お伊勢さん、大神宮さんなどとも呼ばれる。
世の中が平和になり街道の治安がよくなった江戸時代に中期に入ると、民衆の間でお伊勢参りが流行する。貧しい人々は、旅行資金を持ち寄ったり積み立てたりして、代表者が参詣する伊勢講も広まった。1802年(享和2年)に刊行が始まった『東海道中膝栗毛』でも触れられている。
昔から最高の位にある神宮で、現在は神社本庁の本宗として、すべての神社の上に立つ神社、日本国民の総氏神というポジションにある。
他の神宮を区別する意味で、伊勢の神宮、お伊勢さん、大神宮さんなどとも呼ばれる。
世の中が平和になり街道の治安がよくなった江戸時代に中期に入ると、民衆の間でお伊勢参りが流行する。貧しい人々は、旅行資金を持ち寄ったり積み立てたりして、代表者が参詣する伊勢講も広まった。1802年(享和2年)に刊行が始まった『東海道中膝栗毛』でも触れられている。
二の鳥居を抜けると、右側に銅板葺の神楽殿が見えてくる。正宮を参拝した帰りに、ここで、祈祷や、御札、御守り、御朱印などを授かることができる。
伊勢神宮は、国家総鎮守として、125社を管理する。その内訳は、2内宮、外宮の2つの正宮、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社で、三重県内4市2郡に分布する。
三ツ石は、文字通り3個の石を積み重ねてあるものだが、式年遷宮の際、三ツ石の前で、御装束神宝や奉仕員を祓い清める川原大祓が行われる神聖な場所だ。けっして立ち入らないこと。
神域は、樹齢300年以上の神宮杉をはじめとする多くの樹木で覆われており、伐採は一切禁じられている。
2013年(平成25年)に行われた式年遷宮で必要となる木材は、2005年(平成17年)に木曽の国有林(木曽森林管理署小川入国有林)において御杣始祭を執り行い、樹齢300年以上のヒノキ2本を伐採し、御樋代木とした。
以前は神宮付近の山で伐採していたのだが次第に木材の確保が難しくなったためだ。神宮では、大正時代の終わりから宮域林で「200年後の御用材の確保」を目標に、ヒノキを育成している。
2013年(平成25年)に行われた式年遷宮で必要となる木材は、2005年(平成17年)に木曽の国有林(木曽森林管理署小川入国有林)において御杣始祭を執り行い、樹齢300年以上のヒノキ2本を伐採し、御樋代木とした。
以前は神宮付近の山で伐採していたのだが次第に木材の確保が難しくなったためだ。神宮では、大正時代の終わりから宮域林で「200年後の御用材の確保」を目標に、ヒノキを育成している。
伊勢神宮は国家鎮護の場であることから、個人的なお供えものは禁じられている。お賽銭は私幣にあたるため、賽銭箱がない。とはいえ、賽銭を投げ入れる参詣客が後を絶たないため、拝殿の内側に、穢れを払う白い布がひかれており、ここに色の付いていない硬貨(50円、100円、500円)を静かに置こう。けっして投げ入れてはいけない。
正宮の手前にある古殿地は正宮と同じ広さがあり、前回の遷宮まで正宮が立っていた場所になる。2033年(令和15年)の次の遷宮まで静かにその時を待っている。
正宮は内宮と同じで、唯一神明造である。鳥居の先は撮影禁止。
屋根は萱葺きで、9本の鰹木がのせられ、先端の千木は内宮の御正殿とは異なり垂直に切られている。
屋根は萱葺きで、9本の鰹木がのせられ、先端の千木は内宮の御正殿とは異なり垂直に切られている。
正宮は、拝殿の外側から板垣、外玉垣、内玉垣、瑞垣の四重垣に囲まれており、全貌を見ることはかなわない。天皇陛下も、即位の時以外は中へ入ることができない。
南北の門には宿衛屋が置かれており、神宮衛士が交代勤務で24時間体制で警備している。
南北の門には宿衛屋が置かれており、神宮衛士が交代勤務で24時間体制で警備している。
風宮は、風雨を司る級長津彦命、級長戸辺命を祀っている。内宮別宮の風日祈宮の祭神と同じである。
土風宮は、別宮で唯一、東を向いており、地主の神である大土乃御祖神を祀っている。
伊勢神宮 内宮
五十鈴川に架かる宇治橋の手前に、高さ7.44メートルの大鳥居がある。ここから先は神域だ。
内側の鳥居は内宮の旧正殿の棟持柱を、外側の鳥居は外宮の旧正殿の棟持柱を再利用して建てられている。
内側の鳥居は内宮の旧正殿の棟持柱を、外側の鳥居は外宮の旧正殿の棟持柱を再利用して建てられている。
前述の通り、外宮の参道は左側通行だが、内宮は反対で、右側通行になっている。
手水舎の位置も、外宮は左側に、内宮は右側に用意されている。
手水舎の位置も、外宮は左側に、内宮は右側に用意されている。
五十鈴川は御裳濯川も呼ばれ、倭姫命が御裳のすそを濯いだことから名付けられたという。神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となる。
橋を渡りきると、外側と同じ高さ7.44メートルの大鳥居がある。
日章旗が高々と掲揚されている。
伊勢神宮は皇室の氏神である天照大御神を祀るため、朝廷・皇室との結びつきが強く、三種の神器の1つである八咫鏡を御神体とする。
伊勢神宮は皇室の氏神である天照大御神を祀るため、朝廷・皇室との結びつきが強く、三種の神器の1つである八咫鏡を御神体とする。
