鶴岡八幡宮のおみくじは凶が多い

2016年5月3日 撮影
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮 (つるがおかはちまんぐう) (神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31)は、源頼朝ゆかりの神社で、鎌倉武士の守護神として「鎌倉八幡宮」とも呼ばれる。
鶴岡八幡宮の大きな写真大きな写真
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鶴岡八幡宮
上の「大きな写真」を使って、楼門にある「八幡宮」と書かれた額をよく見ていただきたい。「八」の字が神聖な神の使いとされるハトになっている。このハトは最後に再び登場する。

三の鳥居をくぐると、いよいよ御神域だ。北条政子が掘らせたという、源氏池と平家池の間に太鼓橋が架けられている。
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鶴岡八幡宮
手前が仁大門、奥手に本宮が見える。この間に舞殿が隠れている。

境内にはパワースポットが多く、特に強い場所が5つある。
鶴岡八幡宮の大きな写真大きな写真
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  1. 大石段・本宮
  2. 隠れ銀杏
  3. 丸山稲荷社
  4. 旗上弁財天社・政子石
  5. 今宮(新宮神社)
大石段 - 鶴岡八幡宮
大石段
鶴岡八幡宮は、強い龍脈の山に三方を囲まれたパワーのある龍穴の地で、御神霊の力も強く、仕事や人生に変化・再生をもたらすパワースポットとされている。
ご利益としては、勝運・仕事運アップ(出世運・決断力・行動力・合格運)、生命力・健康運アップ、家庭円満・縁結びなど。

舞殿の後ろには、61段ある大石段がある。この日は、入場規制が行われていた。
大石段 - 鶴岡八幡宮の大きな写真大きな写真
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隠れ銀杏 - 鶴岡八幡宮
隠れ銀杏
本宮へ続く石段の麓には、樹齢千年を超える巨大な銀杏があった。1219年(建保6年)、鎌倉幕府の3代将軍・源実朝を暗殺した公暁が隠れたという伝説から、「隠れ銀杏」と呼ばれている。残念ながら、2010年(平成22年)に強風で倒れてしまった。
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本宮 - 鶴岡八幡宮
本宮
本宮は、1828年(文政11年)に徳川家斉によって造営された。国の重要文化財に指定されている。主祭神は、応神天皇 (おうじんてんのう) 比売神 (ひめがみ) 神功皇后 (じんぐうこうごう) である。

1063年(康平6年)、源頼義が源氏の氏神として京都の岩清水八幡宮を由比ケ浜付近(現在の元八幡)に祀ったのが起源とされている。1180年(治承4年)、源頼朝が現在の地に八幡宮を移し、1191年(建久2年)にはほぼ現在の形に整え、鎌倉の中心とした。

大石段を登ると上宮があり、ここからは、三、二、一の鳥居と真っすぐに由比ケ浜まで延びた参道が見渡せる。空気の澄んだ晴れた日には、伊豆大島を望むことができるという。
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おみくじ - 鶴岡八幡宮
おみくじ
鶴岡八幡宮のおみくじは、大吉の3倍以上の確率で凶が当たるという。

凶運みくじ納め箱というのがあり、指示通りにおみくじを納めると、凶運が強運に変わるという。
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(1272×1920 ピクセル, 863 Kbyte)
舞殿 - 鶴岡八幡宮
舞殿
1193年(建久4年)に建造された唐破風の入り母屋造りの舞殿は、源義経の側室で舞の名手であった静御前が、頼朝の命令で舞を舞った場所とされている。
この日は結婚式が挙げられていた。
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小町通り - 鶴岡八幡宮
小町通り
鎌倉駅から鶴岡八幡宮へは、参道である段葛と、小町通りの2本がある。

小町通りは、食事どころ、お買い物どころが集まった、鎌倉で一番賑やかな通りだ。
この日は参拝客でごった返しており、鶴岡八幡宮まで30分以上かかった。
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豊島屋・鳩サブレー - 鶴岡八幡宮
豊島屋・鳩サブレー
鎌倉名物「豊島屋・鳩サブレー」では、ハトの着ぐるみが営業中。

豊島屋の初代店主、久保田久次郎は鶴岡八幡宮を崇敬しており、冒頭で紹介したように、本宮の額の「八」が鳩の向き合わせであることと、宮鳩が多数いるところから着想を得て、鳩サブレーを開発した。
ベースとなったのは、店に来た外国人からもらったビスケットだったというが、バターを見つけるのに苦労したという。
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若宮大路 - 鶴岡八幡宮
若宮大路
1063年(康平6年)に、頼朝の5代先祖に当たる源頼義が、奥羽での戦に勝利し京へ凱旋する途中で、源氏の守護神である石清水八幡宮を勧請したのが鶴岡八幡宮のはじまりとされる。現在の場所より南の方あり、現在は由比若宮(元八幡;鎌倉市材木座1-7)として残っている。1180年(治承4年)10月に、頼朝が現在地に遷座した。

由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に通じる参道「若宮大路 (わかみやおおじ) 」は周囲より低い湿地帯となっていたため、中央部分は盛り土により高くして、段葛 (だんかずら) と呼ぶ。幅3メートル、深さ1メートルの側溝を用意し、十分な排水を行えるようにしていた。
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(1280×1920 ピクセル, 1064 Kbyte)
二ノ鳥居 - 鶴岡八幡宮
二ノ鳥居
頼朝は、水を排水し、川とともに掘に利用し、鎌倉の街づくりを行った。
まず鶴岡八幡宮を整備して平安京の内裏とみなし、続いて掘を整備して防衛能力を高め、雪ノ下3丁目にある清泉小学校のあたりに幕府を置いたと考えられている(大蔵幕府跡)。
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(1920×1326 ピクセル, 919 Kbyte)
さらに、源義朝の菩提・勝長寿院 (しょうちょうじゅいん) や、奥州合戦や数多の戦を供養し源義経・藤原泰衡をはじめとする数万の怨霊・英霊をしずめて冥福を祈るために、平等院鳳凰堂を模した壮麗な永福寺 (ようふくじ) などを次々に建立し、武士の勢いを世に知らしめた。

交通アクセス

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出発地の最寄駅:

目的地:鶴岡八幡宮

参考サイト

鶴岡八幡宮 関連

近隣の情報

(この項おわり)
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