鎌倉駅

江ノ電に乗ろうという話になり、まず、湘南新宿ラインでJR鎌倉駅へ。
大きな写真

(1280×960 ピクセル, 426 Kbyte)

湘南海岸

稲村ヶ崎駅から鎌倉高校前駅までは湘南道路(国道134号線)と並行して走っており、海が見える。

湘南という地域を指す厳密な定義はないそうだ。明治時代、大磯が中国湖南省洞庭湖の南岸「瀟湘湖南」に似ており、またこの地域は相模国の南部にあたるため佳字を当てる意味もあって、「湘南」と名づけたとされている。

湘南という地域を指す厳密な定義はないそうだ。明治時代、大磯が中国湖南省洞庭湖の南岸「瀟湘湖南」に似ており、またこの地域は相模国の南部にあたるため佳字を当てる意味もあって、「湘南」と名づけたとされている。
1950年代、太陽族と石原裕次郎、加山雄三が湘南のシンボルとなり、ヨットやクルーザーなどのマリーナがある地域(葉山から江の島)が湘南と考えられた。
1970年代後半にサザンオールスターズ(ヴォーカルの桑田佳祐は、茅ヶ崎市出身、私立鎌倉学園高等学校から青山学院大学に進学)がデビューすると、歌詞によく登場する鎌倉から茅ヶ崎の間が湘南のイメージとして定着した。
1970年代後半にサザンオールスターズ(ヴォーカルの桑田佳祐は、茅ヶ崎市出身、私立鎌倉学園高等学校から青山学院大学に進学)がデビューすると、歌詞によく登場する鎌倉から茅ヶ崎の間が湘南のイメージとして定着した。
2002年(平成14年)に、平塚市、藤沢市、寒川町、大磯町、二宮町とが合併し「湘南市」として発足する構想があったが、議会で否決されたため、現時点では合併は行われない。
また、自動車のナンバープレートに湘南ナンバーがあるが、この管轄区域は平塚市以西で、いわゆる「西湘」(せいしょう)と呼ばれる地域である。前述の西湘地域の管轄は横浜ナンバーである。
また、自動車のナンバープレートに湘南ナンバーがあるが、この管轄区域は平塚市以西で、いわゆる「西湘」(せいしょう)と呼ばれる地域である。前述の西湘地域の管轄は横浜ナンバーである。
江の島駅

江の島駅に到着した。
鎌倉側にある腰越駅から江の島駅の間、江ノ電は路面を走り、撮影スポットとなっている。
鎌倉側にある腰越駅から江の島駅の間、江ノ電は路面を走り、撮影スポットとなっている。
2014年(平成26年)11月、江ノ電が「選奨土木遺産」に選定された。
推奨土木遺産は、土木学会が歴史的土木構造物の保存に資することを目的として、2000年(平成12年)に設立した認定制度だ。トンネルや橋、鉄道など、毎年20件程度ずつ選定されている。
推奨土木遺産は、土木学会が歴史的土木構造物の保存に資することを目的として、2000年(平成12年)に設立した認定制度だ。トンネルや橋、鉄道など、毎年20件程度ずつ選定されている。
片瀬江ノ島駅

小田急線の片瀬江ノ島駅は、小田急江ノ島線の終点の駅である。
駅舎は、竜宮城を模したユニークなデザインになっている。この駅舎は、1929年(昭和4年)4月の開業当時、東海土地電気株式会社による大船~茅ヶ崎間の路線が建設される予定があったため、仮駅舎として建てられたためだが、その後改築が行われないまま現在に至っている。
駅舎は、竜宮城を模したユニークなデザインになっている。この駅舎は、1929年(昭和4年)4月の開業当時、東海土地電気株式会社による大船~茅ヶ崎間の路線が建設される予定があったため、仮駅舎として建てられたためだが、その後改築が行われないまま現在に至っている。
新宿からは、急行で1時間15分ほど。湘南新宿ラインがあれば、新宿→大船→藤沢→片瀬江の島のルートの方が10分ほど早い。しかし、料金は小田急線の方が圧倒的に安い。
江の島

湘南道路から江の島を臨む。
ここから、歩行者・自転車専用の江の島弁天橋、自動車専用の神奈川県道305号江の島線(江の島大橋)を通って江の島に渡ることができる。
かつての江の島は、引き潮の時のみと洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた。関東大震災で島全体が隆起して、以降は常に陸地と地続きとなった。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時にはヨット会場になった。

江の島の奥には岩屋と称する洞窟があり、常に風が吹いていることから、富士の風穴と繋がっているという伝説があった。
ここから、歩行者・自転車専用の江の島弁天橋、自動車専用の神奈川県道305号江の島線(江の島大橋)を通って江の島に渡ることができる。
かつての江の島は、引き潮の時のみと洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた。関東大震災で島全体が隆起して、以降は常に陸地と地続きとなった。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時にはヨット会場になった。

江の島の奥には岩屋と称する洞窟があり、常に風が吹いていることから、富士の風穴と繋がっているという伝説があった。


ところで、「江の島」と「江ノ島」はどちらが正しいのだろうか。
江の島が属する藤沢市は、1969年(昭和44年)4月1日に、「江の島」と表記することで統一している。ところが、江ノ電、小田急江ノ島線、片瀬江ノ島駅、江ノ島大橋、江ノ島水族館と、主立ったランドマークが「江ノ島」のままなので、ネットで検索すると「江ノ島」の方がヒットする。
また、史跡天然記念物・名勝としての江の島は、文化庁に登録した際に「江ノ島」を使っていて、台帳がそのまま生きているため、「江ノ島」が正式名となっている。
江の島が属する藤沢市は、1969年(昭和44年)4月1日に、「江の島」と表記することで統一している。ところが、江ノ電、小田急江ノ島線、片瀬江ノ島駅、江ノ島大橋、江ノ島水族館と、主立ったランドマークが「江ノ島」のままなので、ネットで検索すると「江ノ島」の方がヒットする。
また、史跡天然記念物・名勝としての江の島は、文化庁に登録した際に「江ノ島」を使っていて、台帳がそのまま生きているため、「江ノ島」が正式名となっている。

頂上まで石段を上っていくと20分かかるところ、江ノ島エスカーだとわずか4分で行くことができる。
2001年(平成13年)に1~2連、2003年(平成15年)に3~4連がリニューアルされた。
2001年(平成13年)に1~2連、2003年(平成15年)に3~4連がリニューアルされた。

頂上に着くと、たくさんのトビが大空を舞っていた。
トビ(鳶:学名 Milvus migrans)は、タカ目タカ科に分類される鳥で、ほとんどはばたかずに尾羽でたくみに舵をとり、上昇気流に乗って上空へ舞い上がる。体長は60~65cmほどで、カラスよりひとまわり大きい。翼開長は150~160cmほどになる。
関西では「トンビ」と呼ぶが、パパぱふぅもそう呼んでいる。関西人なのだろうか。
トビ(鳶:学名 Milvus migrans)は、タカ目タカ科に分類される鳥で、ほとんどはばたかずに尾羽でたくみに舵をとり、上昇気流に乗って上空へ舞い上がる。体長は60~65cmほどで、カラスよりひとまわり大きい。翼開長は150~160cmほどになる。
関西では「トンビ」と呼ぶが、パパぱふぅもそう呼んでいる。関西人なのだろうか。

1980年代頃から江の島では捨て猫が急増し、至る所で野良猫を見かけるようになった。観光客や釣り人がエサを与えるなどしたため、ほとんどの猫は人怖じしないし、まるまると太っている。
これらの野良猫を観光資源ととらえ、新たな江の島名物とする動きがある。餌場をつくり猫に餌を与えたりする一方で、野良猫に避妊手術を行うための募金活動を行ったり、全島に犬・猫を捨てないよう訴える看板を掲示するなど、これ以上野良猫が増えないような対策も並行的に進められている。