1869年(明治2年)、明治天皇は在位中の天皇として、初めて伊勢神宮を参拝する。
神宮の組織は近代化が図られ、禰宜は5名、権禰宜は10名と大幅に削減され、江戸時代には360名程度いた神職が約90名に減らされた。
神宮の組織は近代化が図られ、禰宜は5名、権禰宜は10名と大幅に削減され、江戸時代には360名程度いた神職が約90名に減らされた。
一方で、神道国教化政策により全国神社の頂点の神社として位置付けられた。
太平洋戦争後の政教分離で宗教法人神社本庁が発足し、伊勢神宮は全国神社の本宗となった。
太平洋戦争後の政教分離で宗教法人神社本庁が発足し、伊勢神宮は全国神社の本宗となった。
手水舎で身を清めてもいいが、せっかくなので、その先で参道から右側に折れて五十鈴川の河原に降りて、御手洗場で清めていこう。ひしゃくはないので、手で水をすくい、左手、右手の順に清めた後に、左手で口をすすぎ、再び左手を洗おう。
身体を清めることができるよう、水深はかなり深い。滑って川に転落しないように気をつけて。
身体を清めることができるよう、水深はかなり深い。滑って川に転落しないように気をつけて。
2013年(平成25年)は、正宮へ向かう参道は参拝客でごった返していたが‥‥。
2023年(令和5年)11月には、コロナ禍は開けたものの、ご覧のように参拝客は激減。意外なほど外国人観光客が少なかった。
2018年(平成30年)4月、伊勢市で路線バスが石灯籠に接触し、弾みで落ちた石が当たった男性が死亡するという事故が発生。
2018年(平成30年)4月、伊勢市で路線バスが石灯籠に接触し、弾みで落ちた石が当たった男性が死亡するという事故が発生。
御稲御倉は、内宮の所管社のひとつで、倉稲魂命を祀っている。神田から収穫した抜穂の御稲が納められ、祭典に際し大御饌として神前に供えられる。
建物の規模は小さいものの、神明造の特徴をうかがうことができる。
建物の規模は小さいものの、神明造の特徴をうかがうことができる。
外幣殿は、天皇以外のものから奉られた宝物を納めた建物である。高床式の神明造になっている。
五丈殿は、雨天のときに祓所に代わって神饌などを祓い清める場所である。その他にも、摂社以下の遙祀(離れた場所からお祭りすること)や式年遷宮のお祭りにおける饗膳の儀が行われる。
⼀般的な御祈祷「御饌」を行う御饌殿と、奏楽・舞を催す「御神楽」を行う神楽殿に分かれている。
内宮と同じく、参拝の基本作法は二礼二拍手一礼――神前で姿勢を正し、帽子等をはずす。そして、2回深くお辞儀をする。次に、胸くらいの高さで両の手を合わせ、肩幅程度に両の手を開け2回、柏手を打つ。最後に深いお辞儀をして、参拝終了となる。
太平洋戦争後、GHQの神道指令などにより参拝者が激減したが、1950年代には200万人を超え、式年遷宮のあった2013年(平成25年)に1400万人、令和になった2019年(平成31年)には860万人を数えるほどになっている。
1947年(昭和22年)に、明治天皇第七皇女の北白川房子さんが女性初の祭主となり、以後、皇女が祭主を勤めるようになった。2017年(平成29年)6月からは上皇陛下第一皇女の黒田清子さんが務めている。
太平洋戦争後、GHQの神道指令などにより参拝者が激減したが、1950年代には200万人を超え、式年遷宮のあった2013年(平成25年)に1400万人、令和になった2019年(平成31年)には860万人を数えるほどになっている。
1947年(昭和22年)に、明治天皇第七皇女の北白川房子さんが女性初の祭主となり、以後、皇女が祭主を勤めるようになった。2017年(平成29年)6月からは上皇陛下第一皇女の黒田清子さんが務めている。
外宮と同様、正宮は唯一神明造という日本古来の建築様式で、屋根は萱葺きで、10本の鰹木がのせられ、先端が水平に切られた4本の千木が高くそびえている。
唯一神明造は檜の素木を用いて高床式の穀倉の形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と受け継がれている。石段から上は撮影禁止。
自然を神格化した日本の神々は、その穏やかな働きを表す和御魂と、荒々しい姿をあらわす荒御魂の2つの面がある。
内宮への交通アクセス
【鉄道+バス】
- 近鉄「宇治山田駅」からバス15分
- 伊勢自動車道「伊勢西I.C.」より5分
外宮への交通アクセス
【鉄道+バス】
- JR・近鉄「伊勢市駅」から徒歩5分
- 県道伊勢市駅前で右折1分
外宮近隣の情報
- 宇治山田駅は貴賓室を備えた国の有形文化財:ぱふぅ家のホームページ
- おかげ横町・おはらい町は伊勢神宮内宮前に並ぶ商店街:ぱふぅ家のホームページ
- 伊勢神宮は国家総鎮守:ぱふぅ家のホームページ
- 式年遷宮したばかりの伊勢神宮内宮を参拝:ぱふぅ家のホームページ
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参考サイト
- 神宮(伊勢神宮)
- せんぐう館
- 熱田神宮は草薙剣を祀る:ぱふぅ家のホームページ
- 出雲大社は出雲一族を祀っている:ぱふぅ家のホームページ
(この項おわり)