大船観音は微笑みながら街を見守る

2017年12月31日 撮影
大船観音寺
大船観音寺 (おおふなかんのん) (神奈川県鎌倉市岡本1丁目5番3号)は、電車からも見える真っ白な大船観音で知られる曹洞宗の寺院である。
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大船観音寺
1927年(昭和2年)2月、わが国を憂い護ろうとする地元有志が「護国大観音建立会」の趣意書を作成し、観音像建立などを目的とする募金が始まった。1929年(昭和4年)に建立に着手し、1934年(昭和9年)に輪郭が出来上がった。
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大船観音寺
だが、太平洋戦争が激しくなり築造は中断され、20年以上放置されていた。 1954年(昭和29年)11月、護国大観音建立会が消滅し、曹洞宗管長高階瓏仙禅師らが中心となり財団法人大船観音協会を設立、建立が再開された。1960年(昭和35年)4月に完成した。
大船観音寺
大船観音の胎内には、鎌倉市内の戦没者の位牌が祀られ、毎年鎌倉市及び遺族会により慰霊法要が行われている。
1970年(昭和45年)4月、神奈川県原爆被災者の会において被爆25年の記念事業として原爆犠牲者慰霊碑建立が建立された。毎年9月末に、この慰霊碑の前に神奈川県在住の原爆死没者の関係者が集い、慰霊法要が行われている。
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大船観音寺
観音像の維持運営を永続的なものにすべく、宗教施設としての施設を整備し、大船観音教会を解散し、宗教法人への移行を決断する。1981年(昭和56年)11月、神奈川県より寺院としての認証を受け、曹洞宗の大船観音寺となった。

財団法人が設立され20数年をかけて、寺院としての宗教行事、礼拝のための施設を整備していく経過の中で、前述の西村清氏が中心となり地元有志との「大船観音特別維持会」が組織され、将来に亘る護持運営についての具体策が話し合われます。
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大船観音寺
全高25メートル×幅19メートル×奥行13メートル、重さ1900トンにもなる巨大なコンクリート製の白衣観音菩薩像の、ふっくらした顔立ちと優しい微笑みを浮かべながら街を見下ろしている姿は、大船のランドマークとなっている。夜間にはライトアップされる。

大船観音は、奈良法華寺の十一面観音菩薩像を参考にしたという。
インド人の着衣には正色と壊色とがあり、正色は白や青、赤などの単色、壊色はさまざまな色が混ざった混色である。正色は在家の着る色、壊色は出家の僧侶が着る色と決まっていた。
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正色である白衣を着た白衣観音は、われわれ俗人により近い、親しみやすい存在とされている。
像は胸から上の部分だけなので、下半身は山中に埋まっているという都市伝説が生まれた。

交通アクセス

【鉄道】
  • JR大船駅・西口から徒歩10分
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出発地の最寄駅:

目的地:大船観音寺

近隣の情報

参考サイト

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(この項おわり)
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