建久元年(1190年)、北条時政が江の島に参籠した際、大蛇が残した3枚の鱗をもとに家紋を定めた。これが「三つ鱗形紋」で、北条氏と江の島神社の家紋となっている。参道にあちらこちらに見ることができる。

江の島ヨットハーバーは、1964年(昭和39年)の東京オリンピックのヨット競技場として整備され、それ以降、日本のヨット活動の普及に貢献している。
近隣の情報
- 江の島と湘南の宝石:ぱふぅ家のホームページ
- 扇屋の江ノ電もなか:ぱふぅ家のホームページ
- 龍口寺は日蓮宗本山:ぱふぅ家のホームページ
- 極楽寺駅はドラマ『俺たちの朝』のロケ地:ぱふぅ家のホームページ
- 長谷寺で「お寺のカレー」を食す:ぱふぅ家のホームページ
- 鎌倉能舞台で700年前の日本刀「正宗」を見る:ぱふぅ家のホームページ
- 鎌倉大仏は鎌倉時代を代表する仏教彫刻:ぱふぅ家のホームページ
- 鎌倉駅〜江の島〜大船駅:ぱふぅ家のホームページ
- 大船観音は微笑みながら街を見守る:ぱふぅ家のホームページ
- 早咲き桜が見ごろ迎え、メジロもお花見(2024年3月4日)
- 60年に一度、鎌倉・円覚寺の「洪鐘祭」開催へ(2023年10月14日)
- 江の島島内・片瀬海岸エリアがイルミネーションに染まる!(2022年2月16日)
- 湘南モノレール、全線開通50周年(2021年7月5日)
- きれいな花で心清める初詣(2021年1月6日)
- 「詐欺退散」御朱印、鎌倉最古の神社で配布(2020年10月15日)
- 沿線の色まとい江ノ電走るデザイナー手がける(2019年1月14日)
- 異形のお面が練り歩く鎌倉の伝統行事「面掛行列」(2018年9月23日)
- 藤沢でも海開き(2018年7月3日)
- 夜空に浮かぶ風船、江の島のイルミネーション(2018年2月19日)
- 晩秋の空に大イチョウ、古刹の境内を彩る(2017年12月9日)
- 鎌倉の由比ケ浜、夜は青白く プランクトン大量発生(2017年5月20日)
- 多言語でおもてなし 鎌倉駅の案内所リニューアル(2016年10月7日)
- アジサイ満開、梅雨を彩る(2016年6月14日)
- アジサイ2500株が見頃 鎌倉・明月院(2016年6月9日)
- 江の島でライトアップイベント始まる(2013年12月1日)
大船観音

日本人ばかりではなく東南アジア(特に華僑・小乗仏教信者)からの参拝客も多く、奉納された灯篭には多国籍な名前が並ぶ。近年ではこうしたアジアからの参拝客の増加を受け、台湾やスリランカなどから僧を招き法要を行い、各国の民族舞踊を奉納する「ゆめ観音 in 大船」という祭りが開催されるようになった。
大船観音は、1929年(昭和4年)、地元有志の発起により護国観音として築造が開始され、1934年(昭和9年)には輪郭ができあがっていたのだが、戦局の悪化により中断。戦後、財団法人大船観音協会が設立され、1960年(昭和35年)4月にようやく完成した。
大船観音協会には、曹洞宗管長の高階瓏仙や、東京急行電鉄の初代社長五島慶太の名前をはじめ、各界の著名人の名が見える。大船観音協会は、1976年(昭和51年)11月30日に解散し、宗教法人大船観音寺と改称され現在に至っている。
大船観音協会には、曹洞宗管長の高階瓏仙や、東京急行電鉄の初代社長五島慶太の名前をはじめ、各界の著名人の名が見える。大船観音協会は、1976年(昭和51年)11月30日に解散し、宗教法人大船観音寺と改称され現在に至っている。
(この項おわり